7話
自由都市ユッカでの生活を始めてから、早いもので一年が経った。 私とアンナの異国暮らしはすっかり落ち着き、お互いの会話の中に、かつて暮らした王国の出来事が上ることも少なくなっていた。
そんな、ある穏やかな日のこと。
「お嬢様、商業ギルドからお手紙が届いていますよ」
「あら、急ぎの通訳か何かの依頼かしら?」
「いえ……これは例の、王国からの定期報告だと思われます」
「……どれどれ」
受け取った書状に目を落とす。そこには、私が仕掛けた『呪い』の結果と思われる顛末が、淡々と書き連ねられていた。
曰く――騎士団長子息は、過度な鍛錬のしすぎで肉体と精神を完全に壊し、療養のために実家の領地へと送られ、そのまま引きこもり生活に入った。
曰く――宰相子息は、融通の利かない極端な規律主義によって業務上の大失敗を連発し、最終的に周囲から総スカンを喰らって、国境近くのしなびた田舎領地の低級行政官へと左遷された。
「……なるほど、騎士団長子息と宰相子息の報告ね」
「お嬢様、彼らには一体どんな呪いをかけられたのでしたっけ?」
アンナが興味深そうに首を傾げる。
「ふふ、彼らが元々抱いていた『強い自信』を、ほんの少しだけブーストしてあげたのよ。騎士団長子息には『より強い力を求めたい』という焦燥を。宰相子息には『自分の知能こそが正しい』という傲慢なエゴをね。本人がそれを、より強く、強迫観念として感じるようにしただけ」
「ずいぶんと曖昧な呪いですね。どうしてそんな、不確定な方法をとられたのですか?」
「だって、彼らが卒業パーティーで私にしたことって、本質を見れば『自分たちの私欲を正義だと思い込んだ、ただの違法行為』でしかないでしょう?
そんな歪んだ独善を抱いているなら、その『強い思い』とやらで勝手に自滅してほしかったのよ。まあ、半分は私のただの願望だったのだけれど」
「しかし、確実ではない呪いだったにもかかわらず、彼らは見事に転がり落ちた、と」
「ええ。想定以上にね」
「なるほど……。彼らの顛末は、あるべき『正しい未来』に回帰したというわけですね」
アンナの「回帰」という表現に、私は思わずクスリと苦笑を漏らした。
「そうね、その通りかもしれないわ」
私が受けた理不尽な過去が、今さら消えて元に戻るわけではない。 けれど、彼らの惨めな顛末によって、あの夜の断罪劇が「ただの間違いだった」と世界に証明されていくようで。
ほんの少しだけ、あの日の私が救われたような気がした。
呪いを仕掛けたのは、あと4人。 私は新しい日常を目一杯に楽しみながら、彼らの次なる知らせをゆっくりと待つことにしよう。
* * *
――同じ頃、王国の国教大聖堂。
「私は……間違っていたのか……?」
国教の大司教子息は、薄暗い懺悔室の前で呆然と呟いていた。 純粋無垢な桃色髪の少女に、生まれて初めて抱いた淡い恋心。彼女の純真を守りたくて、彼女の笑顔を見ていたくて、彼は王太子殿下の婚約破棄という名の『正義』に加担したはずだった。
しかし。
「お前は、神への宣誓をなんだと心得ている?」
事態は、大司教である実父からの突然の呼び出しによって一変した。 重々しい執務室で、父は地を這うような声で息子に問いかけた。
「いえ……あの悪役令嬢のしたことは許されることではなく、私は正義の審判の証人として立ち会ったまでで……」
「私は、神への宣誓について尋ねている! 答えられないのか!」
「ひっ……! い、いえ……宣誓とは、神の御前で誓いを立てることであり、その約束が神聖不可侵なものとして承認されるという意味があります……!」
「そうだ」
大司教は低く首を縦に振ると、突如、実務机を拳で激しく叩きつけた。ドン、と凄まじい音が室内に響き渡る。
「ではなぜ貴様は! 神聖なる神の御名において誓われた、王太子殿下と公爵令嬢との『婚約の宣誓』を破棄する場に、笑顔で立ち会ったのだ!?」
「それは……それは、あの令嬢の行為が王太子妃として相応しくなかったからで……!」
「黙れ、この不信仰者が!」
大司教の怒号が、息子の鼓膜を震わせた。
「神への誓いを破ることは、単なる約束違反ではない!『神の信頼を裏切る行為』であり、『神の御名をみだりに唱える大罪』だ! それを貴様は、貴様個人のちっぽけな私欲と正義感によって、宣誓を破るのを傍観するどころか手助けしただと!? 貴様は神の上に立ち、その権威を僭称するつもりか! この不敬極まる背信者め!!」
「は……背信者……!? 私が、ですか……?」
息子の顔から、血の気が一気に引いていく。
「そうだろう! この大聖堂で、神の御名のもとに行われた宣誓だ! 生涯をかけて守り抜くと神に誓った決意を、ただの個人的な色恋沙汰で一方的に破棄するなど、神と教会の権威を踏みにじるに等しい! それに我が息子が加担していたとは、もはや万死に値する!」
「そ、それは……しかし、王太子殿下が……」
「もういい。下れ」
大司教は深く絶望したように、力なく手を振った。
「……どういうわけか、あのかの公爵令嬢は、世界からその『存在(肩書き)』が完全に抹消された。何らかの禁忌スキルか、あるいは神の裁きか、私にもわからん。だがな、我が大聖堂で私が立ち会った『王太子と公爵令嬢の婚約の宣誓』そのものが、世界から完全に白紙化されたのだ」
「え……?」
「つまり、貴様がドヤ顔で立ち会ったあの『婚約破棄』とやらは、最初から存在しない虚無の茶番劇になったということだ。国を巻き込む特大の事象を起こした全責任をとり、私は大司教の座を降りて放浪の宣教師となり、生涯をかけて神に許しを請う。お前の母は実家に帰す。お前は……もう好きにするがいい」
父親から完全に突き放され、彼は部屋を追い出された。 頭に流れ込んでくる情報が多すぎて、どう受け止めてよいのかわからない。
――背信者。 ――神の信頼を裏切る行為。 ――神の御名をみだりに唱える行為……。
「私が……神を裏切った……?」
公爵家に、公爵令嬢は最初からいなかった。では、あの夜に断罪した彼女は誰だったのか? 神の御業によって、すべてが無に還った? 自分の浅はかな行為のせいで、神聖なる宣誓の価値が、教会の権威が、すべて失われてしまったのか?
「私の……私のせいで……!?」
その瞬間、彼の全身から凄まじい嫌な汗が噴き出し、全酷な悪寒と共に身体がガタガタと震え出した。 元々、彼は誰よりも信心深く、敬虔な神の使徒だったのだ。 だからこそ――自分が「初めての恋心」という身勝手な欲のために、最も敬愛する神を完璧に裏切ってしまっていた事実に気づいた瞬間、その楔は深く彼の精神を破壊した。
自分の信じる世界のすべてを、自らの手で汚し、否定してしまった。 激しい自責の念の荒波に呑まれ、彼の心は、二度と元に戻らない音を立てて崩壊していった。
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作者が基本的な文章や設定を執筆し、GemminiAIにて、校正・編集をしてもらい、作者が再読し修正をおこなったものを投稿しています。




