第132話 仮死状態の荒療治
大晦日の昼下がり。
精神体になる感覚が一向に掴めないジェンゴとエレノア先生のために、俺たちは再び、近所の今山へと足を運んでいた。
「もう一度、俺がパスを繋いでみんなの意識を引っ張り出す。あの『抜ける感覚』を体で覚えてくれ」
俺の提案に、二人は縋るようにコクリと頷いた。
弘法大師の石像の前で、昨日と同じように三人で手を繋ぎ、魔力を循環させる。
視界が反転し、意識が猛スピードで地球の中心へとダイブしていく。
◇
光り輝く白の世界。
到着するなり、目の前にある強烈な光の塊――地球の核が、ピカピカと明滅した。
『やあ……って、え? また来たの?』
大自然の意識が、完全に呆れたような声を出す。
『昨日、壮大な話をして感動的に送り出したばかりだよね? 昨日の今日で、いったい何しに来たんだい?』
「いや、ちょっと精神体になる練習で……」
『ただの練習で僕に会いに来るなんて……君たち、やっぱり異常だよ! アハハハ!』
星の意識は怒るどころか、俺たちの図太さに大ウケして笑い転げた。
俺たちはそこでしばらく精神体としての浮遊感を二人に味わわせ、「よし、感覚は掴んだな!」と現実の肉体へと帰還した。
……のだが。
「やっぱり……自分の力じゃ一ミリも抜ける気がしないわ」
「僕もです。やっぱりお父さんと餅をついてきます」
現実は非情だった。
補助輪(俺と地球の核のパス)を外した途端、二人の魂は再び「論理的思考」と「筋肉」という強固な肉体の檻にガッチリと縛り付けられてしまったのだ。
出発は明日。これ以上時間をかけている余裕はない。
「……ちょっと、専門家の意見を聞いてくる」
俺は客間の畳に座り込み、目を閉じて銀杖を握った。
◇
スムーズに『召喚空間』へとダイブした俺は、集まってきた精霊たちに事情を説明した。
「――というわけで、あの二人が自力で魂を切り離せないんだ。明日には『風の里』に行きたいのに。何かいい方法はないか?」
俺が尋ねると、和装の水の精霊・シラユキが、スッと一歩前に出た。
「王よ。その者たちを『仮死状態』にするのが手っ取り早いかと」
彼女は、透き通るような美しい美貌で、一切の感情を交えずにそう言い放った。
「……は?」
「肉体を極限まで追い詰め、生命活動の停止を錯覚させれば、魂は防衛本能として自然に肉体という器から逃げ出します」
「いやいやいや! 仮死状態って! 一歩間違えたら本当に死ぬだろ!?」
俺が慌ててツッコミを入れると、背後で巨大な雷獣のイカヅチが豪快に笑った。
『ガッハッハッハ!! それはいいな! 我の雷撃で気絶させようとすれば、黒焦げにして殺してしまいかねないからな! シラユキの氷なら綺麗に保存できる! ガッハッハ!』
「ガッハッハじゃねーよ! お前ら、人間の命をなんだと思ってるんだ!」
精霊たちの倫理観が俺や兄さん以上にバグっていて頭が痛い。
だが、シラユキは静かに首を横に振った。
「王よ、ご安心を。私の冷気コントロールであれば、肉体の細胞を破壊することなく、完璧な仮死状態を維持できます。魂が抜けた後、ゆっくりと解凍すれば後遺症は残りません」
『ヒロ。時間がないのでしたら、その荒療治が一番確実ですわよ?』
フレアも扇子をパチンと鳴らして同意する。
……確かに、背に腹は代えられないか。
「分かった。シラユキ、頼む。……絶対に殺さないでくれよ?」
「御意に」
シラユキが恭しく頭を下げるのを見て、俺は現実へと意識を戻した。
◇
実家の裏庭。
俺は杖を振り、シラユキを人間の姿で召喚した。
「ふうむ。シラユキちゃんが、私たちを精神世界へ導いてくれるのね?」
何も知らないエレノア先生が、興味深そうにシラユキを観察している。
ジェンゴも「よろしくお願いします!」と元気に頭を下げた。
「では、いきます。――【絶対零度の棺】」
シラユキが冷酷な声で魔法名を紡いだ瞬間。
猛烈な吹雪が裏庭に吹き荒れ、ジェンゴと先生の足元から、一瞬にして極寒の氷柱が立ち上った。
「えっ!?」
「ひぃっ!?」
二人が声を上げる間もなく、その巨体と細身の体は、分厚い氷塊の中に完全に閉じ込められた。カチンコチンに凍りついた二人の顔は、驚愕に染まったまま静止している。
「おいシラユキ! 大丈夫なのかこれ!?」
「問題ありません。肉体の機能は完全に停止しました」
事もなげに言うシラユキ。
その直後。
ポンッ! ポンッ!
