おしまい
自由都市ユッカでの生活を始めてから、早いもので三年が経った。
いつしか商業ギルドからの王国の情報は途絶えがちになっていた。国境を越えた王国の中枢部や公爵家、教会の生々しい動きは、外の世界からはどうしても見えにくくなる。この数年で新しく風の噂に聞いたことといえば、国教の大司教が交代したこと、公爵家の当主が未だに必死に後妻を探していること、そして公爵家の元義弟が別の貴族家へ養子に出されたということくらいだった。
しかし、まったく意外な場所から、私は自分の放った『呪い』の結末を知ることになる。
「アイリス様、王国教会からの使者様がギルドに到着されたと、受付から連絡が入りました」
「王国からの使者?」
デスクで書類をめくっていた私に、秘書のアンナが声をかけてきた。
「はい。王国教会からの巡礼団の皆様が、こちらの聖地である『モンステラ』に入山するための、提出書類の精査と翻訳の業務依頼です。巡礼団の本隊が一ヶ月後に到着するため、本日は代表者の方が事前打ち合わせをしたいと応接室でお待ちです」
「なるほど、承知したわ。今すぐ応接室へ向かうとお伝えして」
この三年の月日の中で、私はギルドで語学と実務の能力を正当に認められ、今では翻訳業務のマネジメント全般を任される立場になっていた。
アンナも私の有能な秘書として、正式にギルドに雇われている。私の下にはすでに五人の部下がついており、そのうちの一人とアンナが最近なんだか良い雰囲気なので、私は姉のような気持ちで生温かく見守っているところだ。
王家仕込みの私の翻訳は、各国の歴史や法制、宗教的タブーを熟知した上で言葉を選ぶため、ギルド内だけでなく、大商会や、果ては海洋国家エバーフレッシュの公的公文書の翻訳依頼まで舞い込んでくる。ユッカでの仕事は順風満帆で、信じられないほどやりがいがあった。
今回のような聖地モンステラへの入山手続きも、専門性の高さから私が直々に担当することが多い。
モンステラは中央大陸に位置するため、基本的には東大陸の帝国語が使われるのだが、聖地独特の古典宗教的な言い回しがあり、一文字間違えるだけで神への冒涜と捉えられかねないのだ。
……まあ、私に言わせれば、東の『大判焼き』を西で『今川焼き』と言い換える程度の、ちょっとしたニュアンスの違い(文化の差)でしかないのだけれど。
そんな軽い気持ちで、お茶の載ったトレイを持つアンナと共に、私は応接室の扉を開けた。そして、そこに佇む客人の顔を見た瞬間――私は小さく息を呑んだ。
そこにいたのは、かつて王国の大聖堂で頂点に君臨していた、あの大司教猊下だったのだ。
「……っ、アイリス嬢!まさか、こちらにいらしたとは……!」
「大司教猊下。……なぜ、このような辺境の都市に」
「お止めください、もう大司教の座は退きました。今の私は、ただの放浪の宣教師です。……アイリス嬢。あの夜は、我が息子がそなたに対して、取り返しのつかない非礼を働いた。……この場をお借りして、父親として深く、深く謝罪申し上げます」
そう言って、かつて一国の宗教権力のトップだった老人が、私の前で深く頭を下げた。
「頭をお上げください、猊下。私はすでに公爵令嬢ではありません。……ですが、その謝罪は、私の過去のために受け取らせていただきます」
ほんの一瞬だけ、王国の大司教と公爵令嬢という「かつての立場」に戻ったような緊迫した空気が流れたけれど、私の心は驚くほど穏やかだった。
私はあの夜、呪いを発動した時点で公爵令嬢としての人生をすべて捨てたのだ。今ではユッカの『アイリス』としての日々に誇りを持っているし、過去の出来事に対するわだかまりは、綺麗さっぱり消え失せていた。
「さて、聖地モンステラへの入山資料の翻訳のご依頼でしたわね。ギルド職員として、完璧にお手伝いさせていただきます」
私がビジネスライクな笑顔に切り替えると、元大司教は少し痛ましげに目を細め、躊躇いがちに私に問いかけてきた。
「……失礼ながら、実務の前に一つだけ、どうしてもお聞きしたいことがございます。息子のしでかしの責任を取り、私が地位を退いたのは当然のこと。しかし、あの夜に起きた、そなたの『公爵令嬢としての存在そのものが世界から抹消された』という奇跡。あれは一体、何だったのですか?もし……もしあれが神のご判断、神罰の類なのだとしたら、教会を預かっていた私は一体どう神に応えればよいのかと……」
