17.
「はあ……君は強情だと言われないか」
「は……い?」
咄嗟に背後を振り返る。リーンハルトは両腕を組んで呆れたように息を吐いた。
(ちょっと待って、さっきまでの泣きそうなお願いをした直後とは思えない……演技だったの!?)
確かに表情は見ていなかった。アラセリスの背後に回っていたのだから当然だ。
だが、彼の声にはアラセリスの罪悪感をたっぷり刺激するほどの想いが込められていて、嘘だとは思えなかった。
「これだけの証拠が残っているというのに、まだ認めないとはな。君は一体なにが望みだ。何故こんなことをする?」
リーンハルトはふたたび長椅子に着席した。荒々しく脚を組んで面白くないとでも言いたげな表情をしている。
次第にアラセリスもムカムカしてきた。強情なのはお互いさまではないか。荒唐無稽な話をしているのは彼の方である。
「お言葉ですが殿下、頭のおかしい話をしている自覚はおありなんですよね? 死者が生き返るなんてありえませんし、ましてや私がどうやってマリアンネ妃になれるんですか。お化粧でどうにかできるものではないでしょう」
「ああ、そうだな。その通りだ。そんなことは俺も頭ではわかっている」
もしも彼が周囲にマリアンネの生存説と、別人として生きている説を話したら、すぐに精神病を疑われてしまうかもしれない。幸いこんな話をしたのはアラセリスがはじめてのようだ
(事実だけど。でも、一般常識では考えられないことをしているのに、見破られるなんてありえない)
それほどリーンハルトはマリアンネを深く愛していたのだろうか。
確かに彼は、常に優しく紳士的だった。だが表面上の優しさを彼のすべてだと思えるほど、アラセリスは純粋な人間ではなかった。
「君はマリアンネの生まれ変わりでもなければ、同一人物でもない。今わかっていることは棺が空で、マリアンネの亡骸が行方不明だということだけ。そして共通点は君の筆跡とマリアンネのものが酷似していることと、同じ場所にほくろがあることだ」
「面白い偶然ですね。私もこうして殿下とお話ができるなんて夢のようです。一生の思い出として胸に秘めて、これからの人生を歩みたいと思います」
「君はもう少し、可愛げがあった方がいいんじゃないか」
「マリアンネ妃はとてもお美しくて、誰もが守ってあげたくなるような庇護欲を誘う女性だったそうですね。さすが元王女様、そんな彼女に似ていると言われるなんて光栄の極みです。もしかして私のことを褒めてくださっていたのでしょうか。でしたらありがとうございます。ですが平民女は可愛げなんかでお腹は膨れないんですよ」
開き直ったアラセリスの口からは、ぽんぽんと台詞が飛び出てきた。リーンハルトが呆気にとられて、口を挟もうとする隙も与えない。
(この勢いのまま逃げよう。不敬だなんだとかは、考えないようにしよう)
長椅子から立ち上がり、一礼する。
最後に告げる言葉はなににしようかと迷っているとき、座ったままのリーンハルトが口を開いた。
「俺と友達にならないか」
「…………はい?」
アラセリスの頬が引きつった。次々と予想外のことばかりを言われて、そろそろ脳疲労を起こすかもしれない。
「意味が分かりません。今、散々嫌味を言われたんですよ。気分を害するところでしょう」
「今のは嫌味だったのか? 君は俺に本音をぶつけてくれる貴重な相手だと判断した」
困る。そんな風に思われたいわけではない。
「可愛げのない平民女と関わりたいなんて、理解不能です。正気に戻った方がいいですよ」
「可愛げのない女性と出会ったこと自体がはじめてだから、貴重に感じるのかもしれないな。それに友達ならこれからも気兼ねなく会えるだろう。今後君が俺との出会いで一生の思い出を語るなら、もっと俺を知っておいてほしい」
(どうしよう、絶対無理!)
「友達」と書いて、なんて読むのだろう。義兄は「義妹」と書いて観察対象と読んでいた。
「あの、本当になにを仰っているのか……私、貴族令嬢ではないんですよ?」
「貴族令嬢と友達になるのはしがらみが多くて厄介だが、郵便局に勤めている平民なら問題ないだろう」
「大ありです!」
リーンハルトは愉快そうに笑っているが、アラセリスは混乱の渦にいた。
何故そうなる!? と言いたいのをぐっとこらえる。
(落ち着いて……多分、私が珍しいからだわ。新鮮に感じているだけ。ようは気の迷いでしょう)
「殿下は世間の常識に疎いようなのでこの際言わせてもらいますが、一般的に男女間の友情は成り立たないと言われています」
「何故だ」
「恋人ではないかと邪推されるからです! それに子供じゃないんですから、結婚適齢期の男女が一緒にいたら、結婚も視野に入れているだろうって思われるんですよ。それにどちらかに恋愛感情が芽生えたら友情が破綻しますし、恋人ができたら浮気を疑われます」
(私、なんで元夫にこんな常識を説いているのかしら)
元々アラセリスに友人と呼べるほど親しい人ができたことはない。トレンメルに来てから、レベッカやパン屋の夫婦など、親しくしてくれる人が増えたが、それまでは義兄に仕える使用人と従者が周りにいるだけだった。
友達という言葉に憧れはある。親友という響きはもっと甘美に聞こえる。
だが、最も関わってはいけない相手とそんな関係になるなんて、正気の沙汰ではないだろう。胃痛がしそうである。
「なるほどな、面白い。俺を世間知らずだと言った女性も君がはじめてだ。それなら君が友として、俺に平民の一般常識というやつを教えてほしい。もしも周囲から邪推されたら、友人関係だと言い返せばいい」
王族は一度言い出したら引かない人たちである。
それを身を持って知っているだけに、アラセリスは口を閉じることしかできない。
「……私では到底お役に立てません。力不足ですので、辞退申し上げ……」
「真正面から本音をぶつけてくる相手が力不足だとは思えないがな。それとも君は俺が嫌いか?」
ズルい質問だ。アラセリスの顔がさらに引きつりそうになった。
(嫌いになりたいけれど実際には嫌いというより、誰よりも幸せになってもらいたいわけで……でもそれは私の罪悪感とか、罪滅ぼしとか、そういうアレがたくさんアレしていて……!)
リーンハルトが耐え切れないように笑いだす。よほどアラセリスの百面相を気に入ったらしい。
「ほら、そういう素直な反応を見せるところも新鮮だ。貴族の令嬢なら絶対に見せない顔だからな」
「……私は、マリアンネ妃の代わりにはなりませんよ?」
彼がなにを望んでいるのかは不明だが、ここでしっかり確認しておくことにした。淡い期待すら抱いてほしくない。できることなら、彼の中からマリアンネに関する記憶を消してほしい。
「わかっている。身代わりなんて思っていない。俺は君に興味があるんだ、アラセリス」
「……ッ!!」
はじめて本名を呼ばれた。心臓が大きく鼓動して、胸が苦しくなる。
(ズルい……ズルいズルい。こんなの酷い)
うれしいと思ってしまった自分が悔しくて情けなくて、アラセリスは口をきゅっと引き締めることしかできなかった。




