③ 初期捜査
聖堂の中は、異様な静けさに包まれていた。
誰もが言葉を失い、ただ立ち尽くしている。騎士たちでさえ、どこか踏み込むのをためらっているようだった。
その中で、神谷だけが動いた。
ゆっくりと、遺体の周囲を歩く。
足音を殺しながら、視線を落とし、細部を拾っていく。
(荒れていない)
まず、それが分かる。
争った形跡はない。物は整然と置かれ、祈りの台もそのままだ。倒れた拍子に崩れた様子もない。
(不意打ち、あるいは自覚のないまま……)
神谷は聖女の手元に視線を向ける。
指先はわずかに硬直しているが、何かを掴んだ形跡はない。抵抗も、防御もしていない。
次に、部屋の隅へと目をやる。
小さな卓の上に、水差しと杯。
手つかずではない。わずかに水位が下がっている。
(飲んでいる)
それが何を意味するかは、まだ分からない。
神谷はさらに歩き、床へと視線を落とした。
――違和感。
ほんのわずか。
目で見えるほどではないが、空気の“流れ”のようなものが乱れている。
魔導士が言っていた“魔力の痕跡”。
それが、完全に消えていない。
神谷はしゃがみ込み、床に手をかざす。
冷たい石の感触。
だが、その奥に、微細な揺らぎ。
(……ある)
ほんの微量だが、確かに何かが使われている。
しかし、それは強い魔法の残滓ではない。
むしろ――
(補助的な……日常的な魔法?)
回復、あるいは浄化。
そんな類の、ごくありふれたもの。
神谷はゆっくりと立ち上がった。
部屋をもう一度見渡す。
扉は破壊されたまま。窓はない。結界は健在。遺体は無傷。
全ての条件が揃っている。
それでも、結論は一つだ。
神谷は静かに口を開いた。
「“侵入”はなかった」
その声に、数人が振り向く。
神谷は続ける。
「だが、“殺害”は成立している」
空気が、わずかに揺れた。
騎士団長が眉をひそめる。
「何が言いたい」
神谷は答えない。
ただ、事実だけを並べる。
「外からは入れない。中には一人。争った形跡もない」
一拍置いて、
「それでも人は死んでいる」
沈黙。
誰も反論できない。
論理が矛盾していることだけは、全員が理解していた。
やがて、騎士団長が低く言った。
「……ならば、誰がやった」
その問いに、神谷はすぐには答えなかった。
代わりに、ゆっくりと周囲を見渡す。
視線が、一人ずつを捉える。
「可能性の話をします」
淡々とした口調だった。
「まず、魔法の知識を持つ者」
視線が止まる。
ローブ姿の男――宮廷魔導士。
「最後に聖女と接触した人物でもある」
魔導士は肩をすくめた。
「疑われるのは職業病だな」
軽い口調だが、否定はしない。
神谷は次に視線を動かす。
「政治的動機を持つ者」
宰相。
痩せた男は、表情一つ変えずに立っている。
「聖女は民衆への影響力が強い。排除すれば利益を得る可能性がある」
「……随分と直截だな」
宰相は静かに言った。
否定も肯定もせず。
さらに視線が動く。
「物理的に排除できる立場の者」
騎士団長。
大柄な男は腕を組んだまま、神谷を睨み返す。
「聖女と対立していた、という話もある」
「噂だ」
短く吐き捨てる。
最後に。
神谷の視線が、玉座の主へ向いた。
「そして――」
一瞬だけ、間が空く。
「直前に面会していた人物」
王。
場の空気が、わずかに凍る。
誰も言葉を発さない。
神谷は表情を変えずに言った。
「以上です」
それだけだった。
断定はしない。
だが、逃げ道も残さない。
この場にいる全員が、“可能性”の中にいる。
互いに、疑うしかない構図。
沈黙が重く沈む中、神谷は心の中で呟いた。
(誰でもあり得る)
(だからこそ――)
視線を再び、倒れた聖女へ落とす。
(“方法”を見つけるしかない)




