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インビジブル・ラブ  作者: BUTAPENN
後日談
48/48

(7)


 婦人警官に付き添われてパトカーに乗り込む小野寺美春を見送っていると、西島課長が近づいてきた。

「今、連絡があった。おまえが言ったとおりの場所を掘ったら、白骨が発見されたそうだ」

「ありがとうございます」

「なぜあそこに死体があるとわかったのか、俺の納得のいく報告書が書けるまで、帰れないと思えよ」

 課長を乗せた車も行ってしまい、人だかりのしたカラオケ店の前には、俺と愛海が残された。

「美春さん、何かの罪に問われるのかなあ」

「いや、刑法には親族の特例というのがある。実の母親が殺人を犯したことを子どもが黙っていても、罪にはならない。せいぜい、死体が埋まっているのを届け出なかったことで、軽犯罪法違反に問われるくらいだ」

「さすが警部補だね。頭いい」

「うるせえ」

 夜空を見上げると、小野寺美春の母親の幽霊が浮いていた。娘の行方が心配で、俺についてきたのだろう。

「というわけで、美春はだいじょうぶだ。安心しろ。あの世への行き方がわからなければ、年じゅう釣りをしてる太公望って爺さんがいるから、そいつに教えてもらえ」

 女はうなずいて、そして微笑んだように見えた。そして、ネオンが煌々と照る夜空に霧のように薄くなって、消えてしまった。

「……淳平」

 俺の横顔を熱っぽく見つめる愛海の視線を感じる。「思い出したんだね」

「認めるしかないな。幽霊の気持ちも結婚詐欺師の気持ちも、まるで経験したみたいにわかっちまうんだから」

 上着のポケットに突っ込んでいた両手を出して、じっと見つめた。「けど、やっぱり、俺は水主淳平にはなれない。この身体は水月俊平の身体で、これはやつの人生なんだ」

「うん、わかってるよ」

 愛海は晴れやかな笑顔で、うなずいた。

「ちゃんと間違えないように呼ぶから。『俊平』。うう、まだちょっと慣れないけど」

「今夜は、寝ないで練習させてやるよ」

「なんだか、目がエロい」

「悪かったな。生まれつきだ」

 俺は愛海を腕の中に引き寄せ、有無を言わせずキスした。

「むーっ。む、むむーっ」

 愛海は手をばたばたさせて、抗議している。

 ふと、大勢のやじ馬が、固唾を飲んで俺たちを見つめているのに気づいた。しまった。幽霊じゃなくなった俺の姿は見えているんだ。

 繁華街のど真ん中、黄色いバリケードテープが張られた事件現場で刑事がキスをしているなんて、前代未聞の始末書ものだった。


 目を覚ますと、デブ猫がぬーっと俺をのぞきこんでいた。

「ああ、目覚めて最初に見た顔が、こんなデブ猫じゃ、起きる気もしねえな」

 悪態をつくと、フー公は「ぶみっ」と文句を言いながらも、うれしそうに身体をすりつけてくる。

 布団のすぐ隣では、愛海が明け方の深い眠りの中にいた。

 赤みの差したなめらかな頬、端にうっすら白く乾いたよだれがついているピンクの唇。触れようと手を伸ばして、やめた。もう少し、このまま眺めていたい。

 二年間いっしょに暮らしたあいだに知り尽くした身体だと思っていたのに、霊指ではなく本物の手で触れるほうが、何十倍もすばらしかった。

「うーん」

 俺の視線を感じたのか、愛海がうっすらと目を開けた。

「じ……しゅんぺい」

「ダメだ。もう一度」

 あれだけ夜どおし呼ばせたのに、やっぱり、まだあと一時間くらいは練習が必要なようだ。

 俺は布団を引き剥がして、そっと彼女に覆いかぶさった。


「奥さん。今朝の目覚ましは、三秒で止まったなす」

「あいや、いっしょの部屋に寝てたんだべか」

「ほんだな。あの堅物の俊ちゃんも、そんたな年になったんだな」

 近所の人たちが、ひそひそと遠巻きに見物している中を、俺と愛海は身の縮むような思いで車に乗り込み、署に向かった。

 アパートの周りは、俺のことを子どもの頃から知っている人ばかりだ。さすがに、あまり悪いことはできないな。

 俺がこうして今生きていられるのは、水月俊平の魂が死に、この身体を俺に残してくれたからだ。

 そう思うと、申し訳なかった。俺には、そんな資格はない。やつの順風満帆なエリート人生を、泥まみれの犯罪者の俺が、そっくり横取りしてしまったのだ。

 せめて俺ができることは、やつが生きていたら歩んだはずの人生を、手を抜かずに生きることだけだった。

 署に着くと、橋口の東京への移送が決まったことが知らされた。こちらでの罪は軽微なこともあって、書類だけの送検になるらしい。

 愛海が盛岡に転任してきてから、ずっと続いていた忙しい日々は、ひとまず終わりになるようだった。いまだに引越し荷物のほとんどは、ほどかれていない。今のうちに行動を起こしたほうがよさそうだ。

