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第117話 ゼノビアからの出国

 ゼノビア軍用空港の吹きっさらしの滑走路に、乾いた風が吹き抜ける。

 目の前には、場違いなほど優美な流線型を描く白い機体――薬師寺グループ所有のプライベートジェットが駐機していた。


 エンジンの暖機運転音が、別れの時間を告げるように響いている。


「この国はどうだったか、一之瀬カイト」


 見送りに来たザッハーク将軍が、低い声で尋ねた。

 その隣には、大佐や数名の将校たちが並んでいる。かつては俺たちに銃口を向けたこともあった連中だが、今は穏やかな顔をしていた。


「資源も人材も豊富です。……一人の研究者として言わせていただくなら、まだまだ伸びる面白い国ですよ」


 兄さんが涼しい顔で答える。

 その言葉に嘘がないことを悟ったのか、将軍は満足そうに口髭を揺らした。


「そうか。……貴公のような男にそう言ってもらえるなら、我々も開発のやり甲斐があるというものだ」


 そして視線が俺に向く。


「一之瀬ヒロ。貴様は……どうだった?」

「すごく楽しかったですよ! こんないい物も買ってもらいましたし」


 俺は手にした杖――『銀幻シルヴァリー・ファントム』をひらひらと振ってみせた。

 大佐に買ってもらった、ゼノビア軍事技術の結晶だ。


「……フッ、ハハハハ!」


 将軍が突然、声を上げて笑った。


「あれほどの魔法を放ち、戦争を一人で終わらせた怪物が、子供のように自国の魔道具おもちゃを自慢してくるとはな! ……愉快だ。実に愉快だ」

「大切に使いますよ。これ、なにか新しい可能性を感じるんです」

「ああ、頼む。……また有事の際は頼りにしているぞ」


 将軍はニヤリと笑い、俺の耳元で囁いた。


「……国際問題にならない程度にな」

「善処します」


 俺と兄さんは苦笑して、将軍と固い握手を交わした。


          ◇


 一方、タラップの近くでは、もっと湿っぽい別れが行われていた。


「あ、あの……! アリサ様、ヒロ様! 本当にありがとうございました!」

「皆様のおかげで、村は……うぅっ」


 厳戒態勢の空港だが、特別許可を得てジェンゴの村の人たちが駆けつけていた。

 彼らは地面に額を擦り付けんばかりの勢いで、俺とアリサ先輩に感謝を述べている。


「顔を上げてください! わたくしたちはビジネスパートナーですのよ? これからも『デザート・ドロップ』の生産、頼りにしていますから!」

「はいっ! 必ずや!」


 先輩が村の女性たちの手を握り、励ましている。商魂逞しいが、その優しさは本物だ。


 そして、輪の中心にはジェンゴがいた。

 軍服ではなく、ラフな私服姿だ。手には巨大なボストンバッグと、例の「装飾過多の魔導ダンベル」を持っている。


「ジェンゴ・ムワンバ」


 将軍が、巨漢の少年に声をかけた。


「はっ!」

「日本でもっと成長してこい。お前はもう、ただの『資源』ではない。我が国の宝だ」


 将軍の手が、ジェンゴの分厚い肩を叩く。


「資源として消費されるのではなく、戦術として機能する知性を持て。……そして、もし日本が嫌になったらすぐに帰ってきなさい」

「閣下……」

「その時は、ぜひ一之瀬兄弟も一緒にな(笑)」

「勧誘がしつこいですよ」


 俺が横から突っ込むと、周囲がドッと沸いた。

 ジェンゴは鼻をすすり、涙を堪えて背筋を伸ばした。筋肉が服の上からでも分かるほど躍動する。


「自分は……必ず、一回りも二回りも大きくなって帰ってきます! 迷惑をかけるのではなく、その数倍役に立つ男になって!」

「ああ。風邪を引くなよ。……楽しんでこい」


 その言葉は、軍の司令官としてではなく、親のような響きを持っていた。


「はいっ!!」


 ジェンゴは涙を流しながら、ビシッと綺麗な敬礼を決めた。

 筋肉ポーズじゃないあたり、彼なりに空気を読んだらしい。


          ◇


 離陸から十分後。

 機体が安定高度に入り、ベルト着用サインが消えた。


「ひ、ひぃぃぃ……」


 豪華な革張りのシートで、ジェンゴが小刻みに震えている。

 顔面は蒼白で、アームレストを握りしめる手には血管が浮き出ていた。このままだとアームレストが粉砕されそうだ。


「お、落ち着けよジェンゴ。飛行魔道具は使ったことあるだろ?」

「そ、それとこれとは話が別ですよ……! あちらは魔力という理屈で浮いていますが、これは……この鉄の塊は、なぜ物理的に浮くのですか……! 重力に喧嘩を売りすぎです!」

