⑪ ラスト対面
神谷は日記帳を閉じると、すぐに部屋を出た。
これ以上、聖女の私室にいては思考が内側へ沈む。
答えは揃った。
少なくとも、揃いすぎるほど揃ってしまった。
廊下へ出ると、昼の城はいつも通り動いていた。
侍女が花瓶を運び、兵士が交代し、文官が書類束を抱えて走る。
誰も笑い、誰も苛立ち、誰も日常を疑っていない。
その光景が、神谷には異様に見えた。
この城の中心に、理解されるほど強くなる何かがいる。
それでも皆は平然と暮らしている。
いや――
平然と暮らせてしまうように、整えられているのか。
神谷は足を止めず、中央階段を上がった。
玉座の間。
最も人の視線が集まり、
最も“王”が濃くなる場所。
扉前の衛兵が彼を見るなり、わずかに緊張した顔をした。
第6話以来、神谷は王へ無礼を働いた危険人物でもある。
「……勇者殿」
「通る」
短く告げると、衛兵は逡巡しながらも扉を開いた。
重い扉が左右へ開く。
高い天井。
赤い絨毯。
列柱の間に並ぶ貴族たち。
窓から落ちる昼の光。
そして、その中心。
玉座に王がいた。
完璧な姿勢。
乱れのない衣。
穏やかな表情。
まるで朝からそこに座っていたかのように、自然だった。
だが神谷には分かる。
自然すぎるのだ。
王は神谷を見ると、ゆっくり微笑んだ。
「何か、分かったか?」
柔らかな声音。
冗談めいた問い。
周囲には、勇者へ親しげに声をかける寛大な王にしか見えないだろう。
だが神谷の背中を、冷汗が伝った。
この問いは偶然ではない。
聖女の部屋へ入ったこと。
祈祷書を読んだこと。
日記の最後の頁を見たこと。
ここへ来るまで考え続けたこと。
それら全部を知った上で、問うている声だった。
(こいつは知っている)
神谷は玉座の間を見渡した。
貴族たち。衛兵。侍従。
誰も異常に気づかない。
誰も、王の笑みの奥にあるものを見ていない。
いや、見えていても“王らしいもの”として処理される。
それがこいつの本質だ。
王は指先で肘掛けを軽く叩いた。
「顔色が悪いぞ、勇者」
「城の謎遊びもほどほどにせぬとな」
笑いが起きる。
周囲の貴族たちが追従するように口元を緩めた。
神谷だけが笑えない。
その一言で場の空気まで最適化した。
緊張を和らげ、王の余裕を演出し、神谷を子供じみた存在へ位置づける。
あまりにも滑らかに。
(ずっと、見ていた)
神谷が疑い始めた時から。
記録庫へ入った時も。
私室を調べた夜も。
聖女の部屋で文字を読んだ今も。
監視者としてではない。
認識の中心として。
人々の見るもの、語るもの、考えるもの。
その総体の中に、常にこいつはいる。
王は身を少し乗り出した。
「それで?」
「答えは出たか」
神谷は初めて、本気で理解した。
これは権力者ではない。
狂人でもない。
黒幕ですらない。
対話そのものが罠になる相手だ。
言葉を交わせば、理解が深まる。
理解が深まれば、形を与える。
神谷は拳を握りしめ、何も答えなかった。
王は満足そうに微笑む。
「……賢いな」
その一言だけが、玉座の間のざわめきよりはるかに冷たく響いた。




