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藍が、どうやら自分と「恋愛」の折り合いが悪いらしいと最初に感じたのは小学校4年生の夏休みだった。
幼稚園の役員を一緒にやって以来、3人の親たちは家族ぐるみの付き合いになり、毎年夏休みには3家族で海にキャンプに行くのが恒例だった。浜辺のキャンプサイトは、海水浴とテント生活とを一遍に満喫でき、何か夏休みのイベントをしてあげた気分になりたい親たちにとっても、いい加減近所も遊び飽きた子どもたちにとっても最高のスポットで、子どもの年齢が上がるにつれて、滞在期間も伸び、小学校最後の夏休みには丸一週間という長丁場にもチャレンジした。
ちなみに、中学生になって、それぞれが部活動を始めると、申し訳程度に1泊2泊と細々と続けられ、高校生になってからは、いっそ子供たち抜きの親達だけのイベントとして数年続いた。
宵っ張りだった藍は、青と紺が寝てしまった後、焚火を囲む大人の輪に入るのが、いつも楽しみだった。
お酒が入り、いつもとは少し違うテンションで盛り上がる親たちの話を、父の膝の上に座って、ぼんやりと聞いていた時だった。
「で、藍は凛と紺と、どっちが好きなの?」
青ママが、突如、藍に恋バナを振ってきた。
ちょうどその頃、クラスの女子たちも「誰が好き?」という話でよく盛り上がっていた。恋の話=「恋バナ」をするときの女子たちは、なんだかモジモジくねくねしていて、藍はその話が早く終わって、先生のモノマネや、昨日のテレビの話になればいいのに…といつも思っていた。でも、いったん恋バナが始まってしまうと、なかなか違う話題には移らず、「好きな人はいない」と言っても、「打ち明けてくれないのは友達として信頼してないから」とか、「じゃあ、このクラスの男子だったら、で良いから教えて」とか執拗で、その空気が藍は堪らなく苦手だった。
「お、良い質問。どっちの家のお嫁さんになっても恨みっこなしですよ!」
父親の膝から、ひょんと飛び降り、子どもテントに逃げ込んだ藍は、背中で大人たちの愉快そうな笑い声を聞いた。
テントの内側からチャックを閉めて、藍は膝をぎゅっと抱えて「なにそれ。なにそれ。なにそれ」と小さな声で唱えた。
涙がぽたぽたこぼれていること、自分の膝が怒りに震えていることを、どこか他人事のように俯瞰して観察している自分がいた。
「大人まで恋バナが好きなんて」恋バナが一過性のブームなどでは無く、この先永遠に続くのだと思うと途方に暮れた。
どうやら、人々は異性の中から「特別な好き」を決めなければいけないと思っているらしい。「特別な好き」は特別で、誰かを「特別な好き」と決めたら、他の人を好きと思うのは「フリン」とか「ウワキ」とかだから、とてもいけない事らしい。
藍にとって、それは自分の好きな人たちへの冒涜のように感じられた。そのことが、悲しくて苦しくて悔しくて、暗いテントの中で、爪が食い込むほど、強く膝を抱えた。いっそ2人が起きて「どうしたの?」と聞いてくれたらいいのにと思ったが、大好きな友だち2人は、すぅうすぅうと心地よさそうな寝息を立て続けた。
初対面で「私バイだから」と自己紹介した藤代恋と藍が友達になったのは大学生の時だった。
「絶対に堕ちない孤高の美少女って噂になってるよ」
と学食で声を掛けられたのがきっかけだった。
「美少女じゃないですよ」
少しつっけんどんに答えると
「孤高は否定しないんだ」
からからと笑った。「私バイだからさ。もしかして、その手のことで孤立してるなら、コミュニティとか知ってるし繋ぐよ」
以来仲良くなった恋から、初めて「アセクシュアル」という言葉を聞いた。恋愛感情そのものを持たない人が、この世には一定数いるらしい。