私は少しだけ思考を巡らせた。今更、あの不愉快な断罪劇のディテールを思い出すのも嫌だったし、自身のシステム(スキル)の秘密を他人に明かすリスクも理解していたからだ。けれど、目の前でひどく憔悴し、ただ真実を求めている老宣教師の姿を見ると、胸の奥に小さな同情が浮かんだ。私を理不尽に裁いたのは彼の息子であり、この大司教ではない。それなのに、彼は自ら十字架を背負って地位を捨てたのだ。
「……分かりました。では、一つ交換条件がございます。そして、ここでの話は他言無用にしていただきたく存じます」
「自然(当然)のことです。今の私にどれほどの価値があるかは分かりませんが、神の御名にかけて、この命に代えても秘密は守ると誓いましょう」
その真摯な言葉に頷き、私は自分の『呪いのスキル』について、初めて他人に打ち明けることにした。
「実は私、公表はしていませんでしたが『呪い』というスキルを持っていたのです。このスキルは、自分の所有する大切な何かを対価として捧げることで、対象に呪いをかけるというもの。……あの夜、王太子に婚約を破棄され、実の父に『価値なし』と切り捨てられた瞬間、私は自分の中にある『公爵令嬢としてのすべての記録、記憶、権利』をスキルの対価としてシステムに捧げました」
私は少しおどけるように、肩をすくめてみせる。
「ただ、私の小さなキャパシティでは、相手の生存を左右するような恐ろしい呪いは発動できないのです。『全員ハゲろ』と呪おうとしても、公爵令嬢のすべてを捧げたくらいでは、対価が全く足りないほどにね」
私のちょっとしたジョークで場を和ませようとしたのだが、大司教には冗談に聞こえなかったらしく、彼は引きつったような苦笑いを浮かべ了った。
「……そして、公爵令嬢としての私のすべてが対価として消費された結果、世界から私が公爵令嬢として認識されていたあらゆる事象が、綺麗さっぱり消失した。それが、あの夜に起きた『公爵令嬢消失』の真実です」
「そなた自身のスキル……。なるほど、確かにそのような因果を捻じ曲げる禁忌、公表できるはずもありませんな」
「やはり、教会にはそのようなスキルに関する記録が残っているのですか?」
「ええ。およそ五百年前の、最悪の禁忌事例として。現在の帝国の前身であるサンスベリア帝国の女帝が、そのスキルを発動した結果、一夜にして国土のすべてが物理的に消失したという恐ろしい記録がございます。その後、世界は大戦乱の時代へと突入しました。おそらく彼女も、何かを呪うための対価として、自らの帝国そのものを丸ごと捧げたのでしょうな……」
「そんな大層なスキルだと事前に分かっていれば、王家も私との婚姻を軽率に扱わなかったでしょうに。まあ、事前に公表なんてしていたら、実の父親に殺されていたでしょうから、言っても詮無きことですわね」
クスリと笑う私を見て、元大司教は居住まいを正し、静かに訊ねてきた。
「……ここまでお話ししてくださったということは、彼らにかけた『呪いの内容』についても、お聞きしてよろしいのですな?それが、先ほどの交換条件の『対価』なのでしょう」
「ええ、その通りです。私の呪いは、彼らの運命を強制的に破滅させるような大層なものではありません。ほんの小さな『きっかけ』を脳内に与えたに過ぎないのです」
私はお茶を一口すすり、静かにその全貌を口にした。
「王国一の豪商子息には、キリの良い数字の桁の認識をほんの少し見間違える呪い」
「騎士団長子息には、自分が盲信している『力(筋肉)』への依存度を極端に高める呪い」
「宰相子息にも同様に、規律や規則といった自らの能力に関するエゴを肥大化させる呪い」
「そして……あなたの御子息には、神への敬愛の念を限界まで高める呪い」
元大司教は息を呑み、じっと私の言葉を待っている。
