第93話 エアーお茶会の終焉
壱岐島でのグランピングから戻った俺たちは、残りの夏休みを宮崎の実家で消化していた。
「……あー、暑い」
「……ああ、暑いな」
リビングで扇風機に当たりながら、俺とお兄ちゃんはダラダラと高校野球の中継を眺めていた。
親父と母さんは仕事に戻り、家には俺たち兄弟だけ。
平和で、怠惰な日本の夏だ。
だがその頃。
俺の中にある「召喚空間」では、優雅にして静かなる戦いが勃発しようとしていた。
◇◇◇
「……ふぅ。やはり、献上された紅茶は格別ですわね」
召喚空間のリビングエリア。
最高級の革張りソファに座ったフレアは、湯気の立つティーカップを傾け、うっとりとした溜息をついた。
テーブルには、これまた高級そうなクッキーやスコーンが並んでいる。
以前、フレアが薬師寺グループのCMに出演した際、ギャラとは別に「出演料のついで」としてねだった最高級茶葉だ。
「ええ、お姉様。香り高く、心が洗われるようです」
向かいに座るシラユキも、上品にカップを口に運ぶ。
テーブルの上では、風の精霊ヒューイがクッキーをついばむ仕草を見せている。
――ただし。
カップの中身は減っていない。
クッキーも欠けていない。
彼女たちは精神体だ。物質的な飲食はできない。
これはあくまで「雰囲気」を楽しむための、高度な精神活動……いわゆる「エアーお茶会」なのだ。
『ぷっ……あはははははっ!!』
その優雅な空気を、遠慮のない爆笑が切り裂いた。
「……何がおかしいのかしら? 新入り」
フレアがこめかみに青筋を浮かべ、カチャリとカップを置いた。
視線の先には、ソファの端で腹を抱えて笑っているツクヨミがいる。
『いや、だって! 滑稽すぎるだろ君たち!
それ、飲んでないじゃん! 食べたふりじゃん!
おままごとかよ! www』
「…………」
ピキキッ。
シラユキが無言のまま立ち上がり、空間内の温度を一気に氷点下まで下げた。
絶対零度の殺気がツクヨミに向けられる。
「精神体だから飲めないのは当然でしょう?
私たちは香りや空間の雰囲気を味わっているのです。
それを笑うなど……万死に値します」
「そうだぞ新入り。この空間のルールに慣れろ。
ここでは『雰囲気』こそが大事なのだ」
フレアも腕を組んで睨みつける。
しかし、ツクヨミは涼しい顔で手を振った。
『ああそうか。君たち精霊は、人間から「お供え物」とか貰う習慣がないもんなぁ』
「……?」
『いいかい?
僕ら神が受け取る「供物」というのはね、物理的に食べるんじゃないんだよ』
ツクヨミはスッと立ち上がり、テーブルの上のポットに手を伸ばした。
そして、自分のカップに紅茶を注ぐ。
『物質には、核となる情報……「概念」がある。
味、香り、作った人の想い。
僕らはそれを抽出して味わうんだ』
彼はカップの上に右手をかざした。
『――いただきます』
スゥッ……。
すると、カップの紅茶から、湯気のような、光のような「何か」が立ち上った。
まるで紅茶の幽体離脱だ。
ツクヨミはそれを吸い込むように口元へ運び、
ズズズッ。
と音を立てて啜った。
『んー、美味い!
ダージリンの渋みと、ほのかなフルーティーな香り……。
これは、かなり上質な茶葉を使っているね』
「なっ……!?」
フレアとシラユキに衝撃が走った。
背景に雷が落ちたようなショックを受けた顔をしている。
「あ、味が……分かるのですか……!?」
『当然だろ? ほら、クッキーも』
サクッ。
ツクヨミが指先でクッキーの「概念」をつまみ、口に放り込んだ。
『うん、バターが濃厚だ。サクサクしてて美味しいよ』
「な、なんだってー!!!!」
フレアが絶叫した。
今まで自分たちがやってきたことは何だったのか。
「雰囲気で酔う」なんて高尚なことを言っていたが、ただの我慢大会だったのではないか。
目の前で、新入りが「本物の味」を堪能している。
プライド? 知ったことか。
フレアはガバッとツクヨミに詰め寄った。
「くっ……先生! お願いします!
その技を、わたくしたちにご教授ください!!」
「お願いしますツクヨミ様!
私も……私も甘いものが食べたいです!」
シラユキも必死の形相で頭を下げる。
ヒューイもバタバタと飛び回りながら叫んだ。
「俺も! 俺にも教えてくれー! 美味いもん食いたいー!」
『やれやれ、仕方ないなぁ』
ツクヨミはニヤリと笑った。
『教えてあげよう。
その代わり……このソファーの真ん中(特等席)は、今後僕がもらうよ?』
「くっ……背に腹は代えられませんわ!
どうぞお座りください!」
あっさりと主導権が逆転した瞬間だった。
◇◇◇
現実世界。
俺が少しうとうとしていた時だった。
『――ヒロ! ヒロ起きなさい!』
脳内にフレアの切羽詰まった声が響いた。
「うおっ!? なんだよフレア、敵襲か!?」
『いいえ、もっと重大なことです!
わたくしのCM出演料、まだたくさん残っていますわよね!?』
「え、ああ……まだ全然使ってないけど」
『今すぐ高いケーキを買ってきてちょうだい!
練習台が必要ですの! 今すぐに!』
「はぁ? ケーキ?」
意味が分からないが、フレアの剣幕に押された俺は、渋々財布を持って家を出た。
「……ったく、なんで急にケーキなんだよ」
俺は自転車を漕いで、地元の商店街にあるケーキ屋へと向かった。
都会にあるようなパティスリーではない、昔ながらの洋菓子店だ。
ショーケースを覗き込む。
そこにあるのは、シンプルなイチゴのショートケーキや、モンブラン、そしてチーズケーキ。
フレアが欲しがっていたような、宝石みたいにキラキラしたケーキはない。
「……これで文句言われないかな」
少し不安になったが、俺はこの店のチーズケーキが好きなのを思い出した。
見た目は地味だけど、濃厚でスフレみたいにふわふわで、すごく美味しいのだ。
「ま、ここのチーズケーキ美味いからな。
これでいいや、買って帰ろ」
俺は家族分を含めてチーズケーキを注文した。
まさかそのケーキが、召喚空間で「概念」として食い尽くされる運命にあるとは知らずに。




