第99話 感覚派の化学攻略
12月。国立魔法学校に、本格的な冬が到来していた。
校庭の木々は葉を落とし、生徒たちは厚手のローブに身を包んで足早に歩いている。
だが、俺たちを震え上がらせているのは寒さではない。
――期末テストだ。
放課後の研究室。
俺は化学の教科書を前に、限界を迎えていた。
他の教科は、秀才・ユウスケが作ってくれた完璧なまとめノートのおかげで何とかなりそうだ。
だが、化学だけは……俺の脳が拒絶反応を起こしている。
「……うう、分からん……」
俺はガバッと頭を抱え、天井に向かって叫んだ。
「ベンゼンカーーーーン!!」
「……なによ、突然」
優雅に紅茶を飲んでいたエレノア先生が、ビクリとしてこちらを見た。
「どうしたの? サッカー選手みたいな名前を叫んで」
「え? 何の話ですか?」
「……いや、なんでもないわ。祖国の隣国の英雄よ。忘れなさい」
先生はコホンと咳払いをした。
「で? その『ベンゼン環』がどうしたのよ」
「理屈が頭に入ってこないんです!
二重結合とか共有結合とか、目に見えないし!
なんで炭素が手を繋ぐんですか! 寂しがり屋かよ!」
「あなた、物理や魔法学は感覚でスラスラ解くのに、どうして化学になると幼児並みになるのかしら……」
先生は呆れたように首を振ったが、すぐに「仕方ないわね」とホワイトボードの前に立った。
「いい? あなたのような感覚派には、こう説明するしかないわ」
先生は黒・赤・青のマーカーを持ち、ボードに何かを描き始めた。
それは――丸い顔に手足が生えた、可愛らしいキャラクターたちだった。
「これを見なさい。
この黒い子が『炭素(C)くん』。手は4本あります」
「この白い子が『水素(H)ちゃん』。手は1本しかありません」
「……はぁ」
「この子たちが寂しくないように、全員と手を繋ぎたいと思いました。
そこで炭素くんたち6人が集まって、輪になって手を繋ぎます。
でも手が余っちゃうから、一つ飛ばしに両手でガッチリ握手をしました。
すると……ほら! 綺麗な六角形のダンスサークルの完成!」
先生が得意げにババン! と効果音を口にした。
俺は、そのふざけた絵を凝視した。
炭素くんたちが手を繋ぎ、結界を作っている。
余った手で水素ちゃんを確保し、外部からの干渉を防いでいる……。
「ちなみに、この六角形のサークルが二つ合体したものが『ナフタレン』よ」
俺の脳内で、何かが繋がった。
「……なるほど! つまりこれ、6点同時の多重結界陣ですね!? 相互に魔力パス(手)を繋いで、構造強度を高めていると! それが合体して『ナフタレン』になるのは、魔法陣の連結拡張と同じ理屈か!」
「そうよ! そのイメージでいきなさい!」
こうして、俺は「化学」という強敵を「魔法陣のイメージ」に変換することで攻略したのだった。
◇◇◇
数日後。
テストの結果が返却された。
「……83点」
答案用紙を見て、俺はニヤリと笑った。
平均点を10点以上も上回っている。
「俺、天才かもしれない」
「天才……とは言わないけど、想定よりも優秀ね」
先生が俺の成績表を見ながら言った。
「全体的には『中の上』といったところだけど……一部の教科、特に物理と魔法実技に関しては目を見張る成績だわ。
本当に、感覚派の人間は頭がいいんだか悪いんだか分からないわね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「これなら、進路の方も文句なしね」
先生が資料をペラペラとめくる。
2年生の冬ともなれば、卒業後の進路がほぼ決定する時期だ。
「一之瀬、あなたへのオファー……すごいわよ。
国防軍の特殊魔法師団、国立魔導研究所……それに、大手企業からも多数来ているわ」
机の上には、いかにも厳つい封筒が山積みになっている。
「企業からも?
俺、外部で目立った活動なんてしてないはずなんですけど……どこから情報が漏れてるんですかね?」
「さあね。
『空間魔法による地形改変能力』と『複数精霊使役』。
これだけの特異戦力、どこも喉から手が出るほど欲しいでしょうね。
軍部に至っては、特別待遇で将校クラスの地位を約束するそうよ」
「……興味ないですね」
俺は即答して、封筒の山を手で押しやった。
「俺は戦闘兵器になるつもりはありません。
それに、そんな組織に入ったら『命令』で縛られる。
……俺が戦うべき相手は、人間じゃないですから」
俺が見据えるのは、国境の向こうの敵兵ではない。
この世界そのものを管理し、搾取している神々――オモイカネだ。
「賢明ね。
あなたのその力を軍事利用されれば、世界はもっと悲惨なことになるわ」
先生は安心したように微笑み、一枚の書類を取り出した。
「それじゃあ、予定通り『内部進学』でいいわね?」
「はい。大学部の研究科でお願いします。
俺の研究価値は高いんでしょう? まだまだ学校には置いてもらいますよ」
「ええ。全会一致で合格よ」
これで、俺の来年以降の居場所も確保された。
◇◇◇
「それはそうと、先生」
進路の話が終わり、俺は声を潜めた。
「『デミウルゴス・システム』の研究……どうですか?」
「……全くダメね」
先生が苦々しく顔を歪めた。
夏休み明けから数ヶ月。先生は寝る間も惜しんで文献を漁り、解析を進めてきたが……。
「ブラックボックスすぎるわ。
アメノミナカヌシが作った原初のシステム……外部から解析するには、あまりにも情報が足りない」
「やっぱり、そうですか」
俺は腕を組んだ。
神であるツクヨミですら「使い方は知ってるけど中身は知らん」と言う代物だ。
人間が外側からつついたところで、限界がある。
「なら……『被害者』に聞くのが一番早いんじゃないですか?」
「被害者?」
「ええ。そのシステムを無理やり寄生させられた張本人。
――『地球の核』ですよ」
俺の言葉に、先生がハッとした。
「……なるほど。
背中に張り紙をされた本人は、その紙に何が書いてあるか見えなくても、『何かを貼られた』感触はあるはず」
「俺、この冬休みも実家に帰ります。
地元には、一度『地球の核』と繋がったパワースポットがある」
俺は夏休みのことを思い出した。
あの時は、一方的に力を与えられただけだった。
「今度は、もっと深く話をしてみたいんです。
神であるツクヨミも仲間になったし、今の俺なら、もっといろんなことが聞ける気がする」
「……賭けになるけど、今はそれが唯一の糸口ね」
先生は力強く頷いた。
「頼んだわよ、一之瀬。
何か分かったらすぐに連絡して」
「了解です」
俺はカバンを持って立ち上がった。
窓の外では、雪がちらつき始めている。
「それじゃあ先生、よいお年を!」
「ええ。よいお年を」
研究室を出ると、廊下でお兄ちゃんが待っていた。
俺たちは並んで、白く染まり始めた校庭へと歩き出した。
答えを求める冬休みが、始まろうとしていた。




