8話
遥か遠く、王国の王城――その一角にある重々しい執務室。
「……それで、アイリス嬢の行方はまだ分からんのか?」
国王陛下の苦渋に満ちた問いに、現騎士団長は苦い表情で首を振った。
「は。恐れながら『アイリス』という名はありふれた花の名前であり、国内だけでも膨大な数が該当いたします。なにより、彼女の『公爵令嬢』としての認知と記録が世界から消滅した今、これ以上の捜索は極めて難航しております」
無理もない。現騎士団長の前任者――つまり断罪劇に加担した騎士団長子息の父親は、息子のやらかした大失態の責任を取らされ、すでに失脚しているのだ。騎士団の統制すらガタガタなのが現状だった。
「そうか……。公爵、そなたの家の方ではどうなのだ?」
国王が、執務室の壁際に佇む公爵家当主へと視線を向ける。しかし、公爵は当然のように無表情のまま、冷淡に言い放った。
「いえ。我が公爵家には、最初から子供など一人もおりませんが?」
「……はぁ」
当の父親がこれでは話にならない。
国王陛下は深く頭を抱え、盛大なため息を吐くしかなかった。
公爵家当主という男は、極限まで利己的で、異常なほど自己愛の強い人物だった。 彼が愛しているのは「公爵家当主である自分自身」の価値だけであり、家族や部下などは、自分の権威を飾り立てるための付随品、あるいは世間体を保つための都合の良い「駒」としか考えていない。
だからこそ、次期国王となる王太子から実の娘が婚約破棄されたと知った時も、彼は即座にその娘を「不良品」として切り捨てる判断を下した。
その後に、世界から『公爵令嬢アイリス』としての存在や記録がどう不可解に抹消されようが、彼にとっては「使えない駒が一つ消えた」という事実に過ぎない。 そんな血の通わない男だからこそ――すべての立場を失った元娘の価値を、見出すことなど到底できなかったのだ。
そして……それは、もう一つの「駒」に対しても同様だった。
* * *
「――本日をもって、貴様との養子縁組を破棄することにした。だが安心しろ。我が公爵家の従属貴族である子爵家が、跡取りとして貴様を養子に迎えてくれるそうだ。明日には迎えが来るから、荷物をまとめておけ」
「……え? ご当主様、突然なにを……っ?」
公爵邸の執務室。公爵義子息(義弟)は、目の前の養父が告げた言葉に驚愕し、ぽかんと口を開けた。
「貴様を養子に迎えたのは、本来なら我が娘が王家に嫁ぐ際、公爵家の守りを盤石にするための臨時の繋ぎに過ぎん。だが、王家との婚姻は白紙となり、娘も消えた。ならば、貴様が『公爵家子息』である価値も同時に消滅したのだ」
「そんな……! 私は公爵家の子息として、今日まで血の滲むような努力を続けてきました! あんまりです!」
「貴様は『繋ぎの人材』だからこそ、格の低い貴族の貴様を妥協して手元に置いてやったのだ。元より公爵家を継ぐには血が薄すぎる。貴様自身、そんなことは理解していたはずだがな?」
公爵はピクリとも表情を崩さず、冷徹な眼光で義息子を射抜く。
「王家との婚姻関係をぶち壊した罪人を、こうして生かした上で、別の貴族家へと取り立ててやるのだ。これ以上ない寛大な処置だと思うが……不満かね?」
一切の感情を排した声に睨まれ、義息子は完全に言葉を失った。
「原因は不明だが、公爵令嬢という娘の存在は綺麗さっぱり消え失せ、それに付随する王家との契約もすべて白紙となった。だからこそ、貴様は今こうして生きていられるのだ。大人しく子爵家へ行き、その自慢の能力とやらを、これからは影から我が公爵家のために使え。……もしそれに反した場合、貴族の一員として、どうなるかは分かっているな?」
公爵はそれ以上口を開くことなく、手元の書類に目を落とした。
隣に控えていた執事から無言で退室を促され、義息子は震える足を無理やり動かして、這うように自室へと戻った。
ベッドに倒れ込み、呆然自失のまま天井を見つめる。
