第115話 再生のオアシスと魂の道標
帰国の日が近づいていた。
俺たちは出国前に、もう一度だけジェンゴの故郷である村を訪れることにした。
軍用車に揺られること数時間。
窓の外に見えてきた景色は、前回とはまるで違っていた。
「……すごい」
ジェンゴが窓に張り付いて呟く。
かつて渇ききっていた荒野には、薬師寺グループの重機が入り、巨大なプラントが建設されていた。
俺が開けた水脈からは豊富な水が供給され、村の周囲には瑞々しい緑が芽吹き始めている。
「おーい! ジェンゴだ!」
「救世主様のお仲間様たちが来たぞー!!」
村に入ると、子供たちが駆け寄ってきた。
大人たちも作業の手を止め、満面の笑みで手を振ってくる。
彼らの顔色は良く、瞳には希望の光が宿っていた。
「救世主様のお仲間様、か……」
俺は苦笑した。
どうやらこの村では、圧倒的な財力と行動力で村を救った薬師寺アリサ先輩こそが「救世主」であり、俺たちはその随行員だと思われているらしい。
まあ、あながち間違いじゃないし、その方が気楽でいい。
「みんな……よかった……本当によかった……」
ジェンゴが噛み締めるように言った。
彼を縛り付けていた鎖は、今や村人たちの笑顔に変わったのだ。
◇◇◇
村の集会所に案内されると、そこには村の長老である老婆が待っていた。
「よく来てくだすった。
ジェンゴがお世話になっております」
老婆は深く頭を下げた後、木箱に入った道具を持ってきた。
中には、乾燥した木片と彫刻刀が入っている。
「村を救ってくださったお礼に、この村に伝わる伝統工芸……『仮面作り』を体験していきなされ」
「仮面、ですか?」
兄さんが興味深そうに木片を手に取る。
「はい。巷ではよく『呪物』なんて呼ばれて恐れられていますが……本来は違うんです」
ジェンゴが説明してくれた。
「魔法がこの世界に顕現するずっと前から、僕たちの先祖は『念』を木に刻んでいました。
言葉にできない祈りや、強い願いを形に残すんです。
それが強すぎると、時に『呪い』として作用することもありますが……本質は『祈りの器』なんですよ」
「へぇ……お守りみたいなものか」
俺は木片を見つめた。
ただの木切れだが、不思議と温かみを感じる。
「さあ、彫ってみなされ」
長老が優しく微笑んだ。
「お前さんたちの魂を、一番強い『念』を込めて」
◇◇◇
俺たちは無心で木を削り始めた。
サクッ、サクッ、という心地よい音が室内に響く。
ジェンゴの手つきは慣れたものだ。
迷いなく刃を入れ、見る見るうちに形を作っていく。
彼が込めているのは、きっと「感謝」だ。
育ててくれた村への、そして未来への希望。
兄さんは、定規で測ったように幾何学的な模様を彫っている。
「真理の探究」か、あるいは「家族の安全」か。
クールな仮面になりそうだ。
そして、俺は――。
(……俺は、何を込めよう)
手が止まる。
ここ数日の出来事を思い出す。
精霊を使役し、ドラゴンに乗り、空間を捻じ曲げ、戦争を終わらせた。
……やってることが、人間離れしすぎている。
力を手に入れるたびに、自分が「一之瀬ヒロ」というただの高校生から、何か別の強大な存在に変質していくような感覚。
それが少しだけ、怖かった。
もし今後、俺が俺でなくなってしまったら?
帰るべき場所を見失ってしまったら?
(……そうだ)
俺は彫刻刀を握り直した。
込めるべき願いは決まった。
――俺はここにいた。
――俺は人間だ。
――必ず、ここ(日常)へ帰ってくる。
それは「道標」だ。
どんなに遠くへ行っても、どんなに強くなっても、魂が迷子にならないための「楔」。
昔のままの自分であり続けるための誓い。
俺は一心不乱に木を削った。
魔力なんて使わない。ただの腕力と、想いだけで。
◇◇◇
「……できた」
数時間後。
三者三様の仮面が完成した。
ジェンゴの仮面は、柔和な笑みを浮かべた精霊のような顔。
兄さんの仮面は、左右対称で知的な、賢者のような顔。
そして俺の仮面は――。
「……ほう」
長老が俺の仮面を手に取り、まじまじと見つめた。
一見するとシンプルな、何の変哲もない仮面だ。
だが、見る角度によって、笑っているようにも、泣いているようにも、そして何処か遠くを見つめているようにも見える。
「強い『楔』だね」
長老がぽつりと言った。
「お前さん、迷うことを恐れているのかい?
いや……帰る場所を求めているのか」
「……ええ、まあ」
見透かされたようで、俺は頭を掻いた。
「いい仮面じゃよ。
これを持っていれば、お前さんの魂は決して迷子にはならん。
どんなに遠い世界に行っても、必ず自分を見つけ出せるはずじゃ」
長老はそう言って、仮面に紐を通してくれた。
◇◇◇
夕暮れ時。
俺たちは完成した仮面を腰に下げ、村を後にすることにした。
「元気でなー! ジェンゴ!」
「また来てくださいねー!」
村人たちが総出で見送ってくれる。
かつてのような悲壮感はどこにもない。
ここにはもう、俺たちがいなくても生きていける強さがある。
「……行ってきます!」
ジェンゴは涙を見せず、満面の笑みで大きく手を振り返した。
その顔は、過去を断ち切り、未来へと向かう若者の顔だった。
「よし、帰ろうか」
俺は腰の仮面に触れた。
指先に伝わる木の感触が、不思議と俺を落ち着かせてくれた。
さあ、日本へ帰ろう。
俺たちの日常へ。