「課長」

 俺は、刑事一課の西島課長のデスクの前に立った。

「小潟刑事が男子寮から出るので、許可をいただきたいのですが」

「だが、女子寮の空きはないぞ。あては――」

 言いかけて、課長は俺の笑みを見て、言わんとしていることを察してくれた。

「俺もいっしょに出ます。もうふたりとも、独身寮にはいられませんから」


 あくる日の勤務明け、俺は自分の家に寄り、祖父に小野寺美春の事件の顛末を話した。

 ああ、おこがましく『自分の家』と言ってはいけないのかもしれない。けれど、子どもの頃のことは、うっすら覚えている。じいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、中学までは父も母の発掘旅行もそれほど頻繁ではなく、沙知ねえちゃんもまだお嫁に行っていなかった。

 俺は家族のことが大好きだった。俊平のその記憶がある限り、ここはやはり俺の家なのだ。

「近々、寮を出ることにした」

 俺の報告に、祖父は予想していたとばかりうなずいた。

「すぐに、いっしょに住む?」

「本当はそうしようと思ってたけど、課長に四月まで待ってくれと止められた。次の辞令で俺が市内の別の署に異動になると思う。そしたら籍を入れる」

「そうか。よかったな」

 愛海は、ばあちゃんと台所でなにやら、きゃあきゃあとしゃべりながら、夕飯のしたくを手伝っていた。

「それと、もうひとつ大事な話がある」

 俺のこわばった声を聞いて、祖父は書机から向き直った。

「俺は本当は――」

「俊平ではないということか」

「え?」

 くらっと目まいがしたかのように、視界が揺れた。

「気づいてたのか」

「事故のあと目覚めたおまえを見て、康彦たちと一度そんな話をした。ばあさんも沙知も、口には出さんが、何かを感じてはおるだろう」

「そうか」

「第一、おまえの盛岡弁は下手すぎる」

 祖父はそう言って、愉快そうに笑った。

 俺は居住まいを正して、まっすぐ祖父を見つめた。

「すまない」

「なぜ、あやまる。きみが俊平の命を奪ったのか」

「違う。俺は殺されて、行き場のない幽霊だった。植物状態になっていた俊平の身体の中に、偶然入り込んだんだ」

「俊平の魂は、どうなった」

「わからない。たぶん、ダイビング事故のときにあの世に行ったんだと思う」

「そうか」

 祖父は老眼鏡をはずし、指の腹でぬぐった。「それならいい」

「……いいって? あんたはそれでいいのか」

 俺はうめくように答えた。「大事な孫の身体を、見ず知らずの悪党が乗っ取ったんだぞ。俺のことが憎くないのか」

 眼鏡をかけなおし、祖父は俺をまっすぐに見つめた。

「憎いどころか、ありがたいと思っておるよ。本当ならとっくに灰になっていたはずの俊平が、生きて動いている。楽しそうに仕事をし、めんこい嫁こまで連れてきた。わしらのことを、じいちゃんばあちゃんと呼んでくれる。……そんなうれしいことが、他にあろうはずがない」

 せっかく拭いた眼鏡がまた曇っていた。俺はこらえきれなくなって、畳の上に両手をついた。

「俺はこのまま、あんたをじいちゃんと呼んでいいのか?」

「ああ」

「水月俊平として、生きていていいのか?」

「その代わり、うんと幸せになってもらわねば、赦さんぞ」

「……ありがとう」

 ぽとぽとと、畳の上に増えていくシミを俺は見つめたまま、ただ頭を下げていた。


 休みの日、俺と愛海は南三陸の海岸に来た。

 愛海は持っていた花束を海に放り投げて、手を合わせる。そう言えば、俺が殺された現場にも愛海は花を手向けてくれたっけ、となつかしく思い出す。

 この海で、水月俊平はダイビング事故で命を落としたのだ。もしかしてヤツの幽霊に会えるかと期待していたけど、どこにも姿はなかった。

 かつて幽霊だったからだろう、俺の目は、この世にとどまっている行き場のない霊たちを見ることができるみたいだ。

 この能力が刑事として、これからどう役に立つかわからない。もしかすると、見たくない真実まで見ることになるのかもしれない。

 けれど、それが俺に与えられた使命なのだろう。死んでいるにせよ、生きているにせよ、人間はきっと誰かに自分の本当の思いを知ってほしいと願っているはずだから。

 これまでに、回りで失われてきた多くの命をひとりひとり思い浮かべながら、俺も手を合わせた。

「悪いな。この身体、使わせてもらってるぜ」

 初夏の碧い海を見つめながら、どこかにいる本物の俊平に向かって、俺は呼びかけた。「もし文句があるなら、今のうちに言っておいてくれ。ただし、言われても、どうにもできないけど」

 文句は山ほどあるだろうな。

 俺は、たくさんの罪を犯した。たくさんの女をだました。生きる資格のない人間だった。

 それなのに、まっとうに生きてきた男が死に、その身代わりに、悪人の俺はのうのうと生きている。こんな不公平なことはないと、自分でも思う。

「あんたが歩んだだろう人生を、俺があんたの代わりに歩く。それで勘弁してくれないか」

 「お願いします」と愛海が深く頭を下げた。

 南三陸の海は何も答えない。おだやかに、陽光の破片をまき散らしている。

 風が、静かに俺の肌を毛羽立たせながら、吹き抜けていく。


 赦されている。唐突にそう感じた。

 俺は生きることを赦されている。

 俺たちは、たとえどんな境遇にあったとしても、死んでいった者たちから生命を受け継ぎ、生きろと命じられている。


「俊平」

 隣にいる愛する女が、俺に微笑みかけた。

「愛海」

 それだけで、俺には十分だった。






     番外編     終


これで、とりあえず完結します。ご愛読ありがとうございました。


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