⑬ ラスト
夜の王宮は、昼とは別の建物になる。
人の声が消え、命令の響きも絶え、広い回廊には風の音だけが通る。
燭台の火は小さく揺れ、壁に長い影を伸ばしていた。
神谷は一人、玉座の間へ戻っていた。
衛兵も下がらせた。
止める者はいない。
勇者という肩書きは、こういう時だけ便利だった。
巨大な扉を押し開く。
軋む音が、がらんとした空間に吸い込まれていく。
昼間あれほど人で埋まっていた広間は、今は空だ。
赤い絨毯。
高い天井。
列柱。
静寂。
その最奥に、玉座だけがあった。
誰もいない玉座。
昼には権威の中心に見えたそれが、夜にはただの椅子にしか見えない。
木と金属と布でできた、装飾の多い家具。
なのに昼になると、人はそこへ国家を見る。
安心を見る。
正しさを見る。
神谷はゆっくりと歩き、絨毯の途中で立ち止まった。
(この国の中心が、空洞なら)
王が人格ではなく役割なら。
人間ではなく応答なら。
そこに座る“誰か”ではなく、ただ期待を返す器なら。
人々が守っているのは何だ。
制度か。
幻想か。
習慣か。
恐怖か。
あるいは――
誰かに用意された舞台装置か。
神谷は玉座を見上げる。
暗がりの中で、その輪郭だけが浮かんでいた。
王はいつもそこにいるように思える。
だが実際には、誰かが座る時だけ王になる。
なら、座る前は何だった。
座った瞬間、何が始まった。
神谷の中で、ひとつの問いが形を持つ。
今まで考えていたのは、“王は何者か”だった。
違う。
もっと根本だ。
“いつから”なのだ。
先王の死後か。
即位の日か。
生まれた時からか。
それとも、もっと最近か。
もし途中から入れ替わっていたら。
もし誰も気づかぬまま、王という座だけが継続していたら。
この国は、いつから空洞に頭を下げていた?
神谷は低く呟く。
「王は――」
声が広間に反響する。
「いつから王だった?」
返事はない。
だがその沈黙だけが、何より雄弁だった。




