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バスで20分ほどの所に動物園があることは、藍の部屋探しにはじめてこの町に来た時に知った。
内見のついでに行ってみて、すっかり気に入り、自分自身が越してきてからは割と頻繁に通っている。店休日を月曜日にしなかったのは、動物園の休園日と被らないためだ。
動物園に一人で行くというと、大抵の人が不思議そうな顔をする。動物園というのは、家族サービスやデートで訪れる所と、多くの人が思っていることを青はとても残念に思う。
バスを降りて急な坂道を上り、動物園のゲートをくぐると、動物が現れるより先に、「いきもののにおい」を感じる。
人間は、自身の「いきもののにおい」を消すことに心血を注いで、文明を作り上げたと言っていい。毎日身体を洗い、着ている服を洗濯し、なんなら、そのなんのにおいもしない身体へ、更に人工的な香りをふりかける。
動物園に入った瞬間に感じる「いきもののにおい」に、青はまずほっとする。
そして、動物の姿が見えると、その圧倒的な「いのち」の存在感にあてられる。
自分と同じ形をした人間といるときには忘れている、いや忘れていられる「あぁ、そこに自分とは別の命が確かに生きているんだな」という感じ。これは、隣に自分と同じ人間がいると感じにくい。だから動物園は一人で来るに限るのだ。
やたら大きな角を頭に生やしていたり、棒きれのような後ろに折れる膝、もう一本の手のように自在に動く尻尾。そんなものを見ながら、「あぁ、おまえはそんな感じか」「俺はこんなだよ」「お互い難儀だなぁ」なんて交感を繰り返すうちに、自分の輪郭を取り戻す。
青にとって動物園はパワースポット巡りや、御朱印集めに近い。
「それに」と青は思う。青がこうして単独行動をすれば、紺と藍が2人の時間を過ごせる。「3人」という関係には、それぞれの「サシ」の部分も重要なのだ。
藍はいつも「青は小ちゃい頃から紺が好きだった」と言うが、青自身が紺への恋心を自覚したのは大分大きくなってからだ。
小学生の頃は、そもそも「恋愛」のなんたるかなんて解らなかったし、中学生になって男子の間で、いわゆる「エロ話」が多くなった頃に、ちっともそそられないことに少し違和感を覚えたが、「自分は奥手なんだな」と勝手に納得した。高校は男子校だったから、対男子と対女子で自分の感じ方が違うことに気付く機会がなかった。女子のサンプルといえば、藍しかいなかったから。
後になって思い返せば、月一ペースのお泊り会の夜、藍だけがお風呂を別にされはじめた頃、紺と二人のお風呂にやたらドギマギしたこと。高校生になって、紺にはじめて彼女が出来た時の締め付けられるような苦しさ。どれも笑ってしまうくらい解りやすいのだが、「好きになるのは女の子」という刷り込みから、それが恋だとは気付かなかった。
紺はガタイが良くて当たりがソフトだから、女子にモテた。優しいのか優しくないのか、フリーの時に告られると断らない。で、しばらく付き合うと必ずフられる。「紺くんは、私のことなんか好きじゃないんでしょ」と、決まって言われる。
だからだんだん、紺に彼女が出来ても、いちいち苦しまなくなったのだが、青の高校の文化祭に2人が揃ってやって来て、同級生にカップルと勘違いされたときに、「その可能性」に初めて思い至ったのだ。
紺は藍が好きだ。
でも紺は藍が恋愛が苦手だから、敢えて他の女子と付き合って藍を安心させるんだ。
最初は恐る恐る、その可能性を端っこから少ぅしずつ齧るように二人を盗み見て、そのうちそれは確信になる。
ところが、である。藍は怒るだろうが、「高校を卒業したら進路が別々になるのだから、思い切って告ったら?」と、焚き付けた時に紺はきょとんとして言ったのだ。
「え。藍は青のでしょ」
ひどく混乱して、家に帰ったら、急に泣けてきた。びっくりするくらい、めちゃくちゃ泣いた。
自分の嗚咽で吐きそうになった。
紺に、自分が藍を好きだと思われていたことが、なんだかやたら悔しかった。
自分の気持ちより青を優先しようとする優しさが苦しかった。
そうして、泣いて泣いて、いろんな気持ちの泥の中で溺れそうになった時、「あれ?俺が好きなの紺だ」と気付いてしまったのだ。
ほんとうに不意に。とても自然に。
「気付いてからの方が辛かったんだぜ」
青は寝転がって腹を掻くカンガルーの横にしゃがんで話しかけた。
絶対に気付かれちゃいけない。紺にも。藍にも。世界中の誰にも。俺はキモい。そう思った。
世の中にLGBTQなるものがあり、自分はその中にも入らない超マイノリティだったと藍が言った時、青は心からほっとしたのだ。「ホモ」という言葉を、ふざけた悪口としてではなく使う人々が一定数いることに救われて、ネットやその界隈の人々からゲイの作法を少しずつ教わった。
動物園の動物たちはサービス精神がないところも良い。
自分だったら、つい、出来るだけ前の方で、来場者の見やすい辺りで、くつろいだふりをしてしまうに違いない。
自分を見に来た観客など意に介さず、奥の飼育舎に戻りたそうに、展示スペースの奥の扉にゆさゆさと身体をぶつけ続けるゾウを眺めて苦笑する。
「紺が藍を譲ってくれる気持ちを利用して」
「紺が告られたら断らないのを利用して」
「なんか俺ずるいよな」
毛繕いするペリカンに話しかけながら、鼻の奥が少し、つんとした。
それやこれやを、しっかり感じてから、「よいしょ」と、開き直るまでがルーティンだ。




