第5話:消えない毒 ①安全の崩壊
事件以降、城の空気は変わっていた。
目に見える形ではない。
だが、誰もが何かを疑っている。
扉を閉めても安心できない。
鍵をかけても意味がない。
結界すら、絶対ではない。
あの封印室の一件が、人々の中にそれを刻み込んだ。
「密室すら信用できない」
そんな言葉が、冗談ではなく囁かれている。
廊下を歩く侍女たちは、何度も背後を振り返る。
騎士たちは巡回の人数を増やし、互いの顔を確認し合う。
貴族たちは食事を持ち込ませる前に、使用人へ毒見を命じるようになった。
安全だったものが、安全でなくなる。
それは、目に見える脅威よりも人を怯えさせる。
そして今――
新たな噂が、城内を静かに侵していた。
「毒も検出できないらしい」
その言葉を最初に聞いたのは、神谷が中庭を横切っていたときだった。
石柱の陰で、若い侍女が二人、小声で話している。
「本当に?」
「知らないの? 昨日、南棟で倒れた方……毒じゃないかって」
「でも検知魔法で出なかったって……」
「死因が分からないらしいわ」
神谷が近づくと、二人は青ざめて頭を下げ、そのまま足早に去っていった。
残されたのは、風と沈黙だけだった。
(死因が分からない)
(毒が出ない)
神谷は立ち止まり、空を見上げる。
薄曇りの空は低く、城壁の上に重く垂れ込めていた。
(“見えない”の次は、“検出できない”か)
第1話では、存在しない犯人を追った。
第2話では、人の記憶が信用できなかった。
第3話では、記録そのものが壊れていた。
第4話では、場所すら揺らいだ。
そして今度は――
証明が、信用できない。
「勇者殿」
背後から声がかかった。
振り向くと、王直属の騎士が一人、片膝をついていた。
「王より召喚です。至急、南棟へ」
「……死人か」
騎士は顔を上げず、低く答えた。
「はい」
神谷は短く息を吐いた。
また始まる。
誰かが死に、誰かが嘘をつき、誰かが怯える。
そして、その裏に“説明できる何か”がある。
あるいは――
説明したくない何かが。
「案内しろ」
神谷は歩き出す。
騎士が先導し、石造りの回廊を進む。
行く先々で、人々が道を開ける。
その目にあるのは敬意ではない。
期待と、不安。
“この男なら、分からないものを分かる形にしてくれる”
そんな視線だった。
神谷は何も言わない。
(期待されるのは慣れている)
(だが、今回は嫌な予感しかしない)
南棟へ続く扉の前で、騎士が足を止めた。
その向こうには、すでに人だかりができている。
ざわめきは低く、重い。
「被害者は宮廷薬師です」
騎士の報告に、神谷の眉がわずかに動く。
薬師。
毒を扱い、薬を知り、治療にも関わる者。
そんな人間が、“死因不明”で死んだ。
神谷は扉へ手をかける。
(出来すぎている)
そう思いながら、静かに押し開けた。




