82. