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継いだのは借金まみれの牧場でした。でも、馬の才能が視えるので何とかなります  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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17/55

デビューの日




 スマホの画面に、うちの馬の名前が載っていた。


 『2歳新馬』。東京、芝2000m。18頭立て。

 五十音順の一覧で、アで始まる名前はだいたい一番上に来る。


アサツユ 牡2 父カムイボシ 母ツキノシズク


 その行の右端に、生産者の欄がある。


ひなた牧場


 …………。


 いや、知ってる。うちで生まれたんだから、うちだ。

 知ってるけど、こうやって活字になると、どこか知らない牧場みたいに見える。


 スクショした。

 2枚撮った。



 10月、2週目の木曜日。夕方。

 先生から宮田さんに電話があったのは、1時間前だ。


 出馬投票は22頭。18頭立てだから、4頭は抽選で弾かれる。

 弾かれたら、また別の週に投票し直し。

 うちは通った。


「通ったぞ」


 子機を置いた宮田さんは、それしか言わなかった。

 麦茶を1杯飲んで、もう1杯注いだ。

 2杯目はテーブルに置いたまま口をつけていない。


 ……緊張してたのか、この人。



 9月の頭に、『アサツユ』は『早坂育成牧場』から美浦の厩舎へ移っている。

 馬運車に乗る前、西岡さんが「行ってらっしゃい」と首を叩いた。俺はその横で、ポケットの中の万年筆を握った。

 3行目の【隠れ適性】は、空白のままだった。


 あれから1ヶ月。

 俺はまだ1回も美浦に行っていない。行っていいとも言われていない。


 画面を横にスクロールする。


 騎手の欄に「須賀」とあった。

 知らない名前だ。


「先生とこの若ぇのだ」


 宮田さんが俺の肩越しに画面を覗いた。


「先生が乗せたいって言うんなら、それでいい」


「上手いんですか」


「これからだ」


 それ、答えになってない。


 さらにスクロールする。

 予想オッズ、という欄があった。


 一番人気の馬が2.1倍。

 アサツユは、18頭の18番目だった。


 287.4倍。


 一覧では一番上。

 オッズでは一番下。


 ……知ってた。いや、知らなかったけど、知ってた。



「通った!?」


 事務所の戸が開いて、奏が入ってきた。

 作業着に長靴のまま。仕事上がりに、そのまま寄ったらしい。


「通った」


「よかったぁ……」


 奏はその場にしゃがみ込んだ。

 それから立ち上がって、テーブルの上の麦茶を飲んだ。宮田さんの2杯目だった。


 宮田さんは何も言わなかった。

 自分で注いで、一口も飲めなかった麦茶だ。


「あ、そうだ。これ」


 奏が作業着のポケットから、折りたたんだ新聞を出した。日高の地元紙だ。

 広げたのは2歳馬の特集のページ。


 一番上に、でかい写真があった。

 水色の馬着。額に小さな星。


今期の目玉 『テンカザクラ』 日曜・京都でデビュー予定


 見出しの下に、記事がびっしり3段。

 父『グランクレスト』。母『ミスティアリア』、重賞3勝。桜庭ステーブル生産部門統括のコメントは、ひと言だけだった。


「当然、勝ちにいきます」


「……当然、ね」


 声に出したのは俺だった。


 桜庭さんだ。

 早坂の駐車場でも、電話で同じ言葉を言っていた。もっと低い声で。


「馬に当然もクソもあるか。走ってみなきゃ分かんねぇ」


 宮田さんが鼻を鳴らした。

 珍しく長い。たぶん、俺より先に腹を立てている。


 日曜の京都。

 しかも、京都の2000。

 うちが雨と内回りで蹴ったほうだ。


 同じ日の、同じくらいの時間に、向こうは西で走る。


「……で、うちは」


 奏の指がページの一番下に降りていく。

 今週デビュー予定の主な日高産馬、という欄。馬の名前が8頭、1行ずつ並んでいる。


 その5番目。


アサツユ(牡・父カムイボシ)


 以上。

 母の名前すら載っていない。


「1行だね」


「1行だな」


「写真、テンカザクラだけで半ページあるよ」


「半ページだな」


 奏が新聞を睨んだ。

 睨んでも、行は増えない。



 俺はスマホに戻った。

 出馬表の下に、掲示板へのリンクがある。


 見なきゃいいのに、見る。


  312:名無しの坂路民

  東京の新馬、メンツ地味だな


  313:名無しの坂路民

  アサツユって何


  314:名無しの坂路民

  父カムイボシ。誰


  315:名無しの坂路民

  母ツキノシズク、14戦全部1400以下

  それでなんで2000に出すんだよ


  316:名無しの坂路民

  ひなた牧場ってどこ


  317:名無しの坂路民

  日高の個人牧場。HPが5年前で止まってる


  318:名無しの坂路民

  記念出走でしょ


  319:名無しの坂路民

  単勝300倍なら100円入れとくわ(入れるとは言ってない)


  320:名無しの坂路民

  血統表見て閉じた


 ……閉じるなよ。

 あと、HPは知ってる。更新の仕方が分からないんだよ。


 14戦、全部1400以下。

 それ、俺が宮田さんに言ったやつだ。2000に出す理由として。


 同じ数字を見て、向こうはページを閉じた。

 俺はレースを決めた。


「……なにこれ」


 奏の声が1段低くなった。

 いつの間にか、俺の横から画面を覗き込んでいる。


「記念出走って何。誰が書いたの、これ」


「名無し」


「知ってる! 全員名無しじゃん!」


 奏の指が画面の上で止まっていた。

 スクロールもせずに、「血統表見て閉じた」の行を見ている。


「……悔しいね」


 悔しい、か。

 悔しいのかな、俺。


 テーブルの下で、ポケットの万年筆に指が触れた。


 最後に視た数字は、全部覚えている。

 スピードA+。スタミナA+。根性A+。

 この掲示板の誰も知らない数字だ。


 14戦全部1400以下の母が、本当は中距離向きだってことも。

 知ってるのは、たぶん世界で俺1人。


 …………。


 あ、駄目だ。

 口の端が上がる。


「……なんで笑ってんの」


「いや」


 だって。

 一番下だぞ。


 ゲームなら、一番下から始めたキャラが一番楽しい。伸びしろが全部こっちのもんだ。

 新聞の1行も、287.4倍も、記念出走も、閉じられた血統表も。

 まだ1回も走ってない馬につけられた値段だ。


「上等だ」


 声に出していた。


「全部ひっくり返してやる」


 事務所が静かになった。


 奏がぽかんと口を開けている。

 宮田さんの手がコップに伸びて、空なのに気づいて止まった。


「……お前、そういうこと言うやつだったか」


「今のは、なしで」


「もう聞いた」


「聞いた聞いた。録っとけばよかった」


 奏が笑った。さっきまで新聞を睨んでいた顔のまま、笑った。

 それから新聞を折り直した。


 テンカザクラの写真が内側に入って、一番下の8行が表に来るように。


 言うんじゃなかった。

 でも、撤回はしない。


 ◇


 土曜の朝、4時半。

 外はまだ真っ暗だった。


 ポケットには、宮田さんが調べてきたメモが1枚。

 千歳から羽田の一番安い朝の便と、府中のビジネスホテル。シングル2部屋、1泊。

 字はFAXより読みにくい。


「宮田さんの分も、俺が出しますよ」


 メモを受け取りながら、そう言ってしまった。

 言ってから、通帳の残高が頭をよぎる。


「俺の分は俺が出す」


「でも、うちの馬の用事ですし」


「オーナーに旅費出させる厩務員がいるか」


 そこから先は、何を言っても聞かなかった。

 ……助かった。

 オーナー、2回目。まだ慣れない。


 牧場の朝夕の飼い付けは、三上さんに頼んだ。


『おう、2日だろ。任せとけ』


 電話の向こうの声がでかい。スマホを耳から離しても聞こえる。


『その代わり、単勝100円買ってこい。100円だぞ。1000円じゃねぇ』


「なんで100円なんですか」


『当たったら焼肉な』


「当たったら、って言いましたね今」


『言ってねぇ』


 言った。

 地元の目利きの噂を広めた人ですら、100円だ。


 シズクの馬房に寄る。


「行ってくる」


 シズクは乾草から顔も上げなかった。

 知ってた。



「――陸!」


 軽トラの横に、奏が立っていた。

 懐中電灯を持って、作業着の上にダウンを羽織っている。


「見送りじゃないから。朝の見回りのついで」


「篠宮ファームの見回り、うちの前通るっけ」


「通る。今日から通る」


 通らない。


「土曜はうち、2歳の出荷があって抜けらんないの。だから明日の朝イチの便で行く。パドック、ちゃんと場所取っといてね」


「分かった」


「あと、帽子かぶってたら、アサツユにつつかれるからね」


「パドックの外から、どうやってつつくんだよ」


「あの子ならやる」


 ……やりそうなのが怖い。


 奏は懐中電灯で軽トラの荷台を照らして、それから俺の顔を照らした。

 眩しい。


「行ってらっしゃい」


 西岡さんと同じ言葉だった。

 声の明るさは、だいぶ違ったけど。



 運転席に乗り込む。

 助手席の宮田さんから、防虫剤の匂いがした。

 見たことのない紺のジャケットを着ている。先代の葬式でも、これだったかもしれない。


 エンジンをかける。

 ライトの先に、牧場の柵と、裏の坂が浮かんで消えた。


 国道に出て、しばらく誰も喋らなかった。


「……先代が見たら、なんて言うかな」


 宮田さんが、窓の外を見たまま呟いた。


 分からない。

 俺は爺さんが馬の前で何を言っていたのかも、ろくに知らない。


「宮田さんは、なんて言うと思うんですか」


「知らねぇ。だから聞いた」


 ずるい。


 しばらくして、宮田さんがもう一度口を開いた。


「たぶん、なんも言わねぇな」


「え」


「なんも言わねぇで、一晩中馬の前に立ってる。そういう人だった」


 シズクのお産の夜にも、同じ話を聞いた。


 ポケットの上から、万年筆をなぞる。

 これを握って、爺さんは何を視てたんだろう。

 俺と同じものか。それとも、まだ空白の3行目の中身まで、全部か。


 信号で止まったとき、スマホが震えた。

 奏からだった。


『予想オッズ更新。まだ一番下』

『あと三上さん、もう焼肉屋の予約の話してる』


 ……100円で。


 画面を伏せる。

 アサツユまで、あと1日。



 ――いよいよ、デビュー戦だ。


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流石に自分も買っとくかな?1万は買いすぎとしても千くらいは
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