第136話 将軍の圧力
冬休みが明け、騒がしい三学期もあっという間に過ぎ去ろうとしていた、二月の終わりのこと。
俺は昼休みに、魔法学校の校長室へと呼び出されていた。
「……一之瀬君」
ふかふかの革張りソファに座る校長は、ひどくやつれた顔で胃薬を水で流し込んでいた。
「君の進路希望だが……本当に、うちの『大学部』への内部進学で間違いないんだね?」
「はい。エレノア先生の研究室にそのまま入る予定ですけど。何か問題でもありましたか?」
「大ありだよ……」
校長が、机の上に積まれた分厚い書類の束を指差した。
「日本の軍部からだよ。『ゼノビアでの戦争を終結させた一之瀬ヒロを、是が非でも我が軍の特務将校として迎え入れたい』と、連日のように猛烈なラブコールが来ているんだ。断っても断っても、手を変え品を変え……私の胃に穴が開きそうだよ」
「ああ、なるほど」
まあ、無理もない。
俺がゼノビアでやったデタラメっぷりは、各国の軍事衛星や諜報機関にも一部バレているはずだ。国としては、俺という戦略兵器を放っておくわけにはいかないのだろう。
「申し訳ないですけど、軍に入る気は一切ないです。俺には、もっとデカい倒さなきゃいけない相手がいるんで」
「……普通の高校生が口にしていいスケールの言葉じゃないんだがね」
校長が深く溜息をついた、その時だった。
――ピロリロリン♪
校長のデスクに置かれたパソコンから、ビデオ通話の着信音が鳴り響いた。
「ん? 内線じゃないな。外部からの暗号化通信……防衛省からか?」
校長が怪訝な顔でマウスをクリックし、通話ボタンを押す。
次の瞬間。
モニター画面が切り替わり、暗い司令部のような場所を背景にした、眼光の鋭い巨漢の顔が大写しになった。
『……繋がったか。通信兵、秘匿回線の維持を最優先しろ。ノイズを入れさせるな』
『ハッ! 了解いたしました、将軍閣下!』
「ひっ!?」
スピーカーから響き渡った威圧感のある声と、背後で動く軍隊の気配に、校長がビクッと肩を震わせた。
『一之瀬ヒロ。……校長、といったかな。貴殿が日本の魔法学校の責任者か』
「ゼ、ゼノビアの将軍閣下!? な、なぜ極秘回線で我が校のパソコンに……!?」
『ジェンゴが置いていった通信魔導具と、我が軍の回線を同期させた。……貴殿の学校は、少々ガードが緩いのではないか?』
画面越しのザッハーク将軍とバッチリ目が合い、俺は「ちわっす」と軽く手を挙げた。
「お久しぶりです、将軍。わざわざ日本の学校のPCをハッキングまがいに繋ぐなんて、相変わらず無茶苦茶ですね」
『緊急時だ、手段は選ばん。それよりヒロよ。ジェンゴから定期報告は受けておるぞ。……神々を打倒するための研究、順調なようだな』
ジェンゴの奴、本国への報告書に全部バカ正直に書いているらしい。
校長は「神々を打倒……?」と完全に白目を剥きかけている。
『聞いたぞ! 日本の軍部が、我がゼノビアの恩人である一之瀬ヒロを軍に引き入れようと画策しているとな!』
ザッハーク将軍が、画面越しに校長をギロリと睨みつけた。
『日本の軍部に伝えておけ! 一之瀬ヒロを、一介の軍人に収めるなど言語道断! 人類の未来を懸けた研究を邪魔することは、このザッハークが許さん!!』
「ひぃぃっ! わ、私に言われましても……!」
『もし日本が他国から攻め込まれるような有事の際は、我がゼノビア軍が全軍をもって、最大限の協力体制で日本を護ると約束しよう! だから今は、一之瀬ヒロを大学部の研究に集中させてくだされ!!』
「ええええええっ!?」
校長が椅子から転げ落ちそうになった。
無理もない。一介の高校生を大学に進学させるためだけに、他国の軍のトップが『軍事同盟』と『無償の国防協力』を申し出てきたのだ。狂っている。
『頼んだぞ、責任者殿! 一之瀬殿、また通信する!』
ブツッ、と。
