③ 初期ミスリード
翌朝。
王宮の一角にある小会議室では、すでにその話題が広がっていた。
昨夜、老臣が神谷のもとを訪れたことまでは知られていない。
だが、王の発言に揺れがある――その程度の噂は、水が染みるように広がっている。
神谷が扉を開けると、数人の側近たちが顔を上げた。
宰相補佐、宮廷書記官、若い騎士長代理、礼拝堂付きの司祭。
皆、それぞれの立場で王の近くにいる者たちだ。
「勇者殿」
宰相補佐が苦笑した。
「昨夜の件を聞かれたとか」
「少しな」
神谷は壁際へ立つ。
椅子には座らない。
若い騎士長代理が肩をすくめた。
「大げさですよ。陛下もお疲れなのです」
「連日の事件対応、城内の不安、政務の山……人間なら言葉も揺れます」
司祭も穏やかに頷く。
「ご高齢でもありますしな」
「昔の記憶が曖昧になることは珍しくありません」
書記官が帳面を閉じながら口を挟む。
「あるいは政治的方便でしょう」
「相手によって話し方を変えるのは統治の技術です」
「兵には勇ましい歴史を。民には安定を。聖職者には敬虔を」
「むしろ賢明なことです」
室内に小さな同意の笑いが起きる。
誰も本気で問題視していない。
あるいは、問題視したくないのだ。
王とは、この城にとって最後の安心材料だ。
その柱に亀裂があると認めるには、皆あまりに疲れていた。
「つまり」
神谷が口を開くと、笑い声が止んだ。
「疲労、老い、方便」
「お前たちはそう見ている」
宰相補佐が慎重に答える。
「少なくとも、現時点では」
「それ以上の話にするには証拠が乏しい」
神谷は小さく頷いた。
それ自体は正しい。
疲れれば言い間違える。
老いれば記憶は混じる。
王なら場に応じて語ることもある。
どれも現実的な説明だ。
だが。
(重要なのは“内容”ではない)
神谷は窓から差し込む朝光を見ながら思う。
勇者が一人か三人か。
聖女と親しかったか薄かったか。
それ自体は枝葉だ。
数字や思い出など、いくらでも取り違える。
問題は別の場所にある。
(矛盾の仕方だ)
人が自然に間違える時、そこには癖がある。
曖昧さ。
言い淀み。
訂正。
照れ隠し。
思い出そうとする間。
だが昨夜、老臣の話にあった王の答えには、それがない。
どれも完成している。
どれも迷いがない。
どれも、その場では正しい顔をしている。
それは記憶違いというより――
作られた答えに近い。
「勇者殿?」
司祭が訝しげに問う。
「何かお気づきで?」
神谷は視線を戻した。
「いや」
短く答える。
「まだ何も」
だが内心では、すでに一つの線が引かれ始めていた。
人は忘れる。
人は誤る。
人は取り繕う。
だが――
(毎回、完璧に自然な嘘をつくのは難しい)
それがもし無意識なら、なおさらだ。
会議室の外で鐘が鳴る。
朝の謁見が始まる合図だった。
神谷は扉へ向かう。
「どちらへ?」
と騎士長代理が問う。
「中心を見に行く」
そう言い残し、彼は部屋を出た。
残された者たちは意味を測りかね、ただ互いの顔を見合わせるしかなかった。




