当たり前の基準
私のおじいちゃんはいつもニコニコしている
何でもないことにもいつもありがとうと嬉しそうにいう
私が会いに行くだけでいつも感謝される
私は別にそんなすごい存在でもないのに、丸でスターが家に来たみたいにもてなしてくれる
おじいちゃんはおじいちゃんらしい趣味がある。盆栽だ。その盆栽にいつもありがとねと声をかけている
ある雨の日おじいちゃん家に遊びに行った帰り、空が晴れたら空に向かってありがとねと言っていた
私もおじいちゃんみたいな人になんとなくなってみたいが、そんな感謝したいことがない。おじいちゃんみたいに空が晴れてありがとうという気分にならない
ある日、仕事でミスをした。大きいミスだ。たるんでいると怒られた。凹んだ。都会の様々な不満が噴き出してきて、もうなにか嫌になった
気づけば夜行列車に乗り、おじいちゃんの家に来ていた
おじいちゃんは突然来た私をありがとねと言って家に入れてくれた
おじいちゃんは何も言わなかった。だから私が逆に聞いた
「おじいちゃんはなんでそんなに感謝できるの?」
おじいちゃんは笑いながら教えてくれた
「当たり前の基準が低いんだよ。当たり前の基準を下げると感謝で埋まるんだ」
私は不意に気になって聞いてみた
「昔からそうなの?」
おじいちゃんはおばあちゃんの遺影を眺めながら少し力なく笑った
「失ってみて気づくことがあるんだよ」
おじいちゃんはそういうと台所に立った
私は当たり前の基準が高かったのかな?
おじいちゃんの作ってくれた筑前煮を食べながら考えていたが、言わなければいけないと思っていった
「おじいちゃんありがとう美味しかった」
おじいちゃんは笑ってこちらこそと言った