一方的に言いたいことだけを言い放ち、ビデオ通話は切れた。
静まり返った校長室。
「……というわけなんで。軍からの勧誘は、ゼノビアが防衛を肩代わりするからってことで突っぱねといてください。進学の手続き、よろしくお願いしますね」
俺が爽やかに頭を下げると、校長は震える手で二錠目の胃薬を口に放り込んだ。
「一之瀬君……君はいったい、世界とどんな繋がり方をしているんだ……」
こうして、俺の卒業後の進路(大学部での神殺しの研究)は、国家間の圧力を以て盤石なものとなったのだった。
◇
そして、三月。
桜の蕾がほころび始めた、うららかな春の日。
俺たちは、魔法学校の高校部『卒業式』を迎えていた。
「――以上をもちまして、卒業証書授与を終わります」
体育館に、厳かなピアノの伴奏が響き渡る。
校長先生のありがたい(そしてどこか疲れ切った)祝辞も終わり、在校生の送辞、卒業生の答辞と、式は滞りなく進んでいった。
……のだが。
「いやぁ、終わった終わった」
「今日の学食の日替わり定食、なんだっけ?」
「馬鹿、今日は卒業記念メニューだろ」
式が終わって体育館から出てきた生徒たちからは、涙はおろか、卒業の「そ」の字の感慨も感じられなかった。
無理もない。
この魔法学校は中高大の一貫校であり、九割以上の生徒がそのまま『大学部』へとエスカレーター式に内部進学するからだ。
「ヒロ、卒業おめでとう。……と言っても、全く実感が湧かないな」
「まあな。大学部のキャンパス、そこの中庭を挟んだ向かいの棟だし」
俺とジェンゴは、制服のブレザーのポケットに両手を突っ込みながら、のんびりと中庭を歩いていた。
物理的な距離にして、高校の教室から徒歩三分。
研究施設が密集している大学部は、敷地が同じなので通学路すら変わらない。
「おーい、ヒロ! ジェンゴ!」
クラスメイトたちが手を振って通り過ぎていく。
「お前ら、来週からの大学のオリエンテーション同じ班だよな! よろしく!」
「春休み中も大学の図書室開いてるから、明日あたり一緒にレポートの準備しないか?」
「おお、明日なー」
俺が軽く手を振り返す。
これが、エスカレーター式学校の卒業式のリアルだ。感動の別れなど存在しない。ただ「教室の場所が変わるだけ」の、日常の延長線上にすぎないのだ。
「あら、意外とあっさりした顔をしているのね。もっと青春の涙を流すかと思っていたわ」
中庭のベンチで、エレノア先生がコーヒーを片手に待ち構えていた。
「先生こそ、教え子の卒業式なのに泣かないんですか」
「泣くわけないでしょ。来月からは、私の研究室にあなたたちが正式配属されて、毎日顔を突き合わせることになるんだから。……むしろ、高校生というストッパーが外れて、思う存分あなたたちの異常性を研究できるからワクワクしているわ」
先生が、マッドサイエンティスト特有の怪しい笑みを浮かべた。
そこへ、白衣姿の兄さんが大量の資料を抱えてやってくる。
「よっ。卒業証書はもらったか? 悪いが、浸っている暇はないぞ。春休みに入った途端で申し訳ないが、さっそく研究室に来てくれ。並行世界への『世界線跳躍』についての基礎理論を固めたい」
「はいはい、人使いが荒いことで」
俺は苦笑しながら、筒に入った卒業証書をポンと空中に放り投げた。
パカッ、と開いた亜空間の裂け目がそれを飲み込み、跡形もなく消え去る。
「ヒロさん。せっかくの卒業証書を収納空間に雑にしまわないでください。お母様が悲しみますよ」
「あとで実家に送るから大丈夫だって」
ジェンゴに怒られながら、俺たちは並んで歩き出した。
向かう先は、中庭の向こう側に見える立派な大学部の研究棟。
普通の高校生としての日常は、今日で終わった。
明日からは、神々を出し抜き、世界線を統合し、『魔王』としての準備が本格的に始まる。
春の風が、俺たちの背中を心地よく押し出していた。




