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継いだのは借金まみれの牧場でした。でも、馬の才能が視えるので何とかなります  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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20/58

手のひら返しと、圧勝の報せ




  402:名無しの坂路民   東京5Rの14番、誰か説明しろ


  403:名無しの坂路民   まさかの激走だろこれ   単勝314.7倍って何なの


  404:名無しの坂路民   18番人気の馬が大外一気で差し切るとか   夢ありすぎる


  405:名無しの坂路民   あの「記念出走だろ」って書いたやつ息してる?


  406:名無しの坂路民   血統表見て閉じた者です   すみませんでした


  407:名無しの坂路民   まあ展開がハマっただけだろ   前が61秒2で飛ばしてたし


  408:名無しの坂路民   母ツキノシズクは14戦全部1400以下だぞ   2000がもつわけないと思ってた


  409:名無しの坂路民   血統も見直されるかもな、これ


  410:名無しの坂路民   ちなみに「単勝300倍なら100円入れとく」って   書いてたやつ、結局入れたの?


  411:名無しの坂路民   入れてない   まさか本当に来るとは思わなかった


 月曜の夜になっても、俺はひなた牧場の事務所で競馬掲示板のスレッドを眺めていた。  日曜の夕方からずっと伸び続けているスレだ。古いオフィスチェアの後ろからは、奏が覗き込んでいる。


「見て、ここ!」


 宮田さんは事務机の向こうで、日曜の競馬紙を広げている。  広げたまま、さっきから1ページもめくっていない。  興味がないふりをしてるんだろうな。してるよね、宮田さん。


  412:名無しの坂路民   爺さんから継いだんだって   祖父の遺志を背負った若き生産者   燃え展開すぎて草


 燃え展開ってなんだよ。俺は普通に牧場を継いだだけなんだが。


「宮田さん、これ」


 宮田さんは新聞の端を直した。  ページはめくられていない。


「……知らねぇ」


 知ってる。  全部聞こえてる。


  413:名無しの坂路民   にしても単勝314.7倍はひどい   オッズつけた奴全員謝れ


  414:名無しの坂路民   謝るわけねえだろ   18番人気の馬買ってるわけねえ


  415:名無しの坂路民   俺は買ったぞ   100円な


  416:名無しの坂路民   嘘つけ


  417:名無しの坂路民   本当だ   焼肉の約束してる


「あっ」


 奏が声を上げた。


「焼肉!」


「……三上さんだ」


 415番で焼肉の約束って、間違いなくあの人だ。


「陸」


「なんだ」


「3万1470円で焼肉って何人いけるの」


「安い店なら5人」


  418:名無しの坂路民   次走も買いだな   俺は買う


  419:名無しの坂路民   さっそく手のひら返してて草


  420:名無しの坂路民   いいんだよ勝てば官軍だろ


「手のひら返しが早いな」


 低い声で言った。  自分でも驚くくらい静かだった。


「あ、ちょっと待って」


 奏がスマホを取り出した。


「予想サイトのコメント欄見て。これ」


 奏が指さしたのは、コメント欄の1件だった。


「この馬の次走は買い。母系の距離適性は見直すべき。坂で加速できる脚は普通じゃない。牧場は小さいけど馬は本物」


「見た?」


「見た」


「次走は買いだって」


「分かってる」


 分かってる。  俺が一番分かってる。


 でも、読んでるだけで少しだけ嬉しかった。  見ず知らずの誰かが、アサツユを見てくれた。


 宮田さんが新聞を折りたたんだ。  初めて動いた。


「……オーナー」


「はい」


「もう遅いぞ。明日は5時だ」


「はい」


「消せ」


「はい」


 パソコンを落とすと、事務所には外の風の音だけが残った。


 ◇


 火曜の朝、飼い付けを終えて事務所に戻ると、ストーブの前の椅子に奏がいた。  日高の地元紙を広げている。


「陸、これ」


 奏が紙面を俺のほうに向けた。


「先週は1行だけだったんだよ」


 先週の新聞は俺も見た。『アサツユ(牡・父カムイボシ)』の1行だけで、母の名前すらなかった。  でも今日は、紙面の隅にちゃんと記事がある。


 見出しは「18番人気アサツユ 東京で差し切り」。写真はなくて、10行くらいの短い記事だった。


「ツキノシズクの名前も載ってる」


 本当に、母の名前があった。ツキノシズクが14戦すべて1400m以下だったことまで、丁寧に書いてある。  締めは「距離適性は未知数。今後の成長に注目したい」だった。


