第118話 原宿攻略戦と、困惑の校長先生
日本の空気は、緩んでいた。
空港に降り立った瞬間、肌にまとわりつく湿気とともに、独特の「平和ボケ」した空気が俺たちを包み込んだ。
「……誰も、銃を持っていないですね」
隣を歩くジェンゴが、キョロキョロと周囲を警戒しながら呟く。
「魔力反応も薄い。殺気に関しては皆無です。すれ違う人々が、まるで明日の死など想像もしていない顔をしている……。これが、平和な国ですか」
「まあ、それが日本のいいところだからな」
俺は苦笑して答えた。
ジェンゴの服装は、ゼノビア軍から支給された機能性重視のカーキ色の服だ。向こうでは普通だったが、ここではやたらと浮いている。というか、サバイバルゲームの帰りみたいだ。
「まずは形から入りましょうか」
先頭を歩くアリサ先輩が、パチンと指を鳴らした。
「ジェンゴさんのその格好、寮に入る前に何とかしませんと。それに、ヒロ様とカイト様も」
「え、俺たちも?」
「当たり前ですわ! あなたたち、研究と実験にかまけてファッションセンスが止まっていますのよ? これから『英雄』として報告に行くのですから、少しは小綺麗にしませんと!」
というわけで、俺たちが連行されたのは――。
◇
「ここが……伝説の、ハラジュク……」
竹下通りの入り口で、俺は立ち尽くしていた。
視界を埋め尽くす人の波。極彩色の看板。クレープの甘ったるい匂い。
「……空間密度が高すぎて目がチカチカするな」
「物理的な色彩情報の暴力だ」
兄さんも眉間を押さえている。
俺たち一之瀬兄弟は、九州の山奥――信号機よりも鹿の方が多いような田舎の出身だ。大阪や福岡のような都市部はともかく、この東京の、それも原宿のエネルギー量は致死量に近い。
「あの……お二人は日本人ですよね?」
ジェンゴが不思議そうに俺たちを見ている。
「なぜ戦場に来たような顔をしているのですか? ここは貴方たちのホームグラウンドでは?」
「勘違いするなジェンゴ。日本は広いんだ」
俺は人混みに酔いそうになりながら言った。
「俺たちの地元は、こんなキラキラした場所じゃない。……なんでここに来ようって言ったんですか先輩!」
「あら、若者の街といえばここでしょう? さあ、行きますわよ!」
先輩は強引に俺たちの腕を引き、極彩色の人混みへと特攻していった。
◇
一時間後。
魔法学校の校長室にて。
「……入りたまえ」
重厚な扉の奥から、疲れ切った声が聞こえた。
俺たちが部屋に入ると、執務机に座った学園長が、手元の書類を見つめたまま固まっていた。
その書類には『ゼノビア事変報告書:一之瀬ヒロによる戦略級魔法行使と、それに伴う不殺による戦争終結について』という、頭の痛くなりそうなタイトルが書かれている。
「……報告書は読ませてもらったよ」
校長先生がゆっくりと顔を上げた。
以前会った時より、確実に老け込んでいる気がする。
「君たちを短期留学に行かせたのは、あくまで見聞を広めるためであって……決して、戦争に介入して軍事バランスをひっくり返すためではなかったんだがね」
「成り行きです」
兄さんが悪びれもせずに答えた。
「向こうから仕掛けてきたので、降りかかる火の粉を払ったら、ついでに戦争が終わってしまいました」
「ついでで終わらせるな、ついでで」
校長は深く溜息をつき、天井を仰いだ。
「ついにこの日が来てしまったか……。一介の学生が、国家間のパワーバランスを左右する日が」
怒る気力もないらしい。
校長は「まあ、無事で何よりだ」と自分に言い聞かせるように呟くと、視線を後ろに向けた。
「で、彼が例の留学生……ジェンゴ君だね?」
「はっ!」
名前を呼ばれたジェンゴが一歩前に出る。
その姿は――
オーバーサイズのパーカーに、ダボッとしたカーゴパンツ。首にはシルバーのアクセサリー。
原宿で先輩にコーディネートされた、バリバリのストリート系ファッションだ。
しかし、その動きは軍人のそれだった。
彼はパーカーのフードをなびかせながら、音速の如き速さで直立不動の姿勢を取り、ビシッと敬礼を決めた。
「ゼノビア共和国より参りました、ジェンゴ・ムワンバです! 一之瀬ヒロ様のご指導の下、この学園で学ばせていただきます! 趣味は筋トレと物質生成です!!」
「……服と態度のギャップがすごいな!?」
校長が思わずツッコミを入れた。
ストリート系ファッションで軍隊式敬礼。確かに絵面がおかしい。
「まあいい……。君の受け入れ手続きは済んでいる。我が校は才能ある者を拒まない」
「ありがとうございます!」
「ただし、校舎を破壊しないように。……特に、そこの兄弟と一緒にいる時はね」
校長は釘を刺すように俺たちを見た後、兄さんに手招きをした。
「さて、カイト君。君には少し残ってもらおうか。……今回の件、政府や協会への説明にあたって、君の口から詳細な補足が必要だ」
「ええ、構いませんよ。大人の話ですね」
兄さんは涼しい顔で頷いた。
こういう政治的な根回しは、全部兄さんが引き受けてくれる。本当に頭が上がらない。
「ヒロはジェンゴを連れて行ってやれ。……例の場所へ」
「了解。じゃあジェンゴ、行こうか」
俺はジェンゴを促して、校長室を後にした。
廊下を歩きながら、ジェンゴが興奮した様子で尋ねてくる。
「ヒロさん、次はどこへ? いよいよ、ヒロさんの『師匠』に会えるのですか?」
「師匠っていうか……まあ、先生だよ。1年の時からの担任で、俺たちの研究仲間だ」
俺はある研究室の前で足を止めた。
中からは、キーボードを叩く音と、ブツブツと独り言を呟く声が漏れている。
「神殺しの共通目的を持つ、ちょっとイカれた研究者さ」
俺は苦笑しながら、そのドアをノックした。




