第87話 雷獣の荒療治
あの日から数日。
俺は授業には出ているものの、放課後はすぐに寮の部屋に戻り、ぼんやりと過ごす時間が増えていた。
窓の外を見るのが怖い。
青空の向こうから、あのアマテラスが「監視」している気がして、背筋が寒くなるのだ。
食事も砂を噛むようで、やる気が起きない。
(……はぁ)
俺がベッドで溜息をついた、その時だった。
『――おい、ヒロ』
脳内に、低く不機嫌そうな声が響いた。
召喚空間にいるイカヅチだ。
『いつまで腐っているつもりだ。見ていて腹が立つ』
「……なんだよ。ほっといてくれよ」
『嫌だね。貴様の情けない思考が伝わってきて、こっちまで気分が悪いのだ。
表へ出ろ。手合わせをするぞ』
「はあ? いや、そんな気分じゃ……」
『問答無用だ。さっさと来い』
一方的に通信が切れた。
俺は深く溜息をつき、重い身体を起こした。
逆らうと余計にうるさそうだし、仕方ない。
俺はショートワープも使わず、トボトボと歩いて屋外訓練場へと向かった。
◇◇◇
訓練場には誰もいなかった。
俺は空間魔法を開き、イカヅチを召喚した。
「……はい、出てきなよ」
バチバチッ!
黄金の雷を纏った狼――イカヅチが現れた。
彼は仁王立ち(四つ足だが)で俺を睨みつけると、開口一番に言い放った。
『構えろ。本気でいくぞ』
「え、ちょっと待っ……」
ドンッ!!
イカヅチが地を蹴った。
速い。雷速そのものだ。話し合いの余地なんてない。
「くっ!」
俺は反射的に防御魔法を展開した。
身体を覆う『魔力の鎧』。さらにその上に、圧縮した空気を重ねる『空気の鎧』。
今の俺が使える、最強の物理防御だ。
これなら、戦車の砲撃だって防げる。
だが。
バギィィンッ!!
「がはっ……!?」
衝撃は、一瞬だった。
二重の鎧が、まるで薄氷のように砕け散る。
俺の身体はボールのように吹き飛ばされ、訓練場の防壁に叩きつけられた。
「ぐ、ぅ……ッ!!」
痛い。
全身に雷が這ったような痺れと、強烈な打撲痛。
ミミズ腫れになった皮膚から血が滲む。
ジュワッ……。
すぐに、身体の奥底から淡い光が溢れ出した。
かつて「地球の核」から受け取った、俺自身の魂に刻まれた再生能力だ。
傷ついた組織が急速に巻き戻るように治っていく。
でも、痛みが消えるわけじゃない。
殴られた衝撃は、骨の髄まで響いている。
「……痛ってーじゃねーか! 何すんだよ!」
俺は痛みに顔を歪めながら、イカヅチを睨みつけた。
どれだけ魔法が上達しても、どれだけ再生能力があっても。
俺は所詮人間で、精霊の一撃には耐えられない。
その事実が、今の弱った心に突き刺さる。
「俺は弱いんだよ! 放っておいてくれ!」
『ならば打ち返してこい!!』
イカヅチが吠えた。
『痛いか? 怖いか?
ならばその感情を力に変えて撃ってこい!
貴様の雷を見せてみろ!!』
「……っ、上等だ!」
俺の中で何かが切れた。
恐怖も不安も、全部怒りに変わる。
俺は右手にありったけの魔力を込めた。
「くらえぇぇぇッ!!」
紫電一閃。
俺が放てる最大出力の雷撃が、イカヅチへと疾走する。
『ぬるいッ!!』
ガオォォォッ!!
イカヅチの咆哮一つ。
ただそれだけで、俺の雷は霧散し、かき消された。
圧倒的な格差。
だが。
「……ん?」
イカヅチが、ふと前足で自分の顔を拭った。
その頬に、ほんのわずかだが――焦げ跡のような傷(チリッとした跡)がついていた。
『……フッ』
イカヅチが口元を緩めた。
『成長はちゃんとしているではないか』
「……なんなんだよ、一体」
俺は肩で息をしながら、へたり込んだ。
結局、傷一つつけられないまま(いや、カス当たりはしたけど)遊ばれただけだ。
『何をそんなに悩んでおる』
イカヅチがゆっくりと歩み寄ってきた。
「……だって、神に監視されてるんだぞ。
空からずっと見られてて……俺が動けば動くほど、教会の思うつぼで……」
『だからなんだ』
イカヅチは鼻で笑った。
『神に見られていたら、何もできんのか?
飯も食えんのか? 魔法も使えんのか?』
「それは……」
『我が王なら!
我が王なら好きに生きろ! 生きたいように生きろ!
……そう言うであろうな』
「……精霊の王なんて、知らねーよ」
俺は悪態をついた。
そんな大層な柄じゃない。
『そうだろうな。貴様のようなザコとは器が違う』
イカヅチは呆れたように言い、そして俺の目を真っ直ぐに見据えた。
『お前はなんだ、ヒロ。
お前は、神を殺すために生まれた人間か?』
「……違う」
『お前は、教会を倒すための正義の味方か?』
「違う」
『なら、誰だ』
「俺は……」
俺は拳を握りしめた。
ただの高校生だ。
ちょっと魔法が得意で、精霊たちと仲良くなって、美味しいものが食べたくて、平和に暮らしたいだけの。
「……一之瀬ヒロだ」
『うむ!』
イカヅチが満足げに頷いた瞬間。
バチバチバチーーッ!!!
「うわあぁぁぁッ!?」
小さめの雷が俺の頭上に落ちた。
ドーン!! という音と共に、俺は黒焦げ(再生中)になって倒れた。
「ケホッ、ケホッ……!
て、てめぇ……話が終わったなら雷落とすなよ……!」
『喝を入れてやったのだ! 感謝せよ!』
イカヅチは高らかに笑った。
『好きに生きろ、ヒロ。
誰が見ていようが関係ない。
貴様の道は貴様が決めろ。
それが――最強の精霊を携えている者の在り方だ』
俺は空を見上げた。
相変わらず青い空。監視の目はあるかもしれない。
でも、不思議と身体は軽かった。
「……ああ、そうだな」
痛む身体を起こし、俺はニヤリと笑った。
そういえば、腹が減った。
「食堂、行ってくるわ。
今日は確か『ピザの日』だったはずだ」
◇◇◇
学食の窓際の席。
俺の前には、ホールごとの大きなピザが置かれていた。
この学校の名物メニューの一つだ。
分厚い生地に、たっぷりのトマトソースとサラミ。そして溢れんばかりのチーズ。
繊細さのかけらもない、ジャンクでアメリカンな味付け。
「……いただきます」
一切れ持ち上げると、チーズが糸を引く。
大口を開けてかぶりついた。
ガツンとくる塩気と脂。
カロリーの暴力。
「……うまい」
味がする。
赤福の時は砂みたいだったのに、今は強烈な味が口いっぱいに広がる。
あー、うまいなぁ。
なんだか、心に染みる味だ。
「ん? ヒロ、お前そんなとこにいたのか」
通りかかったユウスケが声をかけてきた。
「おっ、ピザか。いいなー、俺も食おうかな」
「食えよ。うまいぞ」
俺は笑って答えた。
空からはまだ見られているかもしれない。
でも、ピザはうまいし、友達はいるし、俺は生きている。
それで十分じゃないか。
俺は二切れ目のピザを手に取った。




