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大の男二人が、情けない程のダメージを喰らっている。
藍が、いつかこの町を出ていくことを、全く想定していなかった。この町で商売をしている自分達とは違い、在宅勤務の藍は、確かに、どこにでも好きな所で暮らせる。
幼馴染だからって、ずっと一緒にいた訳じゃない。
漫画みたいに、実家の窓を開けたら、幼馴染の部屋って環境でもない。ギリギリ小学校の学区が同じという距離感の、ただ親同士の仲が良かっただけの、それだけの関係だ。
ここ数年が、特別に密だった。それだけだ。
紺は、元々、青のようにガチャガチャとはしていないが、あのピクニックの日以来、深海に沈んだように静かだ。
お休みの日でも、一回は店に行き、誰に飲ますでもないコーヒーを淹れたり、メニューの試作をしたりするのが常だったが、今日、店休日の午後が終わろうとしているのに、ソファから動く様子はない。じっと、なにかを考えているようだ。
その様子を、ずっと眺めているということは、青もまた、ただ家で、呆然としているのだ。
窓から斜めに入る日差しが、部屋の隅の観葉植物に漸く届いて、そういえば数日この鉢を移動させていないことに気付く。
この観葉植物も、「この部屋の、この隅が寂しい」と、藍が勝手に「引越し祝い」と置いていったものだ。そのくせ、ここは光が当たらないから、「出がけにトイレの窓辺に移動してね」と厳命し、「厄介な引越し祝いだなぁ」と、毒づいたのが、昨日のことみたいだ。それでも、出勤時には毎朝、換気のためにいつでも開いていて、光の安定した北側のトイレの窓辺に、移動させるのが青の日課だった。
さすがに、そろそろ部屋の電気灯けなきゃなと立ち上がると、シルエットの紺がこちらを向いた。
「青、青が高校生の頃、藍に振られた意味が漸くわかったよ」
「馬鹿。振られた意味、じゃなくて、告った意味、だろ」
閉店後の扉を叩く、「ほとほと」という音に聞き覚えがある。
扉を開けると、縹が白いビニール袋を抱えて立っていた。
「ちょっと、付き合わない?」
海辺に腰を下ろし、「どれ飲む?」と縹が広げた袋の中には、ビールや缶酎ハイ、ノンアルまで各種取り揃えられていた。
少し、藍の影を感じる。
以前の縹なら、こうゆう時、ビール一択だっただろうな、と思いながら、ノンアルをプシッと開ける。青はあまりアルコールが得意ではない。
乾杯する気分ではないので、紺と縹が袋の中をゴソゴソしている間に、一人でゴクゴク飲み始める。やけに、喉は乾いていた。
「夜は、ちょっと寒いくらいだな。なんか、突然ごめんね」
縹は想定どおりのビールを一口。
「あのさ、友婚って、知ってる?長居できそうにないから、いきなり本題」
「恋愛感情や性的関係がない状態で、友人や親友として結婚すること、すかね」
「さすがインテリヤンキー、なんでも知ってるな」
ビール一口で、縹はやけに饒舌だ。思いの外、冷たい風が、びょうびょう吹いていて、珍しく波音もうるさいくらいだ。
「君たちのどちらかが、藍さんと友婚するって選択肢を、考えたことはないかな」
明らかに、心ここに在らずで、形だけ同席していた風だった紺が、縹を見る。
「ごめん。予め謝っておく。僕、これから結構失礼なことを言う」
ビールをもう一口飲んで、缶を砂に半分埋めるように置く。多分もう、飲まないのだろう。
「紺くんと青くんが、とても良きパートナーなんだってことは、お店のファンとして、通い続けて理解しているつもりだよ。でも、今の婚姻制度じゃ、二人は結婚できない」
腹の底が、ずんと重くなる。
「でも、二人のどちらかと、藍さんが結婚したら、三人の関係は、永遠になる。二人はカップルのままでいい。なんというか、周りに余計な詮索もされず、丸くおさまる」
「は?」
