第131話 一般人のやさぐれと、筋肉の餅つき
帰省二日目の朝。
一之瀬家の客間では、奇妙な光景が繰り広げられていた。
「いいか? 肉体という器から、意識だけをふわりと浮かせるイメージだ。雑念を捨てて、深く深呼吸する」
俺の指導のもと、エレノア先生とジェンゴが畳の上で胡座をかき、目を閉じて瞑想に耽っている。
数日後に迫った『風の精霊の里』への訪問。そこは物理的な場所ではなく精神世界であるため、彼ら自身が精神体にならなければ立ち入ることができないのだ。
「……」
「……」
静寂の中、二人の眉間には深いシワが刻まれていた。
十分後。
「だーっ! 無理! 全然分からないわ!」
最初に音を上げたのはエレノア先生だった。
彼女は髪をかきむしりながら、畳の上にゴロリと寝転がった。
「魂を肉体から切り離す? 論理的におかしいでしょう。もし魂が独立したエネルギー体だとしたら、そのベクトルと座標の固定はどうやって……ああっ、考えれば考えるほど意識が脳細胞にへばりついていくわ!」
「先生、頭で考えすぎなんだよ。もっと感覚的にさ」
「私から論理的思考を取ったら何も残らないわよ!」
先生がジタバタと暴れる。
一方のジェンゴも、滝のような汗を流しながら目を開けた。
「ヒロさん……僕も、ダメみたいです」
「ジェンゴはどうして抜けないんだ?」
「雑念を捨ててリラックスしようとすると……無意識のうちに、広背筋と上腕二頭筋がパンプアップしてしまうんです! 筋肉が『僕を置いていくな』と主張してきて……!」
「お前の魂、筋肉に縛られすぎだろ」
俺は思わず頭を抱えた。
前途多難すぎる。論理的思考のバケモノと、筋肉のバケモノ。どちらも『自分』という存在のアンカーが強すぎて、魂をフワッと手放すことができないらしい。
「どうせ私なんて、前世の貯金ゼロの一般地球人だし……」
先生が完全にやさぐれモードに入ってしまった。
彼女は這うようにして隣のリビングへ移動すると、居座っていたコタツにスポッと潜り込んだ。
「精霊王や、星の分身体とは違うのよ……。私はただのモブよ。いいわ、五島列島に行っても、私は一人で留守番してるから……」
ブツブツと卑屈な言葉を呟きながら、先生は机の上にあった『紅まどんな』を手に取り、器用に皮を剥き始めた。
「あっ! ちょっと先生、それ母さんが楽しみにしてた超高級みかん……!」
「今の私にはMP回復アイテムが必要なのよ……。あむっ。……何これ、ゼリーみたいでめちゃくちゃ美味しい」
感動のあまり少し瞳を潤ませながら、先生は次々と紅まどんなを胃袋に収めていく。
完全に『コタツの主(ダメ人間)』と化していた。
「はぁ……。僕なんて、ただの筋肉ダルマです。魔法使いの素質なんてないんだ……」
リビングの惨状を見て、ジェンゴまで体育座りをして落ち込み始めてしまった。
二メートルの巨漢が丸まっていると、大型犬が拗ねているようで妙な哀愁がある。
「おいおいジェンゴ君、そんなに落ち込むなよ」
そこへ、裏庭から顔を出した父さんが、首にタオルを巻いた姿で声をかけてきた。
「魔法のことはよく分からんが、息詰まった時は体を動かすのが一番だぞ! どうだ、気分転換に俺と一緒に『餅』でもつかないか? 五島のじいさん家への手土産にしようと思っててな」
「モチ……つき、ですか?」
ジェンゴが顔を上げた。
「ああ。日本の伝統的な正月行事さ。力仕事だから、お前のその立派な筋肉が必要なんだよ」
「伝統行事! 僕の筋肉が役に立つなら、ぜひやらせてください!」
単純なジェンゴは、パァッと顔を輝かせて裏庭へと飛び出していった。
◇
冬の澄んだ空気が張り詰める裏庭。
そこには、年代物の立派な木製の『臼』が置かれており、中には蒸し上がったばかりの熱々の餅米が湯気を立てていた。
「いいかジェンゴ君。俺が合いの手で餅を返すから、お前は杵を真っ直ぐに振り下ろすんだ。最初は軽くこねて……よし、いっちょついてみろ!」
「はい、お父さん!」
ジェンゴが、自分には少し短すぎる木製の杵を構えた。
精神体になれなかった鬱憤と、自分を頼ってくれた父さんへの感謝。その全てが、彼の上腕二頭筋と広背筋に集約されていく。
「いきます! ふんっ!!」
ジェンゴが、フルパワーで杵を振り下ろした。
空気を裂くような風切り音。
――メキィィィィィッ!!!
