139、女神を追ったその先で、マリエラを待つ結末は
元の世界で取り返しのつかない傷を作ったある女は、自分の望む世界を作るべく、自身を母と慕う女神に何も言うことなく活動を開始する。理想を求め、慕う者を踏みつけてきた貪欲な女が迎える結末とは。
※※※
「……あなたね。知らせてくれたのは」
「ああ! マリエラ様、まさかあなた自ら来ていただけるとは!」
部屋の真ん中に立つ男が、ぱっと振り返った。マリエラは盾のように己の前に立つ護衛を下がらせ、視線を送る男に視線を合わせる。とろりとした、陶酔しきった目は、褒めてほしいとでも言いたげだ。
カゲロウに邪魔をされる心配ない。マリエラはつい数時間前、気絶するまで無抵抗の気味の悪い忍びを蹴って甚振ったものと同じ足で部屋に踏み入る。
「フレイラ様の放送を受けて、私も愛するこの国のために何かなさねばと思いまして。我らが女神はお優しい方ですので、危険を冒すわけにもいかないと思いましたが、目に入ってしまった以上は私、居ても立っても居られず」
「そう。それで、反抗者はどこに?」
無駄話を聞く時間も惜しく、マリエラは話を遮って先を促す。すると男は薄気味悪い笑いを浮かべながら、足を半歩横に移動させた。男の背後、その足元で蹲る姿が露わになる。
「何でも、フレイラ様の放送を受けて内部分裂を起こしたようでして。ひとりで彷徨っておりました」
身体は後ろ手に縛りあげられ、所々に赤い傷が目立つ。俯いた顔に垂れる水色の髪で表情はうかがえないが、恐らく絶望に染まっていることだろう。
手に入らないなら他の奴の手に渡らないうちに、とフレイラに促した放送がこんな効果を生むなんて、とマリエラは内心で手を叩く。
「チップを通じて呼びつけるなど不敬かと思いましたが、この者から目を離すわけにもいかず……無礼をお許しください」
「無礼だなんてとんでもないわ。あなたは素晴らしい行いをしたのです。それに幸福と思ったことは本当なのでしょう? 何も恥じることはありません」
例の一件以来、国民の脳内を覗くマイクロチップデータの転送先はすでにマリエラの手の中にある。無数に送られてくるデータの中、水色髪の女のレジスタンスを引き渡し、国のためになることが幸福、という内容を手に入れるのは簡単なことだった。
護衛を制し、マリエラは項垂れたままの女神の顎に手をかけ、上を向かせる。絹糸のような髪が額を滑り落ち、擦り傷まみれの、しかし美しい顔が姿を見せた。
「仲間割れなんて、何があったの?」
「……誰だって逃げるでしょう。降伏のための生贄にするなんて言われたら」
「そう。かわいそうに」
触れても、あの乱入してきたふたり組は現れない。その事実にマリエラは歓喜する内心を押さえつけながらするりと手を離す。どうやらこの女神は本当に自ら孤独を選んだようだ。
「……あなたのおかげで、この国はまたより良いものへと変わっていくことでしょう。よくやってくれました」
この世界に連れてこられて、微妙な力を与えられた時は、どうなることかと思ったけれど。
男に背を向けながら、彼女は褒めるように己の顔を撫でる。自身の容姿と口、そして最悪で使い勝手が悪いと感じていた異能は、結果として最良の結末を連れてきた。
したくもない母子のままごとを続けた甲斐もあるというものだ、とマリエラは笑みを浮かべながら目の前の少女に手を伸ばす。そして、今までの苛立ちをぶつけるように思い切り頬を張った。
ピシャリ、と甲高い音が壁に反響して消えていく。
「マリエラ様、お言葉ですがうかつに近づいては」
「いいのよ。この子、本当にひとりみたいだもの」
そう言ってやれば護衛は従順に口を噤む。俯く女神の味方などいない。この少女は国の敵であり、マリエラは善を成すものだとこの場にいる全員が信じている。その行動を肯定する者こそいようと、異を唱える者は誰もいないだろう。
結局は、どう見えるかが全てなのだ。少なくとも、マリエラはそう信じている。現に、周囲は子供の変化に気づきもしなかった。人は見たいようにしか相手を見ず、それが好ましいと思う限り、疑うことすらしない。
それは異世界でも変わらず、護衛たちはマリエラを信じた。フレイラはあっさりと彼女を母と認めた。マリエラの異能はカゲロウのように強い疑いを持っていれば跳ね除けられる程度のものだと、与えた本人が一番わかっているだろうに、その選択を選びすらしなかった。
なんて簡単、なんて単純。
マリエラは高笑いをこらえるのに必死だった。何せ、あまりにも上手く事が運ぶのだ。
これからは転移者を好きにできるのだ。新しい転移者が来るたびに異能を使う苦労はなくなった。仕置きだと痛めつけることこそできれども、始末できないカゲロウに頭を悩ませることもこれでなくなる。何よりカゲロウがいなくなれば不安定になったフレイラはよりマリエラに従順になるだろう。彼女の地位はもはや盤石なものとなる。
ついに、ここまできた。ようやく、ここまで漕ぎつけた。
──これは、国の未来のためなんだぞ!
