第156話 光のインフラ開通
深海の竜宮城での長すぎるバカンスと、ウユニ塩湖での光の精霊との出会いを経て。
およそ二ヶ月ぶりに日本の大学へと帰還した俺は、意気揚々と開発チームの研究室の扉を開けた。
「やあやあ! みんな、ただいまー! 順調にやってるかー!」
「…………」
扉の先には、地獄があった。
二ヶ月前に見た時からさらに増殖した『空のエナジードリンクの要塞』。そして、その要塞の隙間からこちらを見つめる、カイト兄さん、ジェンゴ、エレノア先生の三人。
彼らの頬は完全にコケ、目の下には消えないドス黒いクマが刻まれ、もはや生ける屍と化していた。
「……あら。随分とご機嫌ね、ヒロ」
エレノア先生が、白衣のポケットに手を突っ込みながら、ジト目で俺の全身を舐め回すように観察した。
そして、ふと俺の腹のあたりで視線を止め、冷ややかな声で告げた。
「あなた……顔が丸くなったわね。この二ヶ月で見違えたわ(物理的に)」
「ギクッ」
「私たちが死に物狂いで次元座標の計算で血反吐を吐いている間……一体、どこでどんな優雅な生活を送っていたのかしら?」
ゴゴゴゴ……と、研究室に恐ろしい怨念が渦巻く。
俺は冷や汗をダラダラと流しながら、必死に弁明した。
「ち、違うんだよ! これにはカクカクシカジカ理由がありまして! 太平洋の深海に竜宮城があってさ! そこの時間の代わりに恐ろしい量のカロリーを付与し続けてくる『深海の狂気』に当てられてだな……!」
「へえ。ウニやアワビを食っちゃ寝してたのね。殺すわよ」
「ストォォップ!! 頼む、杖をこっちに向けないで!!」
杖を取り出そうとするエレノア先生を慌てて制止し、俺はバンッ!と机を叩いた。
「そ、それがさ! なかなかに役に立ちそうな『超大型助っ人』を見つけてきたんだよ!!」
「……ほう?」
カイト兄さんが、死んだ魚のような目で首を傾げた。
俺は「ふっふっふ」とドヤ顔を浮かべ、右肩に魔力を集中させた。
「出番だぜ、ルクセル! こいつが今回パスを繋いできた『光の精霊』だ!」
光の粒子が収束し、俺の肩に、流線型の美しい最速のハヤブサが姿を現す。
しかし、それを見たエレノア先生は、眉をひそめて怪訝な顔をした。
「……光属性? 確か、以前この学校に襲撃に来たあの脳筋の聖女ちゃんが使っていたわね。物理的なハンマーで殴る光の魔法が、いまさら私たちの繊細な次元研究の何の役に立つと?」
『それは我々への冒涜です!!』
聖女の話題を出されたルクセルが、バサァッ!と羽を逆立ててキレた。
「待って先生、光の魔法は物理で殴る攻撃用の魔法じゃないんだよ! なんと、『通信や伝達』を担うインフラ魔法だったんだ!」
「通信……インフラ?」
「ああ! ルクセルによると、並行世界への通信なんかもお手の物だってさ!」
――その瞬間。
ピシリ、と。カイト兄さんとジェンゴの中で、何かが弾ける音がした。
死んでいた彼らの目に、凄まじい光が宿る。
「……なんだって!?」
カイト兄さんが、机を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「次元の壁を越えたインフラ構築だと!? おい、光の精霊! 四次元座標への干渉プロトコルと、波長の位相変換はどうなっている!?」
『位相変換は魔力速度に依存します。座標さえ特定できれば、光子に偽装した魔力を直接――』
「なるほど! ジェンゴ、いけるか!?」
「はい! 魔力を定着させるための専用の魔道具なら、今すぐ創造魔法で作れます!!」
そこからは、完全に俺の置いてけぼりだった。
超絶スピードで飛び交う専門用語の嵐。ジェンゴがその場で『創造魔法』を発動させ、数十分のうちに、アンテナのついた複雑な魔道具のプロトタイプを生成する。