「藍は、そのことできっと色々苦労もあったろうけど。私にとってはさ、男も女も恋愛対象じゃん?そうゆう意味で言うと100%友だちって、今までいなかったから純粋に嬉しい。私は基本、好きになってくれる人を好きになるから」
恋は、名前負けしない恋愛体質で、藍の在学期間中だけでも2人の彼女と5人の彼氏と付き合った。
藍の体感では、女性との恋愛の方が長続きする傾向があるように思われた。恋は彼女がいる期間は「彼女に悪いから」と全く藍との交流を絶ち、彼氏が出来ると「親友」と言って藍を紹介した。
藍が会社を辞めるきっかけになった恋愛沙汰は、まさしく恋に彼女がいる間に起きた。大学に残って研究を続ける恋には新しい出会いが次々供給され続けたが、そんな中、恋史上最長となる2年間の彼女との交際期間中であったことは、藍にとって大きな痛手だった。恋がいたら、途中で注意喚起なりアドバイスなりが得られたであろうことは想像に難くない。
初めての異動で同じ部署になった小野寺は2つ上の気の良い先輩だった。藍が異動してくるきっかけとなった産休に入った社員は小野寺の学生時代からの先輩で、二人は10年間バドミントンのダブルスを組んでいた。実質二人しか部員はいないものの、なかなかの好成績を上げ続けていたため会社からは公認の部としての扱いを受けていたが、パートナーの離脱で、部の存続自体が危ぶまれる状況に直面していた。そこへ、異動してきた藍が中学高校とバドミントン部だったことが判明し、急ごしらえのダブルスとして活動を続けることになった。
藍にとっては久々のバドミントンだったが、日常的に身体を動かすことが楽しかった。相性も良かったのか、最初に参加した小さな大会で優勝し、部署には二人が獲得したトロフィーが写真と共に飾られた。周囲皆が応援してくれる環境は初めての部署異動で不安だった藍にとって、思わぬ成功体験となった。仕事もプライベートも充実している、と溌溂とした日々を送っていた。
しかし、その小野寺による部署の朝礼での公開告白という、藍にとっては最悪の形でその充実した日々は幕を閉じたのだった。藍以外の誰もが「ほぼ公認カップル」として温かく見守っていたという事実と、それを裏切る形となったこと、その諸々に居たたまれなくなり、藍は会社を辞めた。
「久しぶりに集合しない?会社辞めて暇」
幼馴染のグループラインに藍がメッセージを送ったのは、親友の恋に愚痴れないからだけではなく、家族に近況を報告するのと同じノリだった。
小さな頃のように「いつでも一緒」というのは、とっくに卒業していたが、節目節目―節が無くても、兄弟姉妹のように3人は連絡を取り合っていた。
3人というのはバランスが良いもので、誰かが多忙だったり事情を抱えていて疎遠になる時期があっても、残りの2人が繋がっていて、離脱期間が無かったかのように、またいつの間にか3人になる。今までもそうゆうことが何度もあった。
「ちょうど俺たちも藍に報告したいことがある」
と返答があった時に、藍は
「私をハブにして二人でなんだよw」
と、いつも通りに返信し、その日を楽しみにしていた。
「実は俺たち付き合うことになった」
青と紺の最近の推しという食べ放題の焼き肉店で、最初の肉を網に乗せたところで、紺が言った。
「わ、超おめでとう!わ、凄い」
3回続けて乾杯をした。
「なんか、ごめんなー。藍、色恋沙汰で仕事辞めたってのに、こっち浮かれモードな話で」
「『色恋沙汰』言うな!いーよ。いーよ。楽しい話の方が絶対良い!青、初恋叶ったんだね!」
え?と、聞き返したのは2人同時だった。
「や。知ってたよ。ずっと。幼稚園の頃から、青は紺が好きだったじゃん」
「いや。青、藍に告白したじゃん」
