仕事④ー2
次の日も覚田は呑みまくっていた。
一杯呑んでは、ため息を吐く。そして虚ろな目で酒を注ぎ、一気に呑み干す。
機械的に酒を体内に移動させ、内臓を漬け込んでいく。
正に自ら死に向かって行っているようだった。今回は了承を得ずに隣に座る。
そして同じものを注文し、ゆっくり呑む。
横目で眺めてみると、色々気づいたことがある。
やや茶色がかった瞳。歪に絞められたネクタイ。お猪口を持ちながら、人差し指で軽く叩く癖。あの頃と変わらない腕時計。
「何だよ。」
「おや、失敬。」
おっと、見過ぎたようだ。これで警戒されては本末転倒だ。
「ほら。」
徳利を振って合図する。
「ああ、どうも。」
「違―よ。」
注いでくれるのかと自分のお猪口を差し向けてみたが、断られた。見ると徳利とは別の手にはお猪口が握られている。要するに「注げ」ということだ。
「はいはい。」
期待外れに呆れながら、注いでやった。
覚田は礼も言わず、一気に呑み干す。
「はあー。んで、そっちはどうなんだ?」
下から覗き込むように問いかけられる。
「『どう』って何が?」
「何か面白い話はないのかよ。」
「そうそう面白い話は転がってねーよ。だが、そうだな。ある心理テストをしようか。」
そう言い、心理テストを始めるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――
「彼はどこにでもいる普通の子供だった。スポーツも勉強も突出したところはなく、かと言って極端に劣っていたところもなかった。極々普通の少しいたずら好きな、どこにでもいる子供だった。」
「何だよ。どっかの小説か?」
「まあ、まずは聞けや。」
茶々を入れた覚田を制して話を続ける。
「ただ、突然、彼の人生を変える出会いをする。それは高校の入学式。地域の、平均よりはやや偏差値の高い高校だった。彼は緊張していた。中学時代とは比べ物にならない数の学生や教員達。広大な校舎。圧倒され、校門の前でたじろいでいた時に隣を迷いなく、颯爽と歩いて行った同級生の女の子に一目惚れをした。彼女の長い髪、整った顔、何よりも堂々とした立ち振る舞いに心を打たれた。」
「妙にリアルだな。」
「そうだな。」
(だって俺自身の人生だからなって言える訳ないけどな…)
「それから彼は努力をした。勉強もスポーツもそして見た目にも気を遣った。以前から知っている人には『高校デビューか?』と野次られたこともあったが気にしなかった。そんな頑張りもあり、付き合うことになった。」
「おっ良かったじゃん。」
覚田も話にのって来る。
「大学も同じ大学に入り、就職して数年で結婚した。子宝にも恵まれ、出世もした。優れた後輩にも入社し、成長している。」
自然と覚田への視線が柔らかくなる。
「だが、そこに一つ大きな問題があった。それは仕事量だ。仕事内容は好きだったし、その分給料は貰っていた。しかし、残業がデフォルトになっていた。気づかぬうちに体を蝕んでいた。そして、過労死した。」
「……。」
覚田は押し黙る。信悟の意図するところを察し始めたのだろう。そして決定的な問いをする。
「彼は、彼の人生は幸福だったのだろうか?そして、彼の家族、後輩に罪はあるのだろうか?」
覚田はすぐには答えず、右手を顎に当てる。以前と変わらない覚田が考える時の癖だ。
数分の沈黙の後、ゆっくりと落ち着いた口調で回答をする。
「勿論、過労死はあってはならない重大な事件だと思います。ただ、彼が幸福であったかは私には分かりません。仕事も好きだったということだし、プライベートも充実していた。でも、それを“彼の幸福かどうか”を判断できる程、彼のことを知らない。もっと言えば彼の幸福を他人の物差しで測るべきじゃない。」
白黒ではなく、ぼんやりとした答えだったが、何とも覚田らしいと感じた。
