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魔王はこの中にいる  作者: 南蛇井


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② 事件発生:相談者

その夜。


 


神谷の部屋を叩く音は、ひどく慎重だった。


 


三度。

間を置いて二度。


 


警戒している者のノックだと分かる。


 


「入れ」


 


扉が細く開き、年老いた男が滑り込むように入ってきた。


すぐに背後を確認し、静かに戸を閉める。


 


古参侍従――あるいは宰相付きの老臣。


王宮で長く仕えてきた者特有の、目立たぬ所作と染みついた緊張を持っていた。


背筋は曲がり始めているが、視線だけは鋭い。


 


「こんな時間に何の用だ」


 


神谷が問うと、老人はすぐには答えなかった。


部屋の隅まで見回し、窓の外に耳を澄ませ、それからようやく口を開く。


 


「……勇者殿」


 


声がかすれている。


 


「陛下のお言葉が……おかしい」


 


神谷は椅子にもたれたまま、表情を変えなかった。


 


「曖昧だな」


 


「承知しております」


 


老人は唇を震わせながら続けた。


 


「ですが、どう申し上げればよいか……」


 


「そのまま言え」


 


沈黙ののち、老人は決意したように言った。


 


「同じご質問に、日ごと違うお答えをなさるのです」


 


神谷の目が細くなる。


 


「忘れたのではなく?」


 


「忘失とは違います」


 


老人は強く首を振った。


 


「どのお答えも、あまりに自然なのです」


 


その言葉に、神谷の意識が少しだけ前へ出る。


 


「具体例を」


 


老人は指を折るように、慎重に並べ始めた。


 


「先日、勇者召喚の歴史についてお尋ねした折……陛下はこう仰せでした」


 


――勇者は初代だけだ。以後、必要はなかった。


 


「ところが翌日、同じ件を別の場で問われると」


 


――過去に三人いた。皆、国の礎となった。


 


神谷は黙って聞いている。


 


老人は続けた。


 


「また、聖女様についても……」


 


――面識は薄い。儀礼の場で会う程度だ。


 


「そう仰せになった数日前には」


 


――あの子は幼少より知っている。聡い娘だった。


 


部屋の空気が静かに冷えた。


 


「記録違いか、聞き間違いかもしれません」


 


老人は急いで付け加える。


 


「私も最初はそう思いました。ですが……」


 


「ですが?」


 


「増えているのです」


 


神谷は肘掛けに置いた指を止めた。


 


「矛盾が?」


 


「はい」


 


老人の額に汗がにじむ。


 


「些細なお言葉。昔話。誰といつ会ったか。どこへ行かれたか」


 


「問う相手が変わるたび、過去も変わるように見える」


 


神谷はしばらく何も言わなかった。


 


普通なら、老いと片づけられる。


疲労、混乱、政治的方便。


王が場に応じて言葉を使い分けることなど珍しくもない。


 


だが老人は、それだけではないと怯えてここへ来た。


 


長年、人の嘘と言い訳を見てきた者が。


 


「なぜ私に話す」


 


老人は顔を上げる。


 


「勇者殿は……“違和感”を見逃されぬ」


 


その声には、すがるような響きがあった。


 


「皆、陛下を信じたいのです」


 


「私もです」


 


「だから誰も、疑いたくない」


 


震える手で、衣の裾を握る。


 


「ですが、このままでは……何が本当だったのか、分からなくなる」


 


神谷は老人を見つめた。


 


恐れているのは王の嘘ではない。


王の中身そのものが、定まっていないことだ。


 


(王の証言が揺れる)


 


それは一人の老人の問題では済まない。


 


この国の基準が揺れるということだ。


 


神谷は立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。


玉座のある棟だけが、夜の中でも明るい。


 


「……分かった」


 


低く言う。


 


「明日、陛下に会う」


 


老人は深く頭を下げた。


安堵したのか、余計に青ざめたのか、自分でも分からぬ顔だった。


 


扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。


 


神谷は一人、呟く。


 


「同じ質問に、違う答え」


 


それ自体は珍しくない。


 


だが――


 


(この城では、“違う”ことが多すぎる)

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