紺が耳を真っ赤にして反論した。
「は?あぁ高校生の時の。あれは私が女だから、青がヤケクソで『付き合おう』って言ったんじゃん。だから、私怒ったんじゃん」
家も近所だった3人は中学までは同じ学校だったが、高校は青だけが私立の男子校に進学した。毎年東大合格者を数名排出する名門進学校だったが、紺と藍が同じ公立高校で、自分だけが別の学校であることに、青は入学当初からふてくされていた。
2年の文化祭に2人を呼んだ後、青は史上最大にむしゃくしゃしていた。男子校の文化祭は出会いの場だ。藍を見て色めき立ったクラスメイトが、一緒に居る紺を見て、「彼氏いる女の子招待してどうすんだよ」と半ばマジ切れし、「あいつら付き合ってねーしっ」と、逆切れした青は周囲をドン引きさせた。
進学校の常として夏休み前に開催される文化祭で、そんなことがあったまま、長期休みに入っていたのだった。
実は幼稚園でも、紺と藍は同じほし組で、自分だけがにじ組であったことに、青はわだかまりを感じていた。
おそろいの黄色い帽子を被る2人が羨ましくて、自分の青い帽子を隠して母親に怒られたこともあった。
紺に嫉妬していたのか、藍に嫉妬していたのか、それは自分でも解らないが、組ごとに並ぶとき、紺と藍は同じ列にいるのに、自分はそちらに入れない。組ごとの部屋に、2人はいなくて「今頃2人は一緒に居るのに」と思うと寂しくて悔しくて泣き出してしまったこともある。
突然の号泣の理由が解らない先生が慌てていて、自分でもどうしていいか分からず、余計に涙が止まらなくなった。
小学校に入学して、3人同じクラスになった時は大袈裟でなく、それまでの人生で一番嬉しいと心から思ったのを鮮明に覚えている。
高校生の夏休み、親たちがキャンプをする海まで、3人で電車を乗り継いでサプライズで押し掛ける計画を立てていた。
その日、夏休み明けの文化祭準備で学校に行っていた紺と藍は、揃って待ち合わせに遅刻した。遅刻は10分程度だったし、連絡もあったが、よりによって2人がまた同じクラスなのが、青を苛立たせていた。
クーラーの効き過ぎた鈍行電車で、紺と藍がぼそぼそと話しているのを、一人窓枠に肘をついて外を眺める風をして聞き耳を立てていると、どうやら文化祭実行委員を一緒にやっている男子に藍が告白されたらしい状況が見えてきた。
「藍、あいつと凄い気が合うのかと思ってた」
「気、合うよ。一緒にいて楽しかったもん。でも好きとか言われると違うんだよ」
「クラスの皆、普通に二人両思いだと思ってるよ」
藍は昔から、その手の話が苦手だ。苦手といっても、ちょっと皿の横に避けておけば良いような類の苦手じゃなくて、それが皿にあったという事実だけで大好物も喉を通らなくなる、そんな重度の苦手だ。
一緒の学校に行ってて、同じクラスに居て、なんで紺にはそれが解らないのかと、腹が立ったが、聞いてないふり、興味がない振りをしている手前、何も言えないのがもどかしかった。
ローカル線の乗り換え駅は、酷い暑さだった。重い布団のような灰色の雲が空を覆っていて、直射日光が無いのに蒸し風呂のような暑さで、3人は少しささくれた木製のベンチに並んで座った。元々体温が高い紺の二の腕から蒸気でも吹き出しているようで、居心地が悪くて、青は立ち上がった。
「藍、俺と付き合わね?」
紺と藍二人の視線が同時に自分を見上げてきて、「また、あっち側とこっち側だ」と小さな絶望を感じた時、みぞおちに藍のパンチが突き刺さった。ベンチから立ち上がりざまの急な角度は、なかなかきつかった。
「は?青、馬鹿なの?」
ずんずんと一人帰っていく藍の背中を、紺と二人で呆然と見送り、その後どうしたんだっけ?二人で親たちのキャンプに行ったかどうか、あまり記憶にない。