「あー……まあ、見た目はそうだよな」


 魔力で飛ぶのが当たり前の彼にとって、揚力だの推力だのという「見えない物理法則」に命を預けるのは恐怖でしかないらしい。


「ふふ、簡単なことさジェンゴ君」


 優雅にコーヒーを飲んでいた兄さんが、眼鏡をクイッと押し上げた。


「翼の断面形状を見てごらん。上面が膨らんでいるだろう? これによって空気の流れが速くなり、ベルヌーイの定理に従って圧力が下がる。つまり、下からの圧力が勝って『揚力』が生まれるわけだ。数式で表すととなるわけで――」

「あ、あの、兄さん……ジェンゴはそれどころじゃないみたいだよ。」


 ジェンゴは目を回していた。


「さて、そろそろお食事にしましょうか」


 空気を変えるように、アリサ先輩が手を叩いた。

 CAさんがワゴンを押してくる。特選の和牛に、新鮮な魚介類。さすが財閥のプライベートジェット、機内食のレベルじゃない。


 その時、先輩がモジモジと俺の方を見た。


「あの……ヒロ様……」

「ん? どうしました?」

「その……今回の機内食、特に新鮮な『馬刺し』を用意させたのですけれど……」


 先輩の視線が、俺の後ろあたりを彷徨っている。


「もしかして、イカヅチの分ですか? 気が利きますね。じゃあ、あとで収納空間に放り込んでおきますよ」

「あっ……は、はい……」


 俺が言うと、先輩は露骨にしょんぼりと肩を落とした。

 え、なんで?


「はぁ……。ヒロ、お前相変わらずだな」


 兄さんが呆れたように溜息をつく。


「薬師寺さんは『イカヅチに餌をやりたい』んじゃなくて、『イカヅチと一緒に食事を楽しみたい』んだよ。ちゃんと空気読みな」

「……あ、そういうこと?」


 俺は苦笑して、杖を振った。


「出てこい、イカヅチ」


 バヂヂッ!

 空間が裂け、中からイカヅチが飛び出してきた。

 ただし、いつもの威圧的な巨体ではなく、「子犬フォーム」だ。


『む? なんだ』

「さあイカヅチ様! 特選の馬刺しですわ!」


 先輩が待ってましたとばかりに、霜降りの馬刺しを差し出す。


『ほう、馬刺しか! 気が利くではないか娘!』


 イカヅチは嬉々として馬刺しに食らいついた。

 パクパクと食べるその背中を、先輩がうっとりとした顔で撫で回す。


「ああ……この剛毛、そして僅かに指先に走る静電気の刺激……たまりませんわ……!」


 バチバチいってるけど、大丈夫なんだろうか。


『うむ! やはりお前が持ってくる馬刺しは脂が乗っていて美味いな! 人間との共存も悪くない!』

「いくらでもお代わりありますからね♡」


 餌付けされている雷の精霊。

 平和だ。


 俺は窓の外に目をやった。

 眼下には、赤茶けたゼノビアの大地が広がっている。

 開発が進む都市、そして米粒のように小さなジェンゴの村が、遠ざかっていく。


「……楽しかったな」


 兄さんが、ふと呟いた。

 戦争に巻き込まれ、兵器開発までしたのに。「楽しかった」と言える兄さんは、やっぱり肝が据わっている。


「……まさか、本当に戦争を一つ終わらせてしまうなんて」


 少し落ち着いたジェンゴも、窓の外を見つめて感慨深げに言った。


「俺たちがやったことは、正しかったのかな」

「さあな。結果が出るのはこれからだろ」


 俺はスマホを取り出し、日本時間をチェックしようとした。

 ロック画面の日付が目に入る。


 ――12月10日。


「……あ」

「どうした、ヒロ?」


 俺の背筋に、冷たいものが走った。戦争の時よりも冷たい、現実的な恐怖。


「待って兄さん。今、12月ってことは……帰ったらすぐに『期末試験』?」


 機内に一瞬の静寂が流れた。

 ジェンゴが「きまつしけん……?」と不思議そうな顔をする。


 だが、兄さんは優雅にコーヒーカップを傾け、フッと笑った。


「馬鹿だなヒロ。3年のこの時期に試験なんてあるわけないだろ。そもそも、そんな行事があったら留学許可なんて降りない」

「……そ、そうだよね?」

「受験生だぞ? こんな大事な時期に、海外に飛ばすわけがない。……まあ、お前は指定校推薦どころか『国家推薦』みたいなもんだが」


 兄さんの言葉に、俺は座席に深く沈み込んだ。


「よかった……。ある意味、戦争より怖かった……」


 機体は雲を突き抜け、加速する。

 俺たちは英雄としての時間を終え、日本の日常へと帰還する。

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