自分は、実力を認められたから公爵家に迎えられたのだと自惚れていた。
しかし現実は違った。自分はただの、公爵令嬢の『付属品』でしかなかったのだ。 そして、その大切な主である公爵令嬢の婚姻を、自分自身の独善的な正義感で破壊してしまった。 だから、不要品として処理された。
――考えれば、当たり前のことだったのだ。
格下貴族の三男坊に生まれた自分が、なんの裏も制約もなく、最高峰である公爵家の跡継ぎになれるわけがない。 人形のように冷静で完璧だった義姉よりも、血の通った人間の温かさを感じさせてくれる桃色髪の彼女を支えたいと、あの夜は本気で思っていた。
けれど、あの氷のような公爵にして、あの冷徹な義姉だったのだ。
公爵家という怪物を維持するために必要なのは、桃色髪の彼女のような「暖かな人間性」などでは断じてなかった。
それは公爵家のみならず、冷酷なパワーゲームを繰り広げる王家にとっても同じこと。
もともと、あの家には最初から『家族』としての温情など一欠片も存在しなかった。なのに自分は、一体なぜ、愛だの正義だのと勘違いをしてしまったのか。
「公爵家子息として頑張った、か……」
自嘲の呟きが、虚しく室内に響く。 自分だけの能力でその場に立っていたという、あまりにも惨めな勘違い。
彼が誇っていた能力など、義姉の完璧なマクロ管理の上で、ただ指示通りに書類を処理するだけのミクロの作業能力に過ぎなかったというのに。
「裏切りは、死か……」
公爵の言う通り、これからの自分は従属貴族の家で、一生公爵家を肥え太らせるためだけの奴隷として生きる。逆らえば、即座に消される。 役に立たねば、死ぬ。
すべては、自分の浅はかな行動が招いた結末だった。 彼はそれ以上何も言えず、床にへたり込んだまま、自分を連れ去る迎えの馬車が来るのを、ただ怯えながら待つことしかできなかった。
* * *
一方で、公爵家当主であるアイリスの実父もまた、内心で激しい苛立ちを募らせていた。
徹底的な合理主義者であり、自己愛の塊である彼は、自分の統治能力に絶対の自信を持っていた。自分の知略は、現王家よりも遥かに優れているとすら確信していたのだ。
それなのに、何が原因なのか、王太子との婚約は破棄され、その当事者である娘は公爵家との繋がりごと世界から消失した。
公爵家に最大の利益が出るように婚姻をコントロールし、その血を王家に嫁がせ、国の中枢を内部から掌握する。そして将来的に、自分の統治勢力をこの国のすべてに広げる――。
その、完璧であるはずだった我が人生のロードマップが、一瞬にして崩壊したのだ。 しかも「公爵家に子供など最初から存在しない」という世界のバグにより、王家との婚姻契約も、教会との繋がりも、これまでの長年の努力の結晶が、すべて跡形もなく消え去ってしまった。
(……いや、気にする必要はない。また最初からやり直せばいいだけだ)
有力な貴族との新たな婚姻、血筋の引き入れ、後継ぎの再形成、王家との再契約……。 やらねばならない。なぜなら、私は完璧なのだから。完璧にやり遂げねばならないのだ。
公爵は、狂ったように次の計画へと動き出した。 しかし――あの異常な断罪劇と、その後に起きた謎の「公爵令嬢抹消事件」により、公爵家の社会的信用はすでに地へと落ちていた。 まともな貴族家からは「関わると呪われる不気味な家」として完全に距離を置かれ、彼がどれだけ人脈を動かそうとしても、望むような結果は二度と得られない。
完璧を自負する男は、自分がすでに「詰んでいる」ことすら気づかぬまま、終わりのない焦燥の迷宮へと、自ら足を踏み入れていくのだった。
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作者が基本的な文章や設定を執筆し、GemminiAIにて、校正・編集をしてもらい、作者が再読し修正をおこなったものを投稿しています。




