95. 記憶回廊④
食事を終えた俺は逃げるように風呂場に来た。
記憶とは言え、両親の前で泣くのは恥ずかしい。
シャワーを浴びて髪や体を洗ったあと、
「ふうぅぅ……」
ザブンッと浴槽に体を入れ、風呂に浸かる。
やっぱり風呂っていいよなー。
気持ちが落ち着く。
ぼぉーと天井のシミの数を数えながら、
「ここはどこなんだ?」
日本に戻ってきた……なんてことはない。
自分の両手をまじまじと見る。
本物の手……に見える。
ぺたぺたと顔を触るが、鼻も口も目もしっかりついている。
ここにいるんじゃないかって錯覚してしまう。
もうちょっとだけ、この幸せな空間にいたいと……そう思わされる。
「そんなのは……ダメだ」
向こうには、俺を待っている人がいる。
こんなところに留まっていてはダメなのはわかっている。
ただ……どうやったら戻れるのかがわからない。
いっそ死んでしまえばもとの世界に戻れるかも……。
自殺って言ったら、定番の首吊?
海に飛び降りるのもあるよな。
他人に迷惑をかける自殺方法だけど、駅からホームに身を投げるってのもよく聞く。
それともリストカット?
どれも嫌だな。
それに……たとえ、記憶であっても自分で自の命を断つのことは絶対にしたくない。
■ ■ ■
風呂から出ると、父さんがワインを飲んでいた。
「おっ……裕太。ちょうどいいところにいた。付き合ってくれ」
晩酌の誘いだ。
ワインはそこまで好きではないが、
「わかった……。ちょっとだけな」
俺は棚からワイングラスを取り、父さんの向かい側に座る。
すると、父さんがグラスにワインを注いでくれた。
「乾杯」
ワインを口の中に流し込む。
この渋い味があまり好きになれない。
ぶどうジュースの方が美味しいと思うのは……舌がおこちゃまだからだろう。
「父さんとは飲むのはいつぶりだっけ?」
「去年の正月ぶりじゃないか? お盆はお前、顔出さなかったからな」
「うん……そういえば、そうだったな」
お盆は、なんで帰らなかったんだっけ?
あ、そうだ……。
ヨーロッパ旅行に行ってたんだ。
最初で最後のヨーロッパ。
あのときは随分と遠いところに行った気になったが……今のほうが全然遠いところにいる。
だって、異世界にいるんだから。
「なあ、父さん。もしだよ……もし俺がどこか遠い地に行って、父さんや母さんと二度と会えないとしたら……どう思う?」
「今どきスマホがあるだろ。連絡ならいつでも……ってことではないようだな……」
父さんが顎に手をおいて、「うーんとだな」と考え始めた。
どちらかと言うと、俺は母さんよりも父さんに似ている。
将来、こんな顔になってたんだろうなって、思いながら父さんからの返答を待つ。
「そこに大切な人はいるのか?」
「大切な人?」
「昔から言ってるだろ。お前がどこにいようが、どんな学校に行ってどんな会社に勤めようが知ったことじゃないが……。そんなことよりも、大切な人を大切にする……その方がよっぽど大事だって」
そんなこと言われてたな。
父さんは受験で失敗したときも、就活の面接で落ちまくったときも、気にするなって笑ってくれた。
そんな学歴や会社名なんていう肩書よりも、人を思いやれる人間になれ、と。
「いる―――たくさんいる」
俺を慕ってくれている使用人たち。
学園で仲良くなった友達。
俺に道を指し示してくれる先生。
向こうで多くの人に出会った。
全員、俺の大切な人たち――――。
「それなら問題ない。どこに行こうがお前は俺の息子だ―――頑張ってこい」
「なんで父さんは……」
そんなに優しんだよ。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
俺は残っていたワインを飲み干すと、
「父さんもあんまり飲みすぎんなよ」
といって席を立った。




