第135話 暴風の大宴会
『宴じゃ! 風の宴を開けぇぇい!!』
長老の高らかな宣言を合図に、厳粛だった『風の精霊の里』の空気は一瞬にして吹き飛んだ。
無数の浮遊大陸から集まってきた風の精霊たちが、一斉に歓声を上げて宙を乱舞し始める。
「王の帰還に乾杯だーっ!」
「ヒューイもおかえりー!!」
それは、物理法則に縛られた現実世界では絶対にあり得ない、精神世界ならではの不思議で狂騒的な大宴会だった。
空を吹き抜ける旋風そのものが、陽気な音楽を奏でる楽器となる。フワフワとした雲がテーブルや椅子に形を変え、どこからともなく現れた無数の『風の杯』が、意思を持っているかのように宙を飛び交う。
「ささ、あなた様方もどうぞ!」
鳥の姿をした風の精霊が、エレノア先生とジェンゴの前に杯を運んできた。
杯の中には、液体ではなく、キラキラと輝く淡い緑色の『なにか』が満たされている。
「こ、これを飲むの?」
「精神体ですから、物理的な消化器官はありませんので……」
二人が恐る恐るその杯を傾け、光の粒子を飲み込んだ瞬間。
「……っ!! 美味しい!? いや、味覚じゃないわ、純粋な魔力と生命力が直接魂に染み渡ってくるみたいな感覚……!」
「全身の筋肉……じゃなくて、魂が熱くパンプアップしていくようです! なんだこれ、最高じゃないですか!!」
先生とジェンゴは目を輝かせ、瞬く間に宴の空気に飲まれていった。
ジェンゴは巨大な獣の姿をした風の精霊と『概念的な腕相撲』で盛り上がり、先生は次々と運ばれてくる風の酒を呷りながら、精霊たちに魔術のウンチクを熱く語っている。
「アハハハ! あの二人、すっかり馴染んでるな!」
ヒューイが腹を抱えて笑いながら、空中で宙返りをした。
俺も風の杯を傾けながら、その騒がしくも温かい光景に目を細めた。これが、精霊たちの宴。誰も誰かを支配せず、ただ共に在ることを喜ぶ時間。
「……王よ。お楽しみいただけておりますかな?」
宴の喧騒から少し離れた雲のテラスで。
長い髭を揺らしながら、先ほどの長老が静かに隣へ並んだ。
「ああ。最高だよ、長老。……でも、『王』って呼ばれるのはまだ慣れないな」
『ふぉっふぉ。いずれ慣れましょう。我らにとって、あなたの魂から発せられる波長は、どれほど姿や記憶が変わろうとも、唯一無二のものですからな』
長老は愛おしそうに俺の魂を見つめ、自身の杯を空けた。
『ところで、王よ』
「ん?」
『あの若造……ヒューイは、そちらで上手くやれておりますかな?』
長老の視線の先には、精霊の子供たちに囲まれて自慢話をしているヒューイの姿があった。
『あやつは、風の精霊の中でもとりわけ好奇心が旺盛で、少しばかりお調子者でしてな。人間界で、王に何かご迷惑をおかけしていないかと……』
「迷惑だなんて、とんでもない」
俺は即座に首を横に振った。
「あいつは、俺が魔法に目覚めて、一番最初に喚んだ精霊なんだ」
初めて空間魔法以外の魔法を感覚でつかえるようになったこと。
俺の無茶苦茶な空間魔法の実験を、ケラケラ笑いながら一緒に面白がってくれたこと。
いつでも、常に俺の背中を守ってくれたこと。
「俺に魔法の楽しさを教えてくれたのも、ピンチの時にいつも助けてくれるのもあいつだ。……俺の、頼れる『兄貴分』ですよ」
俺が笑ってそう答えた、その時だった。
――ビュォォォォォッ!!
突然、テラスに猛烈な突風が吹き荒れた。
「おわっ!?」
『むぐっ!?』
俺と長老が風に煽られ、慌てて雲のテーブルにしがみつく。
風の吹いてきた方を見ると、遠くにいたはずのヒューイが、顔を耳まで真っ赤にしてそっぽを向いていた。
「……あいつ、風の音に紛れてこっそり聞いてたな」
『ふぉっふぉっふぉ! 照れ隠しの突風とは、まだまだ青いですな!』
俺と長老が顔を見合わせて大笑いすると、ヒューイはさらに顔を赤くして「うるせーっ!」とばかりに、もう一発突風を吹き付けてきた。
宴は夜通し続いた。
共に笑い、共に飲み、共に風を感じる。
イカヅチが言っていた通りだ。精霊の王とは、絶対的な君主ではなく、彼らから最も愛される『親友』のことなのだ。
頭ではなく、魂の奥底で、俺はその事実を深く理解していた。
やがて、精神世界にも夜明けの気配が訪れ始めた。
『……そろそろ、限界のようですな』
長老が名残惜しそうに空を見上げる。
氷漬けにしてあるとはいえ、現実世界に置いてきた肉体が活動限界を迎える時間だ。
「ああ。帰らなきゃな」
俺が立ち上がると、宴を楽しんでいた無数の風の精霊たちが、静かに俺の周りへと集まってきた。
誰もが、寂しそうに、けれど誇らしげな顔で俺を見上げている。
『王よ』
長老が、代表して俺の前に進み出た。
そして、深く首を垂れ、揺るぎない忠誠と親愛を込めて宣言した。
『我ら風の精霊は、あなたと共にあります。――王の望みとあらば、いつでも、いくらでも力を貸しましょう。この星に風が吹く限り、我らはあなたの剣であり、盾となります』
その言葉は、何よりも力強い約束として、俺の魂に刻み込まれた。
「ありがとう。……また来るよ、みんな」
俺が大きく手を振ると、ヒューイが指笛を鳴らした。
それを合図に、精霊たちが一斉に俺たちを天高く押し上げるような上昇気流を生み出す。
歓声と、風の音に見送られながら。
俺とジェンゴ、そしてエレノア先生の魂は、現実世界へ向けて光の速さで帰還していった。
◇
「……っぶはぁっ!!」
「さ、さむっ!! 筋肉が凍るぅぅっ!!」
五島列島、祖父の家の庭先。
シラユキによって氷の棺から解凍された先生とジェンゴが、勢いよくむせ返りながら現実世界へと生還を果たした。
「おかえり。無事に終わったみたいだな」
縁側でコーヒーを飲んでいた兄さんが、眼鏡を光らせながら労ってくれる。
朝焼けの光が、冬の冷たい空気をゆっくりと温め始めていた。
「ええ。最高の夜だったわ。……魔法研究者として、世界の真理にまた一歩近づけた気がする」
「僕もです! 精霊の皆さんの熱い魂、筋肉の奥までしっかり届きました!」
ガタガタと震えながらも、二人の顔は充実感に満ち溢れていた。
精霊王としての自覚。
そして、風の精霊たちとの確かな絆。
九州での濃密な数日間を経て、俺たちはまた一つ、大きな成長を遂げた。
「さあ、帰ろうぜ。俺たちの学校へ」
昇る朝日に目を細めながら、俺は力強く宣言した。
次なる目標は、並行世界の自分への因子付与に向けた準備だ。
俺たちの戦いは、ここからいよいよ神の領域へと足を踏み入れていく。




