⑪ 決定的違和感
神谷は、ページから目を離さなかった。
呼吸は落ち着いている。
鼓動も乱れていない。
だが、思考だけが、わずかに遅れていた。
(……おかしい)
違和感は、もう曖昧なものではない。
はっきりと、形を持っている。
神谷はゆっくりと、もう一度その行を読む。
『顔が違う』
『同じはずなのに、違う』
理解できる。
意味が通る。
論理として処理できる。
だが――
(これは、なかった)
確信がある。
昼間、ここを読んだとき、
こんな文章ではなかった。
もっと断片的で、
意味を成していなかった。
(記憶違いか?)
神谷はすぐにその可能性を検討する。
だが、すぐに切り捨てた。
(違う)
自分の記憶は、信用できる。
少なくとも、“さっき読んだ内容”を取り違えるほど曖昧ではない。
ましてや、あれほど異様な文章だ。
忘れるはずがない。
神谷は、指で紙を押さえた。
(物理的には変化していない)
紙の質感。
インクの乗り方。
筆圧。
それらはすべて一貫している。
後から書き足された形跡はない。
(なら)
結論は一つしかない。
神谷の思考が、ゆっくりとその形に辿り着く。
(記録が変化している)
声には出さない。
だが、その認識は、はっきりと確定した。
あり得ない。
本来なら、その一言で切り捨てるべき現象だ。
だが――
(ここでは、あり得る)
証言が歪む。
認識がズレる。
思考が壊れる。
それらすべてを見てきた。
ならば、“記録が変わる”ことも、
同じ延長線上にある。
神谷は静かに目を細めた。
(外部からの干渉)
それは人間の内側だけではない。
外に残された“情報”にまで及んでいる。
(固定されていない)
現実も。
記録も。
すべてが、“揺らいでいる”。
神谷はページをめくろうとして――止めた。
(いや)
めくるべきか、分からなくなる。
その先にあるものが、
“同じ内容である保証”がない。
(さっき読んだものと、違う可能性がある)
その事実が、静かに重くのしかかる。
神谷は、ゆっくりと本を閉じた。
音は、ほとんどしなかった。
(……危険だ)
これは単なる情報ではない。
“触れるほど変わるもの”だ。
そして同時に、
“触れた側も変わる”。
神谷は立ち上がった。
視線を、本から外す。
だが――
(もう、影響は受けている)
その確信だけが、残る。
神谷は小さく息を吐いた。
(どこまで、変わる)
自分が。
世界が。
記録が。
その境界は、もう曖昧だった。