紺が初めて口を開いた。
殴りかかるとは思わないけれど、一応後ろから肩を押さえる。
「二人が付き合ってること、ご両親には?」
そこを突かれると、少し痛い。
「君たちの親御さんだからね、僕みたいに、間違った反応はしないと思う。でも、やっぱり子供が結婚したら、安心すると思うんだよ」
縹の言うとおり、どちらの親も、多分おかしな反応はしないだろう。「あら、そっちの二人なの」くらいは、言ったり、思ったりはするかもしれないけれど。
そのくらいには、親を信頼しているが、言えていないことも事実だ。
「客商売の君たちが、自分達がカップルだと公表することは、リスクを伴う。もちろん、味方も増えるだろうけれども、どうしても色がつく。で、あれば、どちらかが既婚者だと座りがいい」
さすがプロのコンサルだ。多分、その見解は正しい。
「そして、藍さんも、恋愛市場から降りられる」
その見立ても、多分正しい。
「二人が、しないなら、僕がプロポーズしようと思ってる」
「へ?」
「うん。分かってる。もちろん友婚として。でも、僕と結婚するより、絶対に、紺くんか青くんと結婚して、このまま三人でいる方が、藍さんにとっては良いって思うから。だから、その前に相談してる」
「ちょっと待って。どうして、そうなった?」
「藍さんは、素敵な人だよ。この先も、きっと藍さんに恋する人は現れる。そして、その度に藍さんは、心を擦り減らす。どうして、そんな感情を向けらるのかって、途方に暮れる。それが起きるかもしれない状況に、常にビクビクしながら生きていくのは勿体無いよ。既婚者なら、建前上、そういった心配はなくなる。そうしたら、彼女は安心して自分の力を遺憾無く発揮して生きていける」
少し前、藍は縹のコンサル会社の新規事業の手伝いを、曰く「ちょびっとだけ」した。店舗立ち上げ時の、聞き取りシート的なものを作る作業に、アドバイザーとして参加したのだ。
Blue Gradation開店時のこだわりや、有象無象に沸き続けるアイディア、そして今カスタマーサポート窓口で日々行っている「お困りごと」を紐解くプロセス、おそらく全部が良い形で昇華されたのだろう。縹も、店で、藍の活躍ぶりを絶賛していた。
そのまま、縹の会社で働かないかと誘われたが、「丁重にお断りした」そうだ。「まだ、生身の人間に紛れて働く勇気はない」し、「縹さんと雇用関係になったら、今までみたいに、けちょんけちょんには言えないじゃん」と、ふざけた風に話していた。
藍にとって、「恋愛感情」は得体の知れない魔物のようで、いつ、どの方向から襲ってくるかと、ビクビクしている感は、確かにある。会社を辞めるに至った経緯を、詳しくは聞いていないが、相当なダメージであったに違いない。
良好な関係の先に生じる好意は、しかし藍にとっては唐突な貰い事故みたいなもので、手酷い裏切りのようなもので。その手の感情を持たない藍にとっては、どこでどう発生し、どう避けたら良いのか皆目見当がつかない。だから、藍は今、自身の安全地帯である、あの部屋と海とBlue Gradationを、ただ行ったり来たりしている。
それを、勿体無いと言う縹は、藍にとって良き理解者に違いない。ただ
「縹さん、それ、めっちゃ藍のこと好きじゃないすか」
「そうだねえ。もう一生、色恋を放棄しても良いと思うくらいには、惚れちゃったかなあ。でもね、この歳になるとさ、惚れた腫れたじゃなくて、家に帰って『なんか、夜は急に冷えてきたよ』『じゃあ、そろそろ冬の布団用意しなきゃね』みたいな、そんな会話をする相手がいてくれたらって。それだけで、充分だなって、思えたりするんだよ」
相変わらず、冷たい風が吹きつけて、冷たい飲み物も進まない。
「でもね、僕のそんな、ささやかな生活の潤いより、藍さんは君たち二人と一緒にいる方が、絶対にいいんだよ」




