4話
公爵邸からの脱出は、拍子抜けするほど簡単だった。
使用人に目撃されても、彼らの目には「どこか他家の高貴なお嬢様」としか映っていないらしい。
特に違和感を覚える様子もなく、すれ違いざまに軽く頭を下げてくるだけだ。
移動に関しても、アンナが「お嬢様をお送りしてまいります」と言い含めてくれたおかげで、使用人用の馬車をすんなり手配してもらえたのは幸いだった。
彼らが一体どんな認識の歪みを起こしているのか、少し詳しく聞いてみたい気もしたが、藪蛇になる可能性を考慮して自粛した。
王都の商業区域に入り、そのまま目立たない高級宿に滑り込んでようやく一息つく。
アンナは「公爵家の客人をお連れした」という名目で、なんと自己負担なしで部屋を確保してしまった。
本当に頼もしい限りである。
「ここまで問題なく来られたのは、アンナのおかげよ。ありがとう」
「もったいないお言葉です。それでお嬢様、これから如何なさいますか?」
「とりあえずはまとまった資金ね。それから、どこか落ち着ける場所に移動して生活基盤を整えたいわ」
「なるほど……。ではまず、現状を正確に把握させてください。卒業パーティーで一体何があったのですか?」
「そうね、まずはそこを共有しておかないとね」
私はベッドに腰掛け、アンナに卒業パーティーでの断罪騒動からの一連の流れを順を追って話した。
「――ということなの。今頃はきっと、王城で王族の方々とお父様が、今後の扱いについて話し合いでも持たれているんじゃないかしら」
「なるほど。そして現在、お嬢様は誰からも『バレンタイン公爵令嬢』とは認識されない、と」
「ええ、そうなの」
「……そうなると、かなりややこしい話になりますね。お嬢様は公爵令嬢ではない。では、王太子殿下が婚約破棄を突きつけた『公爵令嬢』という存在は、一体どうなってしまうのでしょう?」
「あ……」
アンナの指摘に、私はハッとさせられた。
確かにそうだ。 王太子が婚約破棄を言い渡した相手は「公爵令嬢」だが、今この世界にバレンタイン公爵家の令嬢は存在しない。 王家は「公爵令嬢」と婚約を結んでいたはずなのに、公爵家には最初から令嬢などいなかったことになっている。
公爵家側からしても「アイリスという娘」の記憶はあるが、それが「我が家の公爵令嬢」だとは認識できないのだ。
「……そもそも、存在しない人間との『婚約』自体が有効なのか、って話になるわね」
「はい。世界規模の矛盾が起きている状態です。当然、国や公爵家はその原因を突き止めるため、重要参考人としてアイリス様を探すでしょう。緩やかであっても、追手が差し向けられる可能性は極めて高いかと」
「そうね……。だとすると、お母様の遺産口座には迂闊に手が出せないわ。銀行から資金を引き出せば、私の足取りが確実に残ってしまうもの」
「ええ。ですから、お手持ちの小物のなかで、手放しても構わないものをいくつかご用意ください。私が公爵家と取引のない商会を選んで換金してきます。メイドや侍女が主人から下賜された品を売るのはよくあることですから、不審がられずにすぐ現金化できるはずです」
「いつまでに動けそう?」
「本日はもう夜が更けていますので、明日の朝一番に換金し、できる限りの旅装を整えます。昼過ぎには箱馬車でこの街を発ちましょう」
「わかったわ。準備もなしに闇雲に動いても自滅するだけだし、焦っても仕方ないわね。あとは、なるようにしかならないか……」
「はい。では、一階から食事を貰ってきますので、食べたら今夜はすぐに休みましょう」
「そうね。食べながら、次の行き先を考えましょうか」
アンナは深く頷くと、食事を手配するために部屋を出ていった。
一人残り、私はふぅと息を吐き出す。 想定外にややこしい話になってきてしまった。
公爵令嬢としての認識を一つ消しただけで、国家の法や契約の根幹を揺るがすレベルの事態になるとは思わなかった。ただ、追手がかかるとしても、あくまで私は「原因を知る重要参考人」だ。少なくとも「王太子の想い人をいじめた大悪人」として追われるわけではない。
だとすれば、国家の精鋭騎馬隊が今すぐ強襲してくるような最悪の事態にはならないはず。
となると、問題は行き先だ。
緩やかでも追跡の手が伸びる以上、祖父母の元へ逃げ込むルートは実家に割れているから危険。
それに、当座の資金を使い果たした後は、いつか実母の遺産を引き出す必要がある。そのためには大きな「銀行」がある都市でなければいけない。 国内の主要都市だと結局は見つかるリスクがある。となれば、目指すべきは――国外だ。
しばらくして、食事のトレイを持ってきたアンナに、思い至ったある国の名前を告げた。 アンナも「そこなら完璧です」と即座に同意してくれた。
方針は決まった。
翌朝、アンナが小物を換金し、そのお金で旅装を整え、箱部屋に乗って王都のほとりにある河川港へ向かう。そこから川を下る船に乗船し、まずは河口付近まで一気に下る。そこで外洋航路の大型船に乗り換えるのだ。
目指すは、広大な海を抱く海洋国家エバーフレッシュ。その中心にある、自由と商売の街『ユッカ』。
そこで新たな生活を始めよう。
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作者が基本的な文章や設定を執筆し、GemminiAIにて、校正・編集をしてもらい、作者が再読し修正をおこなったものを投稿しています。




