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最後の客が帰って20分くらいが経って、「少し早いけど今日は閉めようか」と話していると、店のドアがからんころんからんと音を立てて開いた。
例によって藍の声はドアベルにきれいにかき消されたが、表情と口の動きで
「ねえねえねえねえ」
と言って入ってきたのが青には解った。
だいぶ機嫌が良さそうだ。藍が「ねえねえねえねえ」とか「あのさあのさあのさあのさ」とか、4回連呼するのは、たいてい余人には共感し難い「面白いこと」考え付いた時だ。
「珍しいね。この時間」
青は警戒モードに入っているのに、紺はこうゆう時ものんびりしている。
「夜の海に行こう」
さも素晴らしい思い付きのように藍が言う。
「仕事終わった時間に暗くないって、なんか嬉しくて。ちょっとふらふら歩いてたんだけどさ、海行こうよ。3人で」
「最近急に日が伸びたよね」
「とはいえ、もう暗いだろ」
「だーかーら、夜の海」
「全然『だから』じゃねえよ。夜はまだ寒いぞ」
抗ってみても、こういう流れになった時はたいてい藍に付き合わされる。
照明がさざ波に反射して、サラサラしている。昼の海が「キラキラ」だとしたら、夜の海は「サラサラ」だ。そう思っていると藍が不意に言った。
「ここに来るまでさぁ、夜の海って、もっとドロリとしてるイメージだったんだよね」
「解る。キャンプの夜の海は、もっと近寄り難い感じがしたよね」
3人同時に同じことを考えていたのが、なんだか笑える。
「そういえばさ、紺のランドセルって深緑だったよね」
「なに?急に」
「それ、俺、小学生の頃から気になってた」
「え?そうなの?」
「そこは紺ちゃうんか~いってツッコむべきか6年間悩んで、言うタイミング失った」
「なんだよそれ。なんかさ、ランドセル工房?みたいな所に連れて行かれてさ。入学前。親と両方の爺ちゃん婆ちゃんと。『好きなの選んでいいよ』って言われて。深緑のランドセルが木の切り株の上に展示されてて」
「切り株?」
「そう。今にして思えば、ただの丸太だったかもだけど、とにかく太い大きい木の断面にデンて置かれてたんだよ。深緑のランドセルが。一目惚れだったんだよね」
「切り株の上に置いてあったのが紺色だったら紺だったってこと?」
「そうかもしれない」
3人で揃って笑う。
「そういえば、ランドセルってどこやったんだろ」
藍が砂を海に投げながら言った。
「俺は実家の部屋にあるよ。今も」
「えー。たぶん私の部屋にはないなぁ」
青と藍が紺を見る。紺はこうやって、自分のターンだと示されないと往々にして聞き役に徹してしまう。
「これ」と、紺はお尻のポケットから長財布を出した。
「親が、卒業記念にランドセル解体して財布にしてくれて。今も使ってる」
「え。これ?そういえばずっとこれだね。凄い」
「なんか愛着あって。なんせ一目惚れだったから」
「ちなみに俺のランドセルは紺だったぜ」
「おーいーっ!」と藍が海の方へ青を押す。
「よせ。よせ。よせ。よせ」
いい大人が夜の海ではしゃぐのも悪くない。
「ここに越してきた最初の夜さ、私の部屋、カーテンまだなくて。月が眩しくて寝られないって人生初だったんだよね」
今夜の月も、とても明るくて海の「サラサラ」に一役買っている。
「そしたら、今度朝は鳥の声が凄くて目が覚めて」
「あぁ、ここ、凄いよね。ホーホケキョとピーヒョロロロロロと大合唱」
「上空に常にトンビが巡回してるもんな」
「見張られてる感?見守らてる感か、えぐいよな」
また笑う。
「最近気付いたんだけど、私たちの月一お泊り会って、親たちが順番で親休日とってたんだよね」
「親休日?」
「そう。親をひと休みする日」
「え。俺それ普通に気付いてたよ。うちの親、あからさまに浮かれてたもん」
「え。そうなの?子が楽しいから、喜ばしいって、ほほえましいやつかと思ってたよ」
また笑う。
「私、今年の夏やりたいことあるんだけど」
「言うな。付き合わないぞ」
「熱帯夜に海風浴びながらオールしよう」
「しない。しない。絶対しない」
とりとめもない話をしながら、結構夜の海を満喫してしまった。
藍を家まで送り届けて、忍者道を下りながら、紺がぽつりとつぶやいた。
「こうやって大人になって3人で遊んだ後、一人で帰るのは俺だと思ってたんだよね」
「や、それ、俺が思ってたやつ」
「え」
「え」
顔を見合わせて笑ってしまう。
「まぁ、普通そう思うよな。この組み合わせなら」
「うん。でも、一緒に帰るのが青で良かったよ、俺」
「どうした?どうした?どうした?」
「その愛がどんなに本物でも相手に届けなければ、相手にとっては無いのと一緒だって、この間、藍にこてんぱんに怒られた」
「藍――――っ!」
青が両手を空に向けて感謝の雄叫びをするのを、紺が慌てて止める。
「しー。忍者道では静かに」
「なつぅ」
「ここに、あるから。ちゃんと、愛。不安になったら、いつでも聞いて。俺、何度でも言うから」
「考えてみたら俺ら誰も一人で帰ってなくね?」
「確かに。藍は家に着くまで3人だもんな」
「王子様二人に送られて優雅だなぁ。結局俺らWinWinだな」
忍者道でひっそり繋いだ手を、大通りに入っても解かずに歩いている夜を、青は「一生忘れないだろうな」と独り言ちて、少し鼻の奥がつんとしたのを感じた。