「実の父親である公爵には、元々強かった自己愛をさらに増幅させる呪いをかけました。……あ、ちなみに義弟には呪いはかけていませんの。父の性格なら、私が消えれば繋ぎの駒である義弟など、用済みとして勝手に自滅させることは分かっていましたから。……それから、あの桃色髪の少女にも呪いはかけていません。彼女は……良くも悪くも、呪おうが呪わまいが、何も変わらないと思いましたの」
「……では、王太子殿下には、一体どのような呪いを?」
元大司教の問いに、私は窓の外に広がるユッカの美しい街並みを眺めながら、静かに微笑んだ。
「色々と考えたのですけれど、あの夜、彼らが私を断罪した大義名分は『弱いものを虐めるような女は、次期王妃としてふさわしくない』というものでした。
彼がわざわざそんな言葉を使ったということは、彼の中で『王太子妃としての理想の役割』をとても神聖で、大事なものとして捉えていた証拠だと思うのです。私の呪いは、本人の根底にある認識を180度ひっくり返すことは出来ません。……ですから、王太子殿下への呪いはシンプルにしましたわ」
私は元大司教の目を真っ直ぐに見つめ、告げた。
「――『彼が理想とする、真に完璧で、高貴で、かつ人間としての温かみを持った王妃』。そのボディイメージを、彼の脳裏に絶対に消えない正解として、生涯強く認識し続けるようにしたのです」
「……っ!!」
元大司教は一瞬、ハッと目を見開いた。そして、その呪いが持つ『真の恐ろしさ』を瞬時に理解し、じわじわと、しかし心底から吹っ切れたように愉快そうに笑い出した。
「なるほど……!そなたを『ふさわしくない』と切り捨てた男に、真に『ふさわしい王妃とは何か』の絶対的な答えを認識させた、と……!これは……憎むことも、復讐と責めることも叶いませんなぁ……!」
「ふふ、そうでしょう?」
私も彼に合わせて、悪戯っぽく笑い返した。
私は、彼らが投げてきた理不尽なボールを、そのままの角度で彼らの元へ投げ返しただけ。これを復讐と呼ぶのかどうかは、私には分からない。 結局のところ、『ふさわしい』とか『ふさわしくない』という評価は、それを観察する他者が決めることであって、自分自身の都合で捻じ曲げられるものではないのだ。だから、その自らの評価の基準に、今度は彼ら自身が苦しめられればいい。
特に、王太子殿下に国ごと滅んでほしいわけではないのだ。私も、自分の生まれ故郷が血の海に沈むような事態は望んでいない。
ただ――王太子殿下は、これから一生、隣にいる桃色髪の少女を見るたびに、「温かな人間性への好感」と「王妃にふさわしい知性や所作」との絶望的な差に、激しい違和感と嫌悪感で苛まれることになる。
桃色髪の少女が持つ『国母としてふさわしい暖かい人間性』や『愛らしく守ってあげたいと思わせるカリスマ性』。王太子が心から「ふさわしい」と感じるその光の部分と、国を背負う王家の妃として「常に完璧であり、知性と教養によって国を強く引っ張る」という絶対に不可欠な要素。
――その二つを、あの彼女が双方持ち合わせることなど、まず不可能に近いのだから。
彼は彼女の愛らしさや人間性を愛すると同時に、妃としての圧倒的な能力不足を激しく嫌悪することだろう。
そしてもし――万が一にでも、桃色髪の少女が血の滲むような努力をして王妃としての完璧な能力を身につけたとしたら。その時、彼女の最大の武器だったあの「愛らしさ」や「暖かみ」は、果たして摩耗せずに残っているだろうか。
満たされることのない理想。終わりのない、選択結果の牢獄。 それこそが、私が彼に贈った、最初で最後の「ふさわしい」呪いだった。
「――では、元猊下。お話の続きはまた今度。次は、楽しいお仕事(翻訳)の話を始めましょうか」
「ええ、喜んで。有能な翻訳官殿」
私が最後に出した交換条件は、ことの顛末を知ること。それを元猊下に頼んだのだ。
異国の柔らかな光が差し込む応接室で、私たちは未来へ向けて、新しく書類を広げたのだった。
過去の出来事は、すべて物語として楽しむために・・・
おしまい
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作者が基本的な文章や設定を執筆し、GemminiAIにて、校正・編集をしてもらい、作者が再読し修正をおこなったものを投稿しています。




