14.
臨時休業から数日後、郵便局にはたびたび苦情が入っていた。
「一体どういうことですか! 待ちわびていた小包が届いたと思ったら中を改めたって……うちがなにか疑われたんですか!?」
その場にいた職員全員が僅かに身体を硬直させた。いつか来るだろうと思っていた苦情がついに来たのだ。
窓口を担当しているのは新人の局員である。利用者からの苦情に慣れていないだろう。すかさず別の者が対応し、丁寧に事情を説明しはじめた。
「これからどんどん問い合わせがくるわよ」
「急に監査が入るなんて、ちょっとね……私たちまで変な目で見られそう」
休憩室でお茶を啜りながら、イレーネたちが肩を落としている。ようやく日常業務に戻って数日が経過したというのに、いつ来るかわからない苦情に怯えるようになるそうだ。
「この件について上はどんな見解なんでしょう?」
「特になにも思っていないわよ。局長がまず日和見主義だもの」
そう言い合いながら、イレーネは焼き菓子をバリバリと食べている。束の間の休憩時間には糖分補給をすることが日課になりつつあった。
これからも安心して利用してもらえるように、きちんとした声明を出すべきではないか。そんなことを話し合いながら一日の業務を終えて、アラセリスは買い物をしてから寮へ戻ることにする。
六月の下旬には夏至がやってくる。これから本格的な夏になるが、アラセリスはザカルディアの夏服をほとんど持っていない。
(私が持っている私服だと逆に目立っちゃうから、一般的な普段着が必要だわ)
平日は郵便局の制服を着用しているため特に気にしたことはなかったが、休日はそうもいかない。限られた服を着まわしている状態なので、手頃なものを揃えておきたい。
王都にあるブティックの閉店時間まで残り一時間ほど。大分日が長くなったため、少し買い物をしても安全に帰れるだろう。
街を歩いている女性は軽やかな素材の服を着用している。機能性重視でありながらおしゃれな柄物も多く、華やかな印象が強い。
髪をまとめる髪飾りもあったらいいかもしれない……などと考えているとき。背後から「危ない!」という声をかけられた。
「え……、きゃあっ!?」
振り返ったアラセリスの目の前に、暴走している馬車が近づいてきた。御者の制御が効かず、馬が歩道を乗り上げている。
(逃げなきゃ……!)
人は驚きすぎると頭が真っ白になるらしい。この場からすぐに離れようとするが、足がもつれてうまく走れない。
「そこのあんた、早く逃げろ!」
近くにいる人々から叫ばれた瞬間、アラセリスは死を考えた。
(このまま死んでもいいかもしれない)
その方がすべて丸く収まるのではないか。
自分がどこの誰かもわからないのに竜王の義妹として育てられたのは、とても幸運なことだった。義兄にとって自分はきっと、利用価値があったのだろう。
いつか見つかるかもしれない番を深く知るために、手元に人間の女児を置いておく。観察対象としてアラセリスは育てられたのだとわかっている。
そして尊敬する義兄に番が見つかり、恩に報いるために番の替え玉になった。
マリアンネの死を偽装した罪から逃げて、国民を騙してリーンハルトを傷つけた罪からも逃げて、たどり着いた街で新たな人生を送りはじめていたら元夫が現れた。
もうこれで終わりにしてもいいのではないか。
諸々の罪が明らかになる前に、今度はアラセリス・アリアスという人生に幕を閉じた方が……。
「ぼけっとするな!」
「……っ!」
細い路地に引きずり込まれて、誰かに身体を抱き寄せられた。
強い衝撃を感じる。石畳に倒れこんだが、不思議と痛みは感じない。
「え……な、に?」
気づけばアラセリスは誰かに強く抱きしめられていた。運よく路地に連れ込まれたおかげで、馬車と衝突せずに済んだようだ。
「大丈夫か!?」
「誰か、医者を!」
大通りでは人々の騒がしい声が聞こえてくる。だがそれ以上に、アラセリスはドクドクとした心音を感じていた。
誰かに強く抱きしめられている状況がうまく飲み込めない。助けられたということだけ理解した。
「はあ……怪我はないか」
その声には聞き覚えがあった。ひと際大きく鼓動した心臓を宥めて、アラセリスはゆっくりと顔を上げる。
「……殿下?」
助けてくれたのはリーンハルトだった。騎士の制服を着ていることから、この辺りでなにか用事があったのだろう。
自分に怪我がないかを確認する。膝を少し擦りむいただけで済んだようだ。血が滲んでいるが、大した怪我ではない。
暴走馬車は歩道の中央で横転している。路面店にぶつからなくてよかったと思うべきだろう。近くにいる人々が御者に声をかけているが、幸い意識があるようだった。
「擦り傷程度のようだな。頭は打ってないな?」
「大丈夫です。私より殿下は?」
「俺は問題ない。受け身をとることには慣れている」
王族は幼少期から身の守り方を身に着けている。護身術を習う頃に剣の扱いも叩き込まれると、以前本人が言っていた。そして第二王子以下は騎士団に入団することが多いそうだ。
アラセリスは安堵の息を吐いた。突然巻き込まれた事故のせいで、リーンハルトが怪我を負ったら大変なことになる。
「あの、助けてくださってありがとうございました。殿下はどうしてここに」
「用事があって近くを通りかかっただけだ。それで君はさっき、なにを考えた?」
鋭い眼差しがアラセリスを射貫いた。まるで先ほど、生きることを諦めたのを見破られたようで、途端に居心地が悪くなる。
「な、なにも……びっくりして死を覚悟しただけです」
「俺には逆に見えた。君は一瞬でもこのまま死んでもいいと思ったんじゃないか」
「……はい?」
アラセリスは咄嗟に笑顔で本心を隠す。
「まさか、そんなことは思ってませんよ」
「人は本当のことを隠すときは笑うそうだ。普通は失礼なことを言われたら、怒るか機嫌を悪くする」
「……」
笑ってごまかすのは不自然だったようだ。せめて困惑した顔を浮かべるべきだったが、余裕がない自分に気づかされて眉を顰める。
「……助けていただいたことには感謝しています。ですが、たとえ本心ではそう思っていたとしても、殿下には関係ありません」
「関係はある。俺は君がマリアンネと繋がっているんじゃないかと疑っている」
「……は?」
耳を疑う発言だ。アラセリスの頭が真っ白になった。