「そうか。少なくとも、私には彼が不幸であったとは思えないんだよ。それで、もう一つの問いの答えは?」
「まず、彼の家族は言うならば“被害者”です。罪があるはずがない。」
「そうだね。じゃあ…。」
そう回答を促すと、目の前の徳利を一点に見つめる。そして意を決して、お猪口に注ぎ、勢いよく呑み込んだ。
「俺はっ!!先輩が死ぬなんて思っていなかった。仕事を楽しそうに、辛いことも『大丈夫、俺が手伝うから』って何度も何度も助けてくれた。その姿に憧れてたんだ。だから、先輩の残業が増えていたことも昨日と同じスーツを着たまま出社していることも気づかないフリしてた。きっと先輩なら大丈夫だろうって。楽しそうにしているんだから邪魔したらダメだって。俺にとってはヒーローだったから。でも、先輩も人間だったんだ。あの日、あの時――。」
「長い。」
「っ!!」
呑んだ酒以上の涙を流し、自分の世界に閉じこもっていく覚田に心を鬼にして冷たく返す。
「長い。良いか、俺が聞いたのは『後輩にも罪はあるか?』ということだ。イエスかノーかの問いだ。長々とお前の人生について語れ、何て言っちゃいない。どっちなんだ、イエスか?ノーか?」
「罪は、あると思います。」
「そうか。罪があるとして、その罪とやらでの被害者は誰で、どんな被害だ?」
「そんなの決まってる。先輩が死んだじゃないですか?」
「“彼”な。でも、彼は仕事が好きだった。忙しい中でも、楽しさを見つけ、働くことに誇りも持っていた。お前はその楽しさや誇りまで奪うのか?それが善だと?」
「…それでも死ぬべきではない。」
「それはあくまでも結果論だ。例えば、プロ野球選手はシーズン終盤になると、体のどこかに不調を抱えているものだ。それでも次の日には試合がある。多少の不具合は技術や肉体でカバーしている。不調があるからと全員休ませれば、試合はできない。」
「それは詭弁だ。俺たちはプロ野球選手じゃない。怪我を隠している選手もいるだろうし、チームが完全に管理するなんて不可能だ。」
「そうなんだよ。全部“自己責任”なんだよ。悲しいけどな。それに好きなことを全力でやって死んだんだ。何の後悔もないだろ。」
「でも、でも、俺は誰かに裁かれなければ、この罪の意識はどうしたら良いんだ。」
「知らねーよ。」
感情的になる覚田とは反対に信悟は努めて冷静に話す。グラスをゆっくりと回すと、氷が当たる音が響いた。
「お前は頑張ってたよ。仕事もプライベートも両方手を抜いていなかった。だから断言してやるよ。後輩に、お前には罪はない。」
「で、でも…。」
「自分が許せないか?」
肯首する覚田。グラスから視線を覚田に向ける。
「なら、俺が裁いてやる。悪いが俺は裁判官や神じゃねー。亡霊や物の怪の類だ。楽になれると思うなよ。」
息をのむ覚田。立ち上がると自然と覚田を見下ろす状態になる。
「その罪を死ぬまで抱えるつもりはあるか?」
「え?」
「その罪を永遠に抱えながら、同じような事が起きないように、そして今まで通りに仕事もプライベートも全力で。辛いですよ。誰からも裁かれず、自らを律し続けなければならないのは。続けるも、辞めるも全部お前次第。嫌なら辞めれば良い。ただ…」
「ただ…?」
「ただ、願わくはお前の見るものが、聞くものが、触れるものが、感じるものが、ほんの少しでも美しく、心地よく、そして何より後悔しないものであらんことを。」
そう言い終わると、そのまま扉へ向かう。
「俺っ!」
覚田の意を決した叫びに信悟が振り返る。
「俺っ!頑張るから。頑張って、これからより良く生きられるようにするからっ。」
その宣誓に思わず笑みが漏れてしまう。
「そうか!頑張れよ!精々死なない程度にな。」
自虐も込めたアドバイスを残し、暖簾をくぐった。