氷の塊から、半透明に発光する二つの人影が飛び出してきた。
ジェンゴと、エレノア先生の精神体だ。
「死ぬかと思ったあああああっ!!」
「筋肉が! 僕の筋肉が動かなくなって!!」
宙に浮いた二人の魂が、パニックになって悲鳴を上げている。
「お、成功だ。ほら、自分の足元を見てみろ」
俺が指差すと、二人は空中に浮遊したまま、氷漬けになっている自分自身の肉体を見下ろした。
「……あ。本当に、魂が抜けてる……」
「これが、アストラル・ボディ……。肉体の束縛がないから、論理的思考を介さずに世界を直接『知覚』できるわ……!」
死の恐怖から一転、先生は精神体の身軽さと新しい感覚に歓喜し始めた。ジェンゴも、空をスイスイと泳ぐように飛び回っている。
「まあ、荒療治だったが、これで明日から『風の里』に行けるな」
「……ヒロさん。この僕の肉体、ちゃんと元に戻るんでしょうね?」
「たぶん」
「たぶん!?」
精神体となった二人の抗議の声が、大晦日の空にこだました。
◇
その夜。
無事に解凍されたものの、極限の寒さと死の恐怖を味わったジェンゴと先生は、何枚もの毛布に包まり、コタツの中でガタガタと震えていた。
「もう……精霊なんて……嫌い……」
「命の、危機でした……」
すっかりやつれた二人の前に、ドドン! と巨大な土鍋と大皿が置かれた。
「さあ! 大晦日の大宴会だぞ!!」
エプロン姿の父さんが、ドヤ顔で仁王立ちしている。
土鍋の中でグツグツと音を立てているのは、アリサ先輩から届いた超高級和牛のブロック肉を贅沢に使った『極上すき焼き』。
そして大皿に盛られているのは、大間のマグロの塊を見事に捌いた『大トロの握り寿司』と刺身の山だった。
「おおおっ……!」
「すごい……!」
和牛の甘い脂の香りと、宝石のように輝く大トロを前に、二人の瞳に一気に生気が戻った。
「男の豪快料理だから繊細さはないが、素材は最高だ! 遠慮せずに食ってくれ!」
父さんの合図と共に、俺たちは一斉に箸を伸ばした。
「……っ!! お、お肉が、舌の上で消えました……!」
ジェンゴが、すき焼きの肉を口に入れた瞬間、あまりの美味さに涙をポロポロと流した。
「この大トロ……! 普段じゃ絶対に食べられない鮮度よ! ああ、今日の理不尽な氷漬けの恨みも、全部許せるくらい美味しいわ……!」
先生も、大トロの握りを頬張りながら恍惚の表情を浮かべている。
「ヒロ、カイト。今年も色々あったが……よく生きて帰ってきてくれた。来年もよろしくな」
父さんがビールグラスを傾け、母さんも嬉しそうに微笑んでいる。
俺と兄さんもグラスとお茶を合わせ、極上の肉と魚を腹一杯に詰め込んだ。
激動の一年だった。
俺が魔法の深淵に触れ、世界が変わり、戦争を終わらせ、そして神への反逆を決意した一年。
テレビからは、除夜の鐘の音が響き始めている。
明日はいよいよ元旦。そして、五島列島の『風の里』への旅立ちの日だ。
俺たちの騒がしくも温かい大晦日の夜が、ゆっくりと更けていった。




