⑥ 小事件発生
謁見の間は静かだった。
昼の政務が一段落し、列をなしていた嘆願者たちもすでに去っている。
広い空間には、王と数名の側近、そして神谷だけがいた。
王は玉座に腰かけ、穏やかな笑みを浮かべている。
疲れも苛立ちも見せない、よく整えられた表情だった。
「勇者よ。何か進展はあったか」
声も落ち着いている。
低すぎず、高すぎず。
聞く者を安心させる音量と速さ。
神谷は玉座の前で立ち止まった。
「一つ、確認したいことがあります」
「申せ」
「聖女が亡くなった夜――」
神谷は王の目をまっすぐ見た。
「あなたは、彼女と何を話しましたか」
一瞬の間もなかった。
王はすぐに答える。
「魔王についてだ」
神谷は黙って続きを待つ。
「近頃の異変、城内の不安、民心の乱れ」
「聖女は神託を重んじるゆえ、見解を求めた」
自然な答えだった。
内容も妥当だ。
聖女と王が話す題材として、何の不思議もない。
「そうですか」
神谷はそれだけ言って下がった。
数時間後。
王は別室で、軍部との小会議に出ていた。
同席者は騎士団長、補給官、神谷。
空気は先ほどより張りつめ、実務的だった。
議題が途切れた瞬間、神谷は何気ない調子で口を開く。
「そういえば陛下」
王が顔を向ける。
「聖女が亡くなった夜、何を話されましたか」
今度も、王は迷わなかった。
「勇者召喚の儀についてだ」
騎士団長が小さく頷く。
違和感を覚えていない。
王は続ける。
「召喚の維持費、再実施の可否、異界との門の安定性」
「次代の備えについて相談していた」
軍人と実務官の前で語られるには、いかにももっともらしい内容だった。
神谷は返事をしない。
ただ王を見る。
王もまた、自然に見返してくる。
先ほどと同じ顔で。
翌日。
朝の礼拝後、神谷は回廊で王とすれ違った。
側にいるのは老司祭と侍従だけ。
静かで私的な空気だった。
神谷は歩みを止める。
「陛下」
王が微笑む。
「どうした、勇者よ」
「聖女が亡くなった夜のことです」
神谷は淡々と告げた。
「あなたは彼女と、何を話しましたか」
その時だけ、王はわずかに首を傾げた。
それは困惑というより、質問の形式を確認するような仕草だった。
そして、答える。
「……そのような夜は知らぬ」
侍従が息を呑んだ。
司祭が目を見開く。
神谷は表情を変えない。
王は穏やかな声で続けた。
「聖女とはしばらく会っておらぬ」
「そなたの記憶違いではないか」
回廊に沈黙が落ちる。
昨日まで存在していた“面会した夜”そのものが、消えていた。
同じ事件。
同じ質問。
返答は三つ。
魔王について。
召喚儀式について。
そんな夜は知らぬ。
どれも自然で。
どれも迷いなく。
どれも、その場では正しそうに聞こえる。
神谷の背中を、冷たい理解が走った。
これは記憶の混乱ではない。
嘘の取り繕いでもない。
過去が揺れているのではなく――
答えだけが、その都度生成されている。
王は神谷へ微笑みかけた。
「他に何かあるか」
その声は優しく、誠実で、王らしかった。
だからこそ、神谷にはぞっとするほど不気味だった。




