第107節 怨念の刃 繰り言
「我らヤマトに従えぬ者は去れ!わたしはきっとそれを許すだろう!三日の時を与える!それまでに各々よく考えて答えを出せ!」
わしはそう言って演説を締め括った。
伝えるべきは伝えた。後のことがどうなるは分からぬが、我が言を信じるかも含め、民たちが個々で判断すべきことだ。
見れば、民衆は未だに言葉を発する事を憚っているようで、声は聞こえてこないのに、それでもなぜか騒がしいという何とも不思議な空気がこの宮殿区を支配していた。
しかし、そんな空気は時とともに雲散霧消するものだと知っていたわしはもはや彼らに気を留めようとはしなかった。
そうして一歩と踏み出そうとすると、何か足に当たる物があってわしは視線を向けた。
そこには二つの刃が転がっていた。
一つは我が匕首。そしてもう一つは、トラひげが隠し持っていたらしい短刀だった。
(この短刀……。)
わしはその短刀を手に取ると、何の面白味もないようなこの短刀こそが我らの真の仇敵なのではないかという思いが、己が心の底に沈んでいた澱の中から沸々と湧いてきていた。
トラひげが丸腰であれば……奴がこんな物を持ってさえいなければ、奴は降伏を翻意することもなく、そうすればわしも奴を殺さずに済んだのではないか。
(くそ……。)
剣を失い、蹴りを失い、それでもう奴は丸腰だと思い込んで、降伏した奴の身体を調べることをしなかったばかりに、あたら豪傑を失うことになってしまった。
「うおぁっ!」
わしはトラひげの不運と自身の不覚を悔やむと、その短刀にすべての怨念を籠めて彼方へと思い切り投げ付けていた。
(許せ、トラひげよ。せめて死してこのクマの地を守護する鬼となられよ。)
そうして我が足元には、月明かりに照らされた我が匕首が一振り、まるで未だ使用したことがない真っ新な物であるかのように曇り一つない輝きを放っていた。
わしは愛刀とも呼ぶべき匕首を懐にしまうと台上を降り、いよいよ混迷極まらんとする民衆の視界の外に出た。
そしてそのまま宮殿の麓まで降りると、わしは物言わぬトラひげと再会していた。
「大王よ。すまぬがもうしばし我慢してもらうぞ。」
今はまだ懇ろに弔ってやれる時ではないのだ。
わしはトラひげのそのカッと見開いたままの眼をそっと閉じてやり、奴への敬意を表した。
「モリヤ!」
それからわしは直ちにモリヤを呼んでいた。
モリヤの奴は、大王を失って自棄を起こしかねない程に激しく動揺していた兵と民らを、圧倒的に数の少ないはずの我が精兵を己が手足の如く使って上手いこと宥め抑え込んでいたが、我が召喚の声を聞くとすぐさまわしの元へとやって来た。
「タケハヤ様。……いや、タケリビコ様。で、よろしいのですか。」
モリヤは名を襲ったばかりのわしの顔色を窺いながら問うてきた。その姿は何ともモリヤらしい慎重さで、そのくせモリヤらしからぬどうでもよい気の遣いようだった。
しかし、わしはそんなことを気にするつもりは更々なく、あっけらかんとして答えた。
「どちらでもよい。そんなことより何をしておったのだ、随分と焦らしおって。」
おかげで随分と肝を冷やされたぞ。と、わしは本題に入る前にまずは兵の到着が遅れたその理由を問うた。
無論、そこにはそもそもの合図である見張り櫓の篝火の消火の遅れという事実があることも重々承知しているのだが、何しろそれを担っていたのは「ひいの君」、つまり外部の協力者だ。
外部の者に失敗の原因を求めるようでは、そやつにこれ以上の上達は見込めない。
だから、そこには触れずに他に理由がないのかを問うているつもりであった。
「申し訳ありません。今回の遅延は兵舎の特定に手間取ったためです。」
モリヤはわしの意図するところを正しく汲んだようで、合図については一切触れることなくそう弁解した。
「む、そうなのか。」
しかし、そのいささか予想を外された返答にわしは渋い顔をした。
兵舎を押さえることができれば相手の武器も押さえられる。だから、それは必ず成し遂げるべきこととしてあらかじめ命じておいたことだったのだが……。
「クマ兵と出くわしたからではないのか。」
わしは不慮の衝突があったことが原因ではなかったのかと問い質していた。もし遅延に正当な理由があるとすれば、それが尤もらしい事だと思っていたからだ。
「はい。ありましたが、それは言い訳にならない程度のことです。」
モリヤは衝突の事実を何ともつまらなく、当たり前のことのように答えて退けた。
わしはその回答に、いささかの不審を覚えずにはいられなかった。
わしが想定していた遅延の理由は不慮の衝突だけであり、そもそも兵舎の場所を特定するだけで手間を取ることになるとは考えていなかったのだ。
どうしても事情の呑み込めないわしに、モリヤは続けて応えた。
「ヒラタの奴、オレが兵舎の場所を聞いても『あっちだ。』としか言わないのですよ。」
「なんじゃそれは?」
わしはそれを聞いて呆れた。
ヒラタ、つまり馬子の奴は「ひいの君」と同じくこの柵の門近くに配していて、兵の突入と同時に連絡を取れるようにしておいたのだが、奴はそんな説明で本当に兵舎の場所が伝わると考えていたのだろうか。
「あの馬子野郎。いくら人間嫌いだからと言っても、もう少し言葉を覚えるべきです。」
馬子野郎への不平を遠慮なく垂れるモリヤの言葉に、わしはつい先だってまで一緒にいて憎まれ口を叩いていたそのヒラタのことを思い浮かべていた。
――お方様に差し上げれば喜ばれたのでは。――
すると、何やらモヤモヤした感情が沸き上がってきて、わしは悪態をついた。
(くそ。)
ヒラタの奴め、何が「お方様に」だ。わしだってできる事ならばこの衣は妻にこそ身に纏って欲しかったわい。しかしその妻からして、わしがどんなに強く勧めようとも決して受け取ろうとしなかったのだからどうしようもないではないか。
――そう。今、わしが身に纏っているこの薄絹の衣は、我が嫁娘に婚姻の証として与えるべき物として叔母上がわしに授けた物だった。
しかし、その妻からしてどうしても受け取りを拒否されてしまい、止む無くこういう使い方になってしまっているのだった。
そういう経緯まで知っていたくせに、あんなことを言って退ける奴の気遣いのなさを思い出してしまい、少しだけ腹が立ってくる。
「タケリビコ様?」
「何でもないわ。」
わしは、そんな事情有りとは知らぬ怪訝な表情のモリヤにむっとしながら応えていた。




