5話
あれから一か月が経った。
私は今、海洋国家エバーフレッシュの港町『ユッカ』で生活している。
中心部の喧騒からは少し離れているが、窓を開ければ青く輝く海が一望できる、丘の上の小さな屋敷を買い取った。
そこで愛侍女のアンナと二人、穏やかに暮らしている。
幸いなことに、仕事もすぐに見つかった。
異国の言葉を扱う、翻訳・通訳の仕事だ。
ここユッカは自由と商売の街であり、世界各国の貿易の中継地として栄華を極めている。 私がいた王国の中央大陸語をはじめ、南方諸国語、東大陸のカクシン帝国語、さらには西方大陸語まで、商船や軍艦、時には海賊までが立ち寄る世界有数のメガポリスなのだ。
当然、常に言葉の壁を取り払う人材が求められていた。
そこで活きたのが、あの忌々しい「王太子妃教育」である。死に物狂いで諸外国の言語を完璧にマスターしていた私は、ギルドに登録した初日から複数のオファーを獲得し、初手で大手商会との専属契約を結ぶことができた。
亡き母の遺産を切り崩すことなく、自分の腕一本で清潔な賃金を稼げたのは、素直に誇らしかった。
――生活が落ち着いた今、私はここへ向かう船の上で気づいた「ある事実」に思いを馳せている。
あの日、婚約破棄を突きつけられた私は、確かに燃え盛るような怒りと憎しみを抱いていた。奴らを一人残らず破滅させてやると、本気で復讐を誓った。 しかし、スキルによって「公爵令嬢としての過去・現在・未来」をポイント換算した瞬間、世界から私の肩書きだけでなく、衣服も、部屋の家具も、人々の記憶も消えた。
……消えたのは、それだけではなかったのだ。
私は公爵令嬢という立場の責任と義務を果たすため、王太子と婚約し、相応しい妃となるべく血の滲むような努力を重ねてきた。そして、それを嘘と欺瞞によって理不尽に奪われた。
けれど、ポイント換算というシステムは、その理不尽な「結果」だけでなく、私が積み上げてきた「努力」や「苦しみ」、そしてあの日抱いた「激しい憎悪」すらも、すべて等価のものとして吸い上げ、数字に変えてしまった。
公爵令嬢としてのアイリス・バレンタインは、もうこの世界に存在しない。
無に帰したのだ。 そう気がついたとき、私は愕然とし、同時に言い知れぬ恐怖を覚えた。
私の手元に残された『10,280ポイント』は、公爵令嬢だった私の、いわば「残り滓」だ。
きっと、このポイントをすべて使い切ってしまった時、私は本当の意味で、ただの「アイリス」という一人の人間に生まれ変わるのだろう。それは未来を手に入れることでもあるけれど、過去の自分を完全に失うようで、少しだけ怖い。
「……でも、だからこそ、これはケジメよ」
私はこのポイントを使い切る。
これは、理不尽に面子を潰された高貴なる貴族としての、最後の意地だ。私の人生を弄んだ奴らは、公爵令嬢からの、最初で最後の文字通りの「呪撃」を受けるべきなのだ。
船旅の退屈な時間の中で、私は呪いのシステムについて色々と検証を重ねていた。 試しに、脳内で「あの馬鹿ども全員、男性機能が永遠に使えなくなる呪い」を想定してみたところ、
――『38,000ポイントを消費します。ポイントが足りません』
という無情なエラーメッセージが表示された。
うん、高すぎる。まあ貴族としての血統や未来を物理的に根絶やしにするレベルの呪いだし、妥当と言えば妥当か。
ちなみに、腹いせに「全員ハゲてしまえ」という呪いも試してみたが、これも生体組織の永続的な改変にあたるのか、意外と高ポイントを要求されることが判明して断念した。
これらの実験で分かったのは、対象を直接的・暴力的に害する呪いはコストが跳ね上がるということ。
逆に、かつて家庭教師にかけた「特定の発音をできなくする」といった、本人の脳の「ちょっとした認識のバグ」を利用する呪いであれば、驚くほど低コストで成立する。
だったら、答えは決まっている。 私を公爵令嬢として認識できなくなった世界のシステムと同じように、【認識をほんの少し歪める呪い】を、彼らにふさわしい形で仕掛けてやればいい。
本人の強い意志や正しい行動さえあれば、あるいは跳ね除けられるかもしれない、ごく小さな歪み。
けれど、己の欲やプライドに溺れた彼らなら――その小さな歪みから勝手に自滅の道を歩みそうだ。
「これが、公爵令嬢アイリス・バレンタインとしての、最後の執行よ」
夜の自室、私はアンナが見守る中で静かに微笑み、頭の中に浮かぶスキル画面を操作した。 対象は、あの夜、私を嘲笑った五人の男たち。
あなたたちが、私を公爵令嬢として認めなかったのと同様に。 今度は、私があなたたちの認識を少しだけ変えてあげる。
私は変わった。だから、あなたたちもその変化を楽しみなさい。
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作者が基本的な文章や設定を執筆し、GemminiAIにて、校正・編集をしてもらい、作者が再読し修正をおこなったものを投稿しています。




