鑑定眼、副業する
水道局から届いたハガキが、やたらと赤い。
「最終通知」。金額は1万2600円。
ハガキを持って事務所に入ると、宮田さんが帳簿と電卓を並べて唸っていた。
「宮田さん、これ」
「ああ、来たか。そいつも月末分に入れてある」
こっちを見もせずに言う。
「問題は、そのあとだ」
帳簿がぐるっと回ってきた。
月末の飼料屋への支払いが8万円。電気と水道で2万円弱。
牧場の通帳に残っているのは5万円。俺の手持ちは、カムイボシの頭金で消えた。
「足りないの、5万円ですか」
「5万で済めば上等だ。来月は種付け料の2回目、3万円もある」
来月は来月で、また別の穴が空くらしい。
育成ゲームなら、資金ショートは詰みの一歩手前だ。売却コマンドを押して、1頭手放してしのぐ場面。
現実の売却コマンドは、放牧地でのんびり草を食っている。
「……ツキノシズクを売れば、しばらくは楽になる」
「売りません」
「言うと思った」
宮田さんが電卓を叩き直す。何回叩いても数字は同じだった。
俺も暗算してみた。同じだった。
日雇いに出れば、1日1万円にはなる。日高の相場そのままだ。ただ、朝晩の馬の世話がある。5日も空けたら、牧場のほうが先に倒れる。
どうにもならない。
そう思ったところで、先週の立ち話を思い出した。
近所の三上牧場の三上さん。集荷所の前で、こう言われたのだ。
安く買える若いのがいる。権三郎さんの孫なら見る目もあるだろ、いっぺん見てくれんか、と。
そのときは素人ですよと笑って流した。
流した理由は単純で、金の話が出なかったからだ。
今日は事情が違う。
「ちょっと電話してきます」
「どこにだ」
「金になりそうなところです。たぶん」
三上さんは2コールで出た。
「おう、若旦那か。ちょうどいい、返事が今日中なんだ」
今日中。
こっちの締め切りと、いい勝負だった。
◇
三上牧場は、うちの倍は馬がいる。それでも馬房の屋根は、同じように錆びていた。
柵の前に、その馬は1頭だけ離されて立っていた。
栗毛の1歳牡。小柄で、前脚が少し外を向いている。
お世辞にも、いい馬には見えない。
「120万だとさ」
三上さんが腕を組んだ。50過ぎの、ずっと大声で生きてきた人の声だ。鼓膜に来る。
「見た目がこれだろ。だから安い。今日中に返事する約束で預かってるんだ。断れば返品、買うなら今日決める」
「返品できるの、今日までなんですね」
「そういうことだ」
三上さんがにやっと笑った。
「若旦那、目利きなんだってな」
「先週は、爺さんの孫だからって話でしたよね」
「昨日から変わったんだよ。カムイボシの牧場主が、あちこちで言い触らしてる。若いのに目だけは一人前だ、ってな」
言い触らしてるのか、あの人。
結果で見せろと言った本人が、結果の前に触れ回っている。
「いや、あれはたまたまで」
「たまたまでも何でもいい。ダメならダメと言ってくれ。買うなら鑑定料は弾む」
「触っていいですか」
「好きにしろ」
ポケットの中で、万年筆を握る。
冷たい軸の感触だけが、やけにはっきりしていた。
柵の中に入って、馬と向き合う。
小さな栗毛が俺のパーカーの裾を噛んだ。
「あ、こら」
「腹が減ってるんだろ。噛むのは癖だ」
「服は食い物じゃないです」
引っ張り返しながら、目を合わせる。
視界の端に、光の文字が浮かんだ。
【スピード:C+】
【スタミナ:A】
【パワー:B】
【根性:A-】
【賢さ:B】
【成長タイプ:晩成】
……これ、化けるな。
派手さはない。
スピードはC+で、スタミナと根性が異様に厚い。育成ゲームなら、説明書に「長いところで走らせろ」と書いてあるタイプの馬だ。
距離適性そのものは、まだ視えない。
視えているのは基礎だけ。だから断言はしない。
「買いです」
「本気か。こんなちっこいのが」
「小さいのは、今だけです」
「根拠は」
来た。
鑑定眼で視えました、とは言えない。言ったところで、俺が変な人になるだけだ。
理屈はあとから貼りつけるしかない。卑怯だけどしょうがない。
「胸が深いでしょう。肺が大きい馬の胸です」
