④ 記録③:崩壊の兆候
次のページをめくった瞬間、違和感は“はっきりとした形”になった。
文字が――荒れている。
それまで整っていた筆跡が、わずかに歪んでいる。
線がぶれる。
力の入り方が一定ではない。
神谷は無言で読み進めた。
『魔王は不明』
『正体は不明』
『分からない』
同じ意味の言葉が、繰り返されている。
言い換え。
重複。
無駄。
それまでの簡潔さが、崩れている。
『違う』
『違う』
『何かが違う』
訂正の跡が増えている。
一度書いた文を消し、上から書き直している。
だが、その書き直しもまた、曖昧だ。
『あれは人ではない』
神谷の視線が止まる。
短い一文。
だが、明確な断定。
それまでの“分からない”という姿勢が、ここで変わっている。
『人に見える』
『だが、人ではない』
『違う』
文が、さらに短くなる。
思考が圧縮されているのではない。
削れている。
神谷は静かにページを押さえた。
『いる』
一言だけ。
余白の中に、ぽつりと書かれている。
『いる』
『いる』
『いる』
同じ言葉が、少しずつ位置を変えて並んでいる。
間隔が不規則だ。
まるで、思いついた瞬間に書き殴ったかのように。
『見ている』
その一文で、空気が変わる。
神谷の指が、わずかに止まる。
『見ている』
『どこからか見ている』
『見えているはずがないのに見ている』
言葉が、追いついていない。
説明しようとして、失敗している。
論理が崩れ始めている。
神谷の脳裏に、ある光景が浮かぶ。
血の上に残された、途切れた文字。
「おう」
そして――
「いる」
(……同じだ)
聖女の最期の言葉。
それと、完全に一致している。
神谷はゆっくりと息を吐いた。
(偶然じゃない)
これは、同じ現象だ。
同じ“何か”に触れている。
記録の中の勇者と、あの聖女は。
同じ場所に辿り着いている。
だが――
神谷の視線が、ページの上をなぞる。
(ここで、止まっていない)
この段階は、まだ“兆候”だ。
理性は削られているが、完全には壊れていない。
まだ言葉を選ぼうとしている。
まだ理解しようとしている。
だが、それも時間の問題だ。
神谷は静かにページをめくった。
(次で、崩れる)