カイト兄さんがそこにルクセルの光の魔力を流し込み、キーボードを爆速で叩いた。
「――っ! ほら、見ろ! 並行世界から反応(Ping)が返ってきた!! これだよこれ!!」
モニターに表示された謎の波形を見て、カイト兄さんとエレノア先生が歓喜の雄叫びを上げた。
「(いや、どれだよどれ……何がすごいのか全然わかんねぇ……)」
俺がポカンとしていると、カイト兄さんが興奮冷めやらぬ様子で俺の肩をガシッと掴んだ。
「でかしたぞ、ヒロ! これで通信のインフラが手に入った! 俺たちの研究は『ここから始まる』と言っても過言ではないぞ!!」
「えっ!? ここから!? これで完成ってわけじゃなくて!?」
「バカ言え! 通信経路を見つけたのは、あくまで開発の道筋を手に入れたようなもんだ! これを安定させてナビゲーションシステムに落とし込む作業はこれからだ!」
全く終わりが見えない現実に俺がドン引きしていると、ジェンゴがウキウキとした笑顔で補足してくれた。
「いやいやヒロさん、本来なら十年かかる研究が、これなら二〜三年に短縮されたようなものですよ! 大革命です!」
「そ、そっか。ならよかった……」
とにかく凄い進歩らしい。俺はホッと胸を撫で下ろした。
すると、ジェンゴがふと、優しい笑顔のまま尋ねてきた。
「ところでヒロさん。肝心の、灰色の世界に撒くための『魔法因子の作成』の方は順調ですか?」
「あ」
俺の思考が、ピタリと停止した。
精霊王としての最大の宿題。魔力を編み込んで、魔法の芽吹きとなる因子を創り出す作業。
「(ヤバい……精霊巡りがあまりにも楽しすぎて……完全に忘れてた……!)」
冷や汗がドッと噴き出す。
無言で目を泳がせる俺を見て、研究室の三人の目が再びスゥッと冷たくなった。
「あー……! こ、これからです!! ちょうどこれから、気合を入れて作ろうと思ってたとこでして!!」
俺は慌てて後ずさりし、ドアノブに手をかけた。
「ほ、ほら! レッドウッドの森に最高の別荘ができたからさ! まだ長距離転移は使えないからフレアの背に乗って飛んでいくしかないけど、しばらくあそこに引きこもって、魔法修行も兼ねて因子作りに専念してくるわ! じゃあな!!」
俺が痛いところを突かれて逃亡を図り、ガチャリとドアを開けようとした、まさにその時だった。
――バァーンッ!!
「うおっ!?」
俺が開けるよりも早く、廊下側から勢いよく研究室の扉が蹴破るように開け放たれた。
そこに立っていたのは、高級なスーツをビシッと着こなし、謎のキラキラしたオーラを放つ美女――薬師寺アリサ先輩だった。
「ヒロさんが帰還されたと聞きまして!!」
「や、薬師寺先輩!?」
息を切らしつつも、瞳を爛々と輝かせている薬師寺先輩。
彼女は俺の無事な姿(と、少し丸くなったお腹)を確認すると、パチンと華麗にウインクを決めた。
「ちょうど良かったですわ! ヒロさん、覚えていらっしゃいますか? およそ一年前、ゼノビアで生み出した、あの究極の化粧水……『砂漠の雫』のことを!」
「ああっ!!」
俺の脳裏に、こっちは完全に忘れていた一年越しのプロジェクトが蘇った。
「ついに……ついに量産化体制が整いましたの! あとは世に放つための『特大の広告』を打つだけですわ!」
薬師寺先輩が、ビシッと俺を指差した。
「さあヒロさん! 今回は、フレアお姉様とシラユキちゃんに、我が薬師寺グループの最高傑作の『広告塔』になっていただきますわよ!!」
魔法因子の作成。
そんな重い宿命を完全に置き去りにして。薬師寺財閥の特大のビジネスチャンスが、今ここに幕を開けようとしていた。