「……そう言われりゃ、そうだが」
「気性も素直だし、たぶん、長く走らせる馬です。短いところで使ったらもったいない」
嘘は言っていない。根拠を言っていないだけだ。
三上さんがううんと唸った。
「うちの助手も、今朝この馬を引いて歩かせて言ってたんだ。何周しても脚が減らんってな」
「ほら」
「……同じこと言いやがる」
助かった。裏付けが向こうから来てくれた。
「でもなぁ。120万だぞ。外向のこいつに」
「高いです」
「あ?」
「買うのは賛成です。でも高い」
「向こうは120万と言ってる。値引きは、110までならと言われた」
「それでも高いです」
言ってしまった。
こっちは、他人の金の話をしている。
「去年のセリで、外向の牡の1歳が、90万台で流れてたはずです。見た目で嫌われる馬は、あそこで叩かれる」
「それは、セリの話だろ」
「返品になったら、迎えの輸送費も、預かった分の飼い葉代も、向こう持ちですよね。今日売れなきゃ、向こうはその上で、また買い手を探すことになる」
三上さんが、口を開けたまま止まった。
「……そこまで考えてなかった」
「95万までは行けます。助手さんの感触をそのまま伝えて、脚が減らない馬だけど、見た目で買い手がつかないから、と」
三上さんがしばらく俺の顔を見ていた。
「外れたら、どうする」
言ってから、しまったと思った。
外れたらどうするか、まで、考えていなかった。
「……鑑定料は、返します」
言い切ってから、月末の穴のことを思い出した。もう遅い。
「おう、言ったな」
三上さんは、携帯を出して放牧地の隅へ歩いていった。
遠くから声だけが届く。
「だから外向が! そう、そこだ! 95万なら今日決める! いや、こっちも商売でな!」
……大声の人でよかった。何を言ってるか全部聞こえる。
5分後、戻ってきた三上さんは、笑い方が変わっていた。
「――95万で決まった」
「よかったです」
「25万浮いたぞ、おい」
ばん、と背中を叩かれた。痛い。痛いけど、悪い気はしない。
「鑑定料は弾むって言ったろ。浮いた分の2割で、5万円。取っとけ」
封筒を、押しつけるように渡された。
中身は1万円札が5枚。
「多いですよ。俺、見ただけで」
「見ただけでこれだ。だから払うんだろうが」
断る理由が、どこにも見つからなかった。
牧場の通帳の5万円と、この5万円。10万円ちょうどで、月末にぴったり合う。
「……いただきます」
「おう。近所の連中にも言っとくぞ。ひなたの若旦那は、いい目してるってな」
「言わなくていいです」
「もう半分言った」
三上さんはゲラゲラ笑っている。
封筒を握ったまま、栗毛の小柄な馬を見た。自分の値段が25万下がったことも知らずに、柵の草をむしっている。
鑑定眼って、金になるのか。
馬を選ぶだけじゃなくて、馬の値段にも使える。
◇
夕方、牧場に戻った。
宮田さんは、両手にバケツを下げて馬房の前を歩いていた。
「宮田さん、これ」
封筒を出す。
バケツが地面に置かれた。
「なんだ」
「5万円です。三上さんの馬を見てきました。値切れた分の2割が、鑑定料になりました」
宮田さんは封筒の中を確かめて、それから俺の顔を見た。
「馬を見るだけでか」
「見るだけで、です」
「爺さんも、そんな商売はしなかったな」
褒めてはいない。たぶん。
でも、月末は越えられる。
事務所に戻ると、宮田さんが帳簿をつけ直した。
ペン先の音が続く。空欄だった月末の欄に、数字が入っていく。
埋まるのを見るのは、悪くない。
電卓が置かれた。
湯呑みを持ったまま、宮田さんが黙り込む。
こういう間のときは、たいてい、いい話じゃない。
「……陸」
「はい」
「桜庭が、隣の土地を狙ってるらしいぞ」
「え?」
「吉岡さんの牧場だ。近いうちに、買い取りの話が出るって噂だ」
吉岡さんの牧場は、うちの放牧地と地続きだった。
境の柵は、共用。
そこが桜庭の持ち物になったら。
「……冗談ですよね」
「冗談で言ったことは、ないな」
宮田さんが湯呑みを口へ運ぶ。
5万円で喜んでいる場合じゃなかった。