鈍い破砕音が、冬の庭に響き渡った。
「えっ」
父さんの合いの手が止まる。
縁側でお茶を飲んでいた俺と兄さんも、目を丸くした。
ジェンゴの振り下ろした杵は、餅米を貫通し、その下にある分厚い木製の臼のど真ん中に直撃していた。
一拍遅れて。
パカッ、と。
大人が抱えきれないほど太い丸太をくり抜いて作られた年代物の臼が、見事に真っ二つに割れ、左右に倒れたのだ。
もちろん、中の餅米も地面に散乱してしまった。
「…………あ」
ジェンゴの顔から、スッと血の気が引いた。
「や、やってしまった……! お父さん、ご、ごめんなさい! 一之瀬家の伝統的な神具を、僕の筋肉が粉砕してしまいましたぁぁっ!」
ジェンゴが地面に膝をつき、割れた臼の破片を抱きしめて泣きそうになっている。
父さんは驚きのあまり口をパクパクさせていた。
「いや、神具ってわけじゃないし、怪我がなくてよかったけど……こりゃあ、見事に割れたなぁ……。じいさんの代から使ってた年代物だったんだが……」
父さんが困ったように頭を掻く。
その「じいさんの代から」という言葉が、さらにジェンゴの罪悪感を刺激したらしい。
「お任せください! 僕が責任を持って、直しますから!」
ジェンゴがガバッと立ち上がり、真っ二つになった臼に向かって手をかざした。
「――創造!!」
膨大な魔力が放出される。
粉砕された木の破片と、散らばった餅米が、光に包まれて空中にフワリと浮き上がった。
構造を分解し、本来あるべき姿へと再構築していく。足りない質量は魔力で補填し、完璧な木目を編み上げていく。
光が収まると、そこには。
「おおっ!?」
父さんが歓声を上げた。
そこにあったのは、先ほどまでと同じ材質……立派な欅の木で作られた臼だった。
だが、長年の使用による細かな傷や黒ずみは一切消え去り、まるで名工が今しがた削り出したかのような、ピッカピカの『新品の臼』に生まれ変わっていたのだ。
「す、すごいなジェンゴ君! 魔法ってやつはこんなこともできるのか! ヒロの冷蔵庫(収納魔法)よりよっぽど便利じゃないか!」
父さんが大喜びで、新品の臼をペチペチと叩いている。
「よかったぁ……」
ジェンゴが安堵の溜息をついてへたり込んだ。
「さあ、気を取り直してもう一回だ! 今度は力加減を頼むぞ!」
「はいっ! 任せてください!」
父さんとジェンゴは、再び準備した餅米で、今度こそ楽しそうに「ペッタン、ペッタン」と心地よい音を響かせ始めた。
筋肉の暴走と、創造魔法の壮大な無駄遣い。
「……平和だなぁ」
「そうだな。魔力のリソース配分としては最悪だが」
縁側で兄さんとお茶を啜りながら、俺はつきたての餅が出来るのをのんびりと待っていた。
リビングからは、コタツの主と化した先生が「みかんのおかわり!」と要求する声が聞こえてくる。
精神体になる修行は一歩も進んでいないが、まあ、明日考えればいいか。
九州の冬の空は、今日もどこまでも青く澄み渡っていた。




