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18時過ぎに、藍の家のインターフォンを鳴らすと、ドタドタドタと外に聞こえるほどの足音と共にドアが開いた。
「わ!レン!いらっしゃい!」
藍は「どうしたの?」とは聞かない。
「どうしたの?」と聞いてしまうと、どうもしない時を拒むことになるから。
それを解っていて、レンは白いビニールの買い物袋を藍に押し付ける。
「少し早いけど、鍋しよう」
本当に鍋を食べて、他愛もない話をして、たいして夜更かしもせず、さっさと寝た。
「今日、サボっちゃう?」
と言う藍を「や。3限講義あるから」と制し、「朝の海散歩に行きたい」と告げると、ぶん回す尻尾が見えるような顔をする。
朝の海は、光が乱反射して、出来立ての空気を乗せてくるような眩しい風が吹いていて、「ああ、この為だけに、ここに越してきても良いかもな」と思わされた。
おばあちゃんちに慌てて上がる小学生のように、浜に降りるなり靴を脱ぎ捨てる藍を見習って、レンも靴を脱いでみる。
ほんのり温かい砂が、自分の体重分、踏みしめられる。砂の温度がじんわりと足の裏から上がってきて、木はこうやって大地の力を組み上げるのか、となんだか納得してしまう。
藍の中身のほとんどが、この海と空と砂だから、今の藍は、こんなにも活き活きしているのだと、感謝さえしてしまう。
「私、プロポーズされた」
藍が、驚いて駆け寄ってくる。
「わ!おめでとう!何で夜言わないよの。ねほはほしたのに」
「根掘り葉掘りされたくないから、朝言ってる」
「え。おめでたく、ない、の?」
まだ一度も会わせたことがない相手からのプロポーズに、第一声で完全祝福してくる藍に、少し苛っとする。今まで、彼氏が出来て、藍に会わせなかったことなんてないのに。
「んーん。たぶん、結婚する。私」
「いつから付き合ってたの?聞いてないんだけどぉ」
ちょとむくれてみせる藍に、すぐに機嫌を直してしまう自分にやれやれ、となる。
「付き合ってない。同僚で、結婚を前提に、付き合おうって言われて。気心も知れてるし、あぁ、アリかもって思った」
「じゃあ、やっぱりおめでとうじゃないの?迷ってる、の?」
「なんていうか、私、勝手にマイノリティの騎手みたいなつもりでやってきたけど、男性をパートナーに選んだ瞬間、マジョリティじゃん。それがなんか、後ろめたいっていうか」
「レン、それは関係ない。レンの人生だよ。誰かのためじゃない。多数か少数かじゃない、たった一つのレンの選択だよ」
大真面目でレンの前に立ち塞がって藍が力説するのが、何だか可笑しい。そう言うとは、思っていた。
「まあ、あと打算?が入ってるのも後ろめたい。子供、欲しいんだよね。同性婚は、頑張れば今生で叶うかもだけど、子供は男性相手じゃないと作れないじゃない。年齢的にも、ね。今、決断しとかなきゃかなって」
「あー、ね。でも、その打算込みで選ばれし男、な訳でしょ。充分運命の人じゃない?」
「どんなポジティブよ」
「や、本当にそう思うんだよ。そのタイミングで、今価値のある相手に巡り合うって、それはそれで凄いことじゃん?高校生の時だったら選ばない相手が、今は最優良物件だったり、その逆だって、普通にあるよ。今、求める人に、今、求められてるなら、それはもう運命でしょ。その先の未来は、二人で築けばいいんだから」
「そうね、そこら辺の熱量がね、これから築いていこうぜって感覚がね、分かち合える相手なんだよね」
「や〜ん!じゃあ、もう悩まなくていいじゃん!おめでとうじゃん!レンの子かぁ、絶対可愛いじゃん!」
はしゃぐ藍のスカートを風が軽やかに揺らめかせる。
この、自分の性さえ定かじゃない生き物は、女性らしさとか、そんなこととは無関係に、「風で裾がふぁっさふぁっさする感じが好き」という理由で、海の散歩ではロングスカートを履く。
「どこまでも自由だな」
呟くと、「ん?」と藍が振り返る。
「藍は?子供欲しいとか思わないの?」
「思うよ。いや、欲しい!っていうより、自分、欲しいの?どうなの?って考える。やっぱお年頃的にさ、子を産む選択が可能な年齢って、どうしてもリミットがあるじゃん。一人で育てようと思ったら尚更。選択迫られてるよなぁ、とは思う。精子提供のサイトとか、こないだ見ちゃった」
「ガチか」
「でもさ、あれって、女性はある程度、その、提供者の情報から選択できるんだけどね、男性はないんだよ。女性側に知らされないだけかもだけど。なんてゆうか、フェアじゃない。あと、自分の子が、どんな女性から生まれて、どんな風に育つか。そこをスルーできる男性の子を、産みたいって思えないんだよね」
「あぁ。ジレンマだねえ」
「そうなんだよ」
「もういっそ、出会い頭は?何も考えず、ご縁と割り切って。あ、直にやるのは嫌か」
「うぅぅむ。嫌だけど…、でも、一発必中なら耐えるかな」
「一発必中言うな。そんな女に種はやれん!」
「レン、種、持ってないでしょうが」
ケタケタ笑ったところで、浜の端に到着した。
「レン」
「ん?」
「レンの選択なら、どんな選択でも、私は支持するよ」
「じゃあね」と手を振って、レンは海に背を向けて、モノレールの駅へ、藍は回れ右をして、元来た方へ。
15分弱。読みどおり、狙いどおり、思ったとおりだった。
一回だけ振り返り、スカートの裾をひらひらさせて、スキップするみたいに歩く藍の後ろ姿を見たら、ちょっと涙がこぼれた。
「恋をしない人間のコメントは、やっぱり、うっすいよ」
きりりと唇を噛んで、海に背を向け、大きな足幅で、歩き出した。