わざわざ依頼してまであの研究者を消した苦労も報われるというものだ、とマリエラは晴れやかな気持ちで耳の奥で蘇る過去の声に微笑みかける。
人類をさらに上のステージに上げるために完璧な人類を作るのだと、息巻いていた研究者たちを始末するのはマリエラにとって数少ない苦労して成し遂げたことのひとつだった。 何せ、マイクロチップのことがある。当時はチップのデータの転送先を掌握しきれておらず、故に本気で殺すことが幸福だと思えば消されてしまう。だから、あえて殺意も何も抱いていない第三者に唐突に犯行を起こさせる必要があった。それに何より、マリエラは自身の手を汚すことを嫌った。
事件はその後露呈してしまったが、幸福に盲目なフレイラは「殺すことも幸福であるならば許す」と発言し、目立ち始めていた国の不信派閥は矛先をフレイラへと向けた。女神に敵意を向けられた以上、夜光の白蛇が動かないわけもなく、マリエラが何もせずとも事件の真相は闇へと葬られた。
何もかも終わった後、生意気にも何かを嗅ぎつけたのだろうカゲロウに「罪悪感はないのか」と聞かれたことをマリエラは思い出す。その時は何と答えたのだったか。確か、必要のないものを抱けるわけがないと、そう告げた気がする。
何せ、馬鹿げた理想を掲げた時点で、研究者たちは消える運命だったのだ。何にも縋る必要のない、完璧な人類。そんなものが蔓延れば、信仰が薄れ、フレイラの力が弱まってしまう。その結果を目指せば不幸な事故が降りかかることぐらい、考えればわかっただろうに。
「哀れねえ。賢い判断ができないばかりに、最後はこんな結末なんて」
ようやく手に入るのだ。全てが、自分のための理想的な世界が。
満ち足りた気持ちでマリエラは目の前の女神に再び手を伸ばす。震えも、怯えも、今は彼女の加虐心を煽るただのスパイスでしかない。
もう一度、今度は反対の頬を張ったらどんな反応をするだろう、とマリエラは考える。衝撃と痛みに頬を抑え、頑なに伏せられた瞳の色を見せるくらいはしてくれるだろうか。
「さあ、さっさと立ちなさい。さもなきゃ、」
が、勢いよく振り下ろされたマリエラの手は少女の白い頬にぶつかることなく、空を撫でる。理由は明白だった。生意気にも少女は手が当たる寸前、仰け反ってそれを躱したのだ。その上、少女は泣き出すどころか縛られた状態で立ち上がり、そのまま背後の部屋へと逃走を図る。
追い詰めたと、好きにしていいはずの獲物に反抗された。その事実に、マリエラの脳に一気に血が上った。
「このっ……!」
護衛が止める声も聞かず、マリエラは部屋に飛び込んでいく小さな背中を追いかける。大人の脚と子供の脚では長さが違う。僅か数センチの差は彼女が走ればあっという間に縮まった。
室内にそれ以上の先はなく、僅かな逃走劇は幕を閉じる。この子供はもっとよく躾ける必要がありそうだと、そう考えながらマリエラは呼吸を荒げながら少女の腕に掴みかかった。
「ほら、逃げてみなさいよ! 逃げられないでしょ、ねえ! 弱いくせに、避けやがって、この」
「──子供への虐待。躾を称した暴力暴言、食事抜きは当たり前」
瞬間、ひゅっとマリエラの喉から音が鳴る。
「警察呼ばれたんだって? それに、こども会のママ友のあることないこと吹聴して孤立させて……。なんていうんだっけなあ、フレネミー、だっけ? そういうの。そんなことしてばっかだから、味方なんてだぁれもいない」
「な……んで……、それ」
「知ってるよ、全部。太田家摩李さん」
それはもういらないと、捨てたはずの名前。それをどうしてこの女神が知っているのか。
得体の知れない恐怖心に怖気立ち、距離を取ろうと手を離す。が、縛られていたはずの少女の手はがっちりとマリエラの手首を掴み、それを許さない。縄は、いつの間にか床に落ちていた。
