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継いだのは借金まみれの牧場でした。でも、馬の才能が視えるので何とかなります  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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御曹司、来訪




『篠宮ファーム』に着くと、見慣れない黒塗りの車が1台、玄関先に停まっていた。

 磨き上げられた車体に、雪解けの泥がまったく跳ねていない。この辺りの農道を走ってきた車には見えなかった。牧場シミュレーションでいえば、いきなり画面端に「大口スポンサー来訪」の通知が出たようなものだ。ろくなイベントの予感がしない。

「うちの父の商談相手。今日来るとは聞いてたけど」

 奏の声が、心なしか硬い。厩舎に向かうつもりだったのに、母屋から呼ばれて応接室に案内される羽目になった。「せっかくだから経営の話を聞かせてもらえ」という、貴之氏からの伝言らしい。本人は商談中で、この場には同席していない。


◇


 応接室のソファに座っていたのは、仕立ての良いジャケットを隙なく着こなした、俺と同世代くらいの男だった。髪型ひとつ乱れていない。着古したパーカーに寝癖という自分の恰好が、急に恥ずかしくなる。

 テーブルの上には、タブレットと分厚い資料の束。表紙には、見たこともないグラフがびっしり並んでいた。

「篠宮さんの、ご近所の方?」

「日向陸です。『ひなた牧場』を継ぎました」

「ああ」

 男の口角が、わずかに持ち上がる。

「『ひなた牧場』? ああ、あの負債だけの」

 桜庭玲司。名刺には『桜庭ステーブル』の肩書きがあった。繁殖牝馬だけで50頭を超える、道内でも指折りの大手だ。地方の中小など、名前を聞いただけで格付けが済んでいる、という口ぶりだった。

「うちの牧場、ご存じなんですか」

「知らないほうが不自然でしょう。北海道の生産界隈で、負債だけ有名な牧場ですから」

 悪意より、事実確認に近い平坦さだった。それがかえって刺さる。ステータス画面で相手の弱点を淡々と読み上げられている気分だ。

「経営、勉強中で。何かアドバイスでも」

 精一杯の社交辞令のつもりだったが、我ながら情けない声だった。

「配合理論はご存じで?」

「……いえ、勉強中です」

「血統は投資です。過去の実績、産駒の成績、市場での評価。すべて数値化できる。サンプルサイズが十分にあれば、成功率は事前にほぼ読める」

 立て板に水、という言葉がふさわしい早口だった。数字を並べる姿は、たしかに堂に入っている。

 ――サンプルサイズって言葉、ここで初めて聞いたな。

 妙なところで感心している自分に気づいて、少し腹が立った。

「感覚や勘に頼る生産者は、いずれ淘汰されます。うちが結果を出し続けているのは、それをしていないからです」

「桜庭さんのところは、それでずっとうまくいってるんですか」

「もちろん。……もっとも、結果でしか語らせてもらえない立場でもあるので」

 一瞬だけ、口調に硬さが混じった気がした。だがそれも一瞬で、すぐにいつもの平静な声に戻る。

「うちの父も、そういう人でね。成果以外は評価しない」

 それだけ言うと、桜庭は話を切り上げるように紅茶に口をつけた。深追いする隙は、もう残っていなかった。

 完璧に見えるステータス画面にも、どこか歪な数値が1つ混じっている気がした。だが、それを確かめる手段は俺にはないし、今はそれどころでもない。

 言葉の刃が、いちいち古い牧場のやり方――じいさんのやり方に刺さる。反論できるだけの材料が、俺にはまだなかった。

「うちも今、繁殖牝馬の入れ替えを検討していましてね。ちょうど、篠宮さんにもその相談で来た」

「入れ替え、ですか」

「血統的な価値が見込めない牝馬は、早めに見切る。情に流されて抱え続けるのが、一番の損失です」

 その一言だけで、こっちの牧場のことを言われている気がして、胃の底が冷えた。

「うちには、繁殖牝馬が1頭います。『ツキノシズク』という」

 黙っていられなくて、つい口を挟んだ。奏が、隣で小さく息を呑んだのが分かった。

「ツキノシズク?」

 桜庭が、初めて興味を示すように片眉を上げる。だが、それも一瞬だった。

「ああ、あの外れ血統。やめておいたほうがいい」

「……知ってるんですか」

「査定資料に名前があった。数字で見れば、配合実績も戦績も平凡以下。そういう血は、何をどう組み合わせても大きくは化けない。……悪いけど、統計上、そう出てるんでね」

 最後の一言だけ、丁寧語が剥がれた。それがかえって、腹の底に重く沈んだ。

 ――お前が視てるのは、その「統計」だけだろ。

 言い返したい言葉が喉まで出かかったが、根拠を口にできない以上、意味のない反論だ。鑑定眼のことを話せば、頭がおかしくなったと思われて終わる。

「参考になりました」

 それだけ絞り出して、俺は応接室を後にした。

 扉を閉める間際、桜庭の視線はもうタブレットに戻っていた。


◇


 軽トラの助手席で、奏は何も言わない。俺も、しばらく口を開く気になれなかった。

 オンライン対戦なら、あれは完全に格上プレイヤーとの初戦だ。装備も資金も、比較にならない。ただし、あいつには見えていないカードが、こっちの手札にはある。

 ――統計は、視えてないものまでは弾かない。

 自分に言い聞かせるように、頭の中で繰り返す。桜庭の言葉は正しいのかもしれない。市場のデータも、過去の実績も、たしかに嘘はつかない。

 だが、鑑定眼が視せた数値は、その「正しい統計」の外側にあった。桜庭が持っている査定資料には、きっとツキノシズクの本当の数値なんて載っていない。あいつが見下しているのは、あくまで「外れ血統」というラベルであって、中身そのものじゃない。

 それだけが、今の俺にとって唯一の勝ち筋だった。

「……感じ悪かったでしょ、あの人」

 助手席の沈黙を破ったのは、奏だった。

「いや、間違ったことは言ってなかったと思う」

「そうだけど。でも、間違ってないことと、感じいいことは別物だから」

 その一言だけで、少し救われる。

 だが、屈辱を引きずったまま牧場に着いた俺を、追い打ちが待っていた。

「遅かったな」

 厩舎の前で待っていた宮田さんが、顔を見るなり本題に入る。

「種付けのシーズンだ。締め切りは来週いっぱい。相手、決まってんのか」

「……まだです」

「悠長にしてる暇はねぇぞ。人気の種牡馬は、早いとこ埋まっちまう」

 桜庭の「情に流されて抱え続けるのが、一番の損失です」という声が、頭の中で蘇る。時間まで、あいつの理屈どおりに動いている気がした。

「あてはあるのか」

「まだです。でも、必ず見つけます」

 宮田さんは、疑わしそうにこちらを見たが、それ以上は何も言わずに馬房の見回りに戻っていった。信じてもらうには、結果を出す以外に方法がなさそうだった。

 悔しさと焦りが、まとめて胸の中で渦を巻く。とにかく金がない。牧場シミュレーションなら、初期パラメータ全部最低値からのスタートだ。攻略サイトなら「非推奨」の赤文字が真っ先に振られる、そういう難易度設定だった。

 それでも、視えているものだけは、誰にも奪えない。

「……見てろよ」

 誰もいない厩舎の暗がりに、声が漏れた。

「絶対、化けさせてやる」


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