② 事件発生
夜は、やけに静かだった。
城内はすでに灯りを落とし、回廊には最低限の松明だけが残されている。昼間のざわめきが嘘のように消え、代わりに張り詰めた空気だけが漂っていた。
神谷は与えられた部屋の窓辺に立ち、外を眺めていた。
見慣れない星空。見知らぬ世界。
だが思考は、昼間のままだ。
(情報が少なすぎる)
魔王。目撃者なし。所在不明。被害のみ。
まともな“事件”の形をしていない。
そのときだった。
――悲鳴。
鋭く、短い。
女の声。
神谷は反射的に振り返った。
廊下の向こうで、複数の足音が一斉に動き出す。警備の騎士たちだ。緊張が一気に広がるのが分かる。
「今のは……」
扉を開けると、すでに数人の騎士が駆けていた。
「聖堂だ!」
誰かが叫ぶ。
神谷も迷わず後を追った。
聖堂の前には、すでに人だかりができていた。
重厚な木製の扉。その前で騎士団長が険しい顔をしている。
「開かないのか」
「はっ、内側から施錠されています!」
騎士が答える。
騎士団長は扉に手を当て、力を込めたが、びくともしない。
「中には誰がいる」
「聖女様が……お一人で祈りを」
その言葉に、周囲の空気がさらに張り詰めた。
神谷は一歩前に出て、扉を観察する。
傷はない。こじ開けた形跡もない。確かに、内側から閉ざされている。
(密室)
その単語が、自然に浮かぶ。
騎士団長が叫んだ。
「壊せ!」
次の瞬間、騎士が体当たりを叩き込む。鈍い音が響く。二度、三度と続けて――
やがて、扉が内側に弾け飛んだ。
中に入った瞬間、空気が変わった。
冷たい。
それだけでなく、どこか“澱んだ”感覚。
聖堂は広くはない。中央に祈りの台、その奥に小さな祭壇。壁には淡い光を放つ紋様が刻まれている。
そして、その床に――
聖女が倒れていた。
白い衣が広がり、その中心に彼女は横たわっている。
神谷は足を止めた。
騎士たちが駆け寄る。
「聖女様!」
返事はない。
騎士の一人が膝をつき、脈を取る。
沈黙。
やがて、ゆっくりと首を横に振った。
「……亡くなられています」
その言葉が、静かに落ちた。
神谷は遺体に視線を向ける。
外傷はない。
衣は乱れていない。血もない。
だが――
(表情)
苦しんでいる。
眉間に深い皺が寄り、唇はわずかに開かれている。穏やかな死ではない。何かに耐え、何かに蝕まれた顔だ。
神谷はさらに周囲を見る。
荒らされた形跡はない。
争った様子もない。
逃げようとした形跡も。
完全に、静止した空間。
(……おかしい)
そのとき、魔導士が低く言った。
「結界は維持されています」
神谷が振り返る。
魔導士は壁の紋様に手をかざしていた。
「外部からの侵入は不可能です。破られた痕跡もない」
騎士団長が顔をしかめる。
「つまり……中にいた者がやった、ということか」
「しかし、中には聖女様お一人だったはずだ」
誰かが言う。
再び、沈黙。
神谷はゆっくりと部屋を見渡した。
扉は今、壊されたばかり。窓はない。隠れる場所もない。
そして結界。
(外からは入れない)
(中には一人)
(だが、死んでいる)
論理が、噛み合わない。
神谷は小さく息を吐いた。
(――完全な密室)
だが。
その言葉の裏に、もう一つの感覚があった。
(成立している、のか?)
この状況は、本当に“密室”なのか。
それとも――
もっと別の何かか。
神谷は、倒れた聖女を見下ろしながら、静かに目を細めた。




