⑫ 隠し伏線
事件処理が終わり、人払いされた部屋に神谷は残っていた。
机の上には、今回の調査記録が並べられている。
検知結果。
死亡推定時刻。
魔法残滓の測定表。
神谷は一枚ずつ目を通し、途中で手を止めた。
「……またか」
小さく呟く。
回復魔法の使用記録。
そこに記された時刻が、二種類あった。
一つは魔導士が術式痕から逆算した時間。
もう一つは、侍女が物音を聞いた時刻。
本来なら、ほぼ一致するはずだった。
だが数分、ズレている。
わずかな差。
普通なら誤差として片づけられる程度だ。
しかし神谷には、その“わずか”が引っかかった。
(術式痕は嘘をつかない)
(証言はズレる)
なら今回は、どちらだ。
あるいは――
(両方、正しいのにズレている?)
その考えが浮かび、神谷は眉を寄せた。
第3話の記録。
読めなかった文字が変わった。
第4話の封印室。
部屋の位置が違って見えた。
そして今度は、時間だ。
神谷は紙を置き、侍女を呼び戻させた。
若い侍女は、まだ怯えた顔で入ってくる。
「もう一度聞く」
神谷は椅子に座ったまま言う。
「被害者が苦しみ始めた後、何を見た」
侍女は記憶を探るように視線を落とした。
「……光です」
「回復魔法の?」
「はい。淡い緑色の……」
「その時、何か異常は」
彼女は迷い、唇を噛んだ。
「言っていいのか分からなくて……」
「言え」
小さく頷き、侍女は声を絞り出す。
「回復した瞬間、少し違和感がありました」
神谷の目が細くなる。
「どんな」
「……うまく言えません」
両腕を抱きしめるようにして、彼女は続けた。
「体が、“戻った気がしない”んです」
部屋が静まる。
「戻った気がしない?」
「傷が治るとか、熱が下がるとか、そういう回復って……分かるじゃないですか」
「でも、その時は……」
侍女は震える声で言った。
「元に戻ったというより、“別の形に整えられた”みたいで……」
神谷は何も言わなかった。
侍女自身も、自分の言葉を恐れている。
「気のせいかもしれません」
「……そう思いたいです」
彼女が下がった後も、神谷は動かなかった。
(正常状態)
回復魔法は、それを基準に働く。
傷を閉じ、毒を除き、身体を元へ戻す。
だが――
その“元”とは、誰が決める。
術式か。
身体か。
世界か。
もし基準そのものが揺らいでいるなら。
回復は治療ではなく、再定義になる。
神谷はゆっくりと記録用紙へ視線を戻す。
時間がズレる。
場所がズレる。
記録が変わる。
正常が揺らぐ。
点が増えていく。
まだ線にはならない。
だが、確実に近づいている。
(この世界は、何かを“正しい形”に上書きしている)
その予感だけが、冷たく胸に残った。