「どうだ? いい餌だったろ。思わず追いかけずにはいられないくらいに」
「だっ……誰っ、誰かっ……! 助け──」
まさか、まさか、こいつは。捕まったフリをして、私を。
脳裏に水色髪の女神が持つ力が過り、それだけはさせてなるものかとマリエラは身を捩って背後の部屋にいるはずの護衛に助けを求める。しかし、そんな彼女の目の前で、部屋の扉は無情にも閉ざされた。
暗闇の中、自由に動ける女神とふたりきり。その状況に、マリエラの身体じゅうから嫌な汗が吹き出す。
「なんっ……なん、なんで! やだ! 開けて! 開けなさい!」
「開かないよ。お前の護衛も、俺の『知り合い』と仲良くしてる真っ最中だろうな」
「……っ!」
「思ってること、当ててやろうか」
腕を振る。が、女神の手は離れない。焦りと恐怖が呼吸を浅くしていく。
マリエラが優位だったはずの力関係は、たった数秒のうちに逆転していた。暗闇に輝く黄金の目が、マリエラを射抜き、その場に縫い留める。
「帰りたくない、だろ」
「ひっ……!」
「……虫が良すぎる話だと思わねえ? 自分は散々嫌がることしといて、自分がされるのは嫌ですってのはよ」
嫌だ。嫌だ、いやだ!
自分でも気が付かないうちに、マリエラの喉からは声にならない悲鳴が漏れ出ていた。あの地獄に戻るくらいなら、舌を嚙み切って死んでやろうとすら思っていたというのに、いざその時が来てしまえば身体は思うように動かず、マリエラは口元を歪めたまま、犬のように浅い呼吸を繰り返した。何か言い返さなければと思うのに、パニックになった脳内は簡単な罵倒すら考えられない。
突き刺さる視線の数を思い出す。侮蔑、怒り、哀れみ。マリエラの自尊心をめちゃくちゃに踏みつぶし、切り刻んだ言葉の数々。夫と義父母の凍り付くような眼差し。パトカーのサイレン。好奇の視線。
「ま、当然さっさと帰ってもらうとしてだ」
「や……ぃ、や……! や、いやぁっ! 放せっ……放せって言ってんのよ!? はなせ、放せぇぇぇぇぇぇぇっ!」
帰す。その言葉にマリエラは暴れた。半狂乱になりながら自由な腕を振りかぶり、ばしんと女神の頬を張る。爪を立て、その白い肌に傷をつける。噛みつき、足を蹴り飛ばす。が、どの痛みにも女神は動揺を見せることはなかった。ただ血を垂らし、「それで満足か」と言いたげな視線がマリエラを射すくめる。
逃がさないと、金の目が言っていた。
「いや……いやよ……ごめんなさい……、なんでも、なんでもします、なんでもしますから……」
「……それ以上は元の世界で言いやがれ」
あれだけ見ることを望んでいた目は最早、彼女にとって恐怖の象徴でしかなく、かき集めたマリエラの反抗心を折るには十分すぎる効果を持っていた。
ぼたぼたと流れ出す涙がマリエラの顔を、床を汚していく。
逃げたい。けれど、逃げられない。逃げることを考える、余裕すらない。現実味を帯びて迫ってくる恐怖は容易くまともな思考回路を奪い、力の抜けた腕は意味なく押し返すことを繰り返す。
「その前に、洗いざらい吐いてもらうぜ。お前が知ってること、全部な」
伸ばされた手を避けられるわけもなく、放たれる光でマリエラの思考が白く染まり、こみあがる多幸感に促されるまま、口が勝手に動き出す。そして思っていたことを全て話した後、彼女を待っていたのは女神から放たれる凍えるほど冷たい輝きと、世界から突き放されるように遠のいていく己の視界だった。
待っているのは怒りのぶつけ先、蔑みの対象。そのどちらも女神の母と呼ばれていたころからはもう遠く。
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