 記事の行数を指で数えてみた。1、2、3……ちょうど10行だ。  そのすぐ上には、写真つきの大きな記事が載っていた。


 京都新馬戦 テンカザクラ5馬身差圧勝


 日曜に、奏のスマホで見たから知ってる。1番人気、単勝1.3倍の圧勝だった。  好位から楽に抜け出した、と書いてある。記事の分量は、アサツユの10倍はありそうだ。


「テンカザクラ、強かったんだね」


「そうだな」


 テンカザクラを1歳の冬に鑑定したときの数字が、頭をよぎる。


【スピード:A+】【スタミナ:A】【パワー:A+】【根性:B+】【賢さ:A】 【隠れ適性:中距離向き】


 あれから10ヶ月で、あの数字がそのまま結果になった。新馬戦を5馬身差だ。  そりゃそうだよな。あの数字なら、それくらいはやる。


「陸、コーヒー飲む?」


「飲む」


 奏が立ち上がった。


 こっちは10行。悪くない。  悪くないけど、な。


 そのとき、事務所の黒い電話が、ジリリリリと古いベルを鳴らした。


 宮田さんが馬房から戻ってきたところだった。  手を拭きながら受話器を取る。


「はい、ひなた牧場」


「……はい。ツキノシズクは元気です」


「……次の仔ですか。それは、オーナーと相談しまして」


 問い合わせだった。受話器を置いた途端、また鳴る。


「……はい。見学ですか。いつでしょうか」


 これで2件目だ。


 受話器を置いたそばから、またジリリリリと鳴りだした。


「はい、ひなた牧場」


「……はい」


 相手の声が大きくて、受話器からこっちまで漏れてくる。


「……はい。少々お待ちください」


 宮田さんは受話器を手で押さえて、俺のほうを見た。


「オーナー」


「はい」


「お前に代われだと」


「……誰ですか」


「出りゃ分かる」


 受話器を取った。  耳に当てた瞬間、鼓膜が割れそうになった。


『勝ったな! 見てたぞ!』


 三上さんだ。


「はい、聞いてます」


『あの坂の脚は何だ! 18番人気だぞ! 314倍だぞ!』


「314.7です」


『細けえことはいいんだよ!』


 細かくない。  0.7倍分は三上さんにとっては誤差らしい。


『町じゅうに言っといたからな』


「……言ったって、何をですか」


『アサツユのことだよ! ひなた牧場の馬が東京で勝ったってな!』


 ああ、だからか。全部、三上さんが撒いた種だったのか。


「三上さん、それ今朝の電話のことですよね」


『ああ、何件か来たろ?』


「2件来ました」


『そりゃ少ねえな。俺は10人には言ったんだが』


『焼肉な』


「はい」


『日曜だ』


「日曜」


『町のあそこだ。12時集合な』


「ちょっと待ってください、俺の都合は」


『じゃあな!』


 一方的に切れた。


「三上か」


 宮田さんが新聞の上に手を置いたまま聞いてきた。


「そうです」


「何て」


「焼肉は日曜だそうです」


「12時か」


「……なんで12時って分かるんですか」


「あいつはいつも12時だ」


 知ってるのか。


「俺の返事は聞いてませんでした」


「聞くわけねえだろ。あいつはそういう人だ」


 だから言ったろ。  宮田さんの顔にそう書いてあった。


 奏が笑った。  声を出して笑った。


「だって陸、焼肉行くんでしょ」


「行くとは言ってない」


「行くよ」


「なんで」


「三上さんが決めたから」


 決めたからって。


 宮田さんが新聞を折りたたんだ。


「オーナー」


「はい」


「日曜、俺も行くぞ」


「……宮田さんまで」


「行く。あいつの焼肉はでかいからな」


