第158話 森のダイエット
時は少し遡る。
フレアたちが化粧品の撮影を終え、魔法因子の作成のために再びレッドウッドの森へ旅立つ直前のことだ。
「じゃあ、レッドウッドで魔法の修行と『因子作り』、やってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい。長距離転移魔法が完成したらすぐ連絡するわ」
研究室の扉の前で、エレノア先生が腕を組み、不敵に笑って見せた。
「年内中には必ず完成させるわ。……私たちには、並行世界へのナビゲーションの安定化っていう山積みの問題があるんだから。こんな単なる移動手段の研究なんて、さっさと済ませるわよ」
「頼もしいね。じゃあ、いってくる!」
俺は先生の強がりにも似た力強い言葉に背中を押され、フレアの背に乗って太平洋を横断し、カリフォルニアのレッドウッドの森へと向かったのだった。
◇
大霊木の下の豪華なロッジ。
俺が広場に降り立つと、森の精霊である大角鹿が、立派な角を揺らして出迎えてくれた。
『王よ、お待ちしておりました。……ん?』
大角鹿の透き通る瞳が、俺の腹部をジッと見つめた。
『少し……ふくよかになられましたね?』
「……みんなに言われるな、それ。そんなに太ったかなぁ」
『ええ。一回りほど』
「ウッ……。それがさぁ、水の精霊の竜宮城で、毎日信じられないくらい美味しいご馳走をドカ食いさせられてね。気づいたらこうなっちゃったんだよ」
俺が頭を掻きながら苦笑すると、大角鹿は「ほう」と優しく目を細めた。
『そうでございましたか。さりとて、水の精霊たちも悪気があったわけではないと思います。何せ、我々精霊は精神体ですので、ご飯を食べません。人間の王がどれほど食べるのか見当もつかないので、おもてなしの心からついつい多めになってしまったのでしょう』
「そうだよな、悪気のないカロリー爆撃だった」
『ええ。故に、こちらではしっかりカロリーを抑えた『森の恵み』で生活していただきますからね。(ニッコリ)』
「……」
最高の笑顔でフルーツや木の実の盛り合わせを提案されたが、俺は内心で冷や汗を流していた。
(いや……フルーツの果糖って、結構太るって言うよな……)
そんな現代の栄養学に基づくメタなツッコミは心の中にそっとしまい込み、俺は「ま、食事は任せるよ」と大人しく頷いた。
「こっちでは、前回に引き続き魔法の修行と……いよいよ『魔法因子の作成』を本格的にやりたいと思ってるんだ」
『素晴らしい。全力でサポートいたしますぞ』
「修行はみんなに少しずつお願いするとして、魔法因子については……『亀じい』になんかヒントを聞こうかなって思ってるんだよね」
『亀じい!?』
「あぁ、グランドキャニオンのあの方ですか。あのお方なら何でも知っておられるから、適任でしょう」
俺は魔力を練り、右手のひらの上に、マスコットサイズになった巨大陸亀のアバター――亀じいを顕現させた。
「亀じい、ちょっと来てー」
『おお、王よ。お呼びですかな』
ポテッと手のひらに降り立った亀じいに、俺は早速本題を切り出した。
「亀じい。俺がこれから創ろうとしている『魔法因子』についてなんだけど。そもそも、この世界に魔法が顕現した時のことを詳しく教えてほしいんだ。ええと、事の経緯から説明すると――」
『ファッファッファ。説明は不要ですじゃ』
亀じいが、短い手足をフリフリと振った。
『王の周りに漂う『ソヤツら』から、これまでの事情はすべて聞いておりますゆえ』
「ソヤツらって……大気中の『微精霊』のこと?」
『そうじゃよ』
亀じいの言葉に、俺は周囲の空気に目を凝らした。
そこには、精霊の眼を持つ俺にしか見えない、キラキラと輝く無数の光の粒子――意思を持たない微小な精霊たちがフワフワと舞っている。
「人間が魔法を使えるようになったのは、先代の精霊王が、世界中に溢れる微精霊たちに人間の手助けをするように『お願い』をしたから……だろ? そこまでは、地球の核から聞いてるんだ」
『そうじゃな。無垢な魂に対して、微精霊の意思が結びつくことによって、ただの人間が魔法を使えるようになるという仕組みじゃ。……言うなれば、乾いたスポンジが水を吸収するような感覚じゃな』
乾いたスポンジ。
その例えに、俺はハッとした。
「ってことは……ここで俺がいくらお願いしても、すでに魔法使いになっている人間(濡れたスポンジ)に、新しい属性の因子を後から結びつけることは難しいってこと?」
『ほぼ無理じゃろうな。すでに別の魔力で満たされておるからな』
「……そっか」
『だが』
亀じいの琥珀色の瞳が、鋭い知性を帯びて光った。
『お主たちがやろうとしている、並行世界の『無垢な魂(魔法を知らない自分)』に魔法の因子を結びつけて、その世界ごと統合するなら……それは可能かもしれん。前例がないから確証はないが、理屈としてはあり得る』
「……! いけるのか!」
『うむ』
希望の光が見えた。だが、そこで俺は一つの素朴な疑問にぶち当たった。
「じゃあ、なんで俺は普通に、空間魔法以外の属性もポンポン使えてるんだ? 俺の魂っていうスポンジは、もう満杯なんじゃないのか?」
『ファッファッファ! 何を馬鹿なことを』
亀じいが愉快そうに笑った。
『それは、お前さんが魔法の根源たる精霊たちと、直接『魂のパス』を繋いでおるからじゃ。しかも、お前さんは精霊王。言うなれば、スポンジどころか『海』そのものじゃ。特別に決まっておろうが』
「……ってことは」
俺は理解した。
俺は全属性の魔法使いになれる(すでになりつつある)けど、エレノア先生やジェンゴたちは、因子を創っても全属性持ちにはなれないということだ。
「なんだ、俺だけ化け物みたいなチートじゃん」
少しだけ申し訳ない気持ちになったが、すぐに持ち前のポジティブさが勝った。
「まぁでも、世界を統合したら、あの二人だって並行世界の自分の能力と合わさって最強になるんだし、まぁいいか!」
『うむ、その意気じゃ。……で、魔法因子を作るための第一歩じゃが』
「ああ。わかってる」
亀じいの言葉を遮り、俺はゆっくりと立ち上がった。
スポンジに水を吸わせるためには、まず水――微精霊たちに、俺の意志を伝えなければならない。俺がやるべきことは一つだ。
「ずっと昔から……俺はこいつらと、対話してたんだ」
俺はそっと両手を前に差し出し、虚空を漂うキラキラとした光の粒子たちを受け止めた。
――思い出す。
まだ幼かった頃。俺の周りにはいつも、この温かい光たちが舞っていた。
両親には見えないその光を、幼い俺は『光の子』と呼んで、キャッキャと笑いながら一緒に遊んでいたのだ。
あの時はただの無邪気な遊びだった。けれど今は違う。
「聞こえるか、光の子たち」
俺が優しく語りかけると、森の空気を漂っていた無数の微精霊たちが、俺の魔力に呼応するように一斉に輝きを増し、俺の周囲を螺旋を描くように飛び回り始めた。
『ファッファッファ。さすがは王じゃ。すでに微精霊たちと心を通わせておる』
「ちょっと、頼みがあるんだ」
幼少期の記憶と、精霊王としての自覚。
二つの想いが重なり合うレッドウッドの森で。俺は世界を救う『魔法の種(因子)』を創り出すため、無数の光の子たちとの、長く深く、そして優しい対話を始めるのだった。