 でかい、って。  焼肉の話をしているのか、三上さんの話をしているのか。


 奏がまた笑った。


「じゃあ私も」


「呼んでない」


「宮田さんが行くなら私も行く」


「なんでそうなるんですか」


「だって焼肉だよ」


 焼肉だよ、で済む話でもないんだが。


 俺は冷めたコーヒーを一口飲んだ。


 三上さんの100円が3万1470円になって、焼肉5人分。


 ……合ってる。  計算は合ってる。


 また、電話が鳴った。


 ◇


 話は2日前の日曜、午後にさかのぼる。


 『桜庭ステーブル』本社棟の3階にある統括の部屋は、静かだった。カーテンは半分だけ開いている。


 玲司は革張りの椅子に座っていた。  背筋を伸ばしたまま、正面のモニターを見ている。


 モニターに映っているのは、京都6Rの2歳新馬、芝2000mだ。  そのモニターの中で、ゲートが開いた。


「スタートしました」


「テンカザクラ、好スタート。3番手につけます」


 好位につけた。予定どおりだ。  玲司はタブレットのペンを一度だけ回した。


「直線に入って、テンカザクラ抜け出します」


 鞭は入らない。騎手が手綱を少し動かしただけで、馬が前に出ていく。


「ゴールイン。1着、テンカザクラ。勝ちタイム2分01秒2。上がり3ハロン、34秒0」


 モニターの中で、ゴールを過ぎたテンカザクラが速度を落としていく。  額の小さな星が、画面の中で揺れている。  父グランクレスト、母ミスティアリア――玲司が自分で選んだ配合だ。


「当然だ」


 口の端がわずかに上がった。本人も気づかないくらいの笑いだった。


 ネクタイの結び目を少し緩めたところで、ドアが叩かれた。


「どうぞ」


 木島が入ってきた。


「統括、おめでとうございます」


「5馬身ですね」


「ああ」


 一礼して出ていきかけた木島が、ドアの前で振り返った。


「そういえば」


「東京の5Rの新馬、ひなた牧場の馬が勝ったそうですよ」


 玲司の手は動かなかった。  東京5Rの出馬表なら、名前だけは見ていた。  見る必要はないと、決めていた。


「18番人気で。うちの若いのが騒いでました」


「単勝300倍超えだそうです」


「では、失礼します」


 木島が出ていった。


 部屋がまた静かになる。  回していたペンが止まって、玲司の眉間に一瞬だけ皺が寄り、すぐに消えた。


「……ふん、まぐれだろう」


 誰もいない部屋に、そう言った。


 玲司はタブレットを引き寄せて、東京5Rのレース映像を探して再生した。


 玲司の目は、14番だけを追っていた。


 残り400で坂にかかる。普通なら、ここで終わる馬のはずだった。


 鞭が入ったところで、14番の脚が変わった。  坂の途中で、加速している。  ペンを持つ玲司の指が止まった。


 玲司は巻き戻して、直線だけをもう一度見た。


 見返したのは、鞭が入って脚が変わる坂の途中だ。  他の馬が芝を掴んで踏ん張っている中で、14番だけが浮くように前に出ている。


 母はツキノシズクで、父は種付け料の安い種牡馬だ。


 それが、東京の芝2000で、坂で加速した。  玲司は考えるように目を閉じ、少しして、もう一度画面を見つめた。  止めた映像の中で、14番はまだ坂を駆け上がっていた。


 前は61秒2で通過していて、流れは速かった。ハイペースの恩恵を受けただけかもしれない。


 玲司はタブレットを伏せて、椅子の背にもたれた。


 ――サンプルは、まだ1つだ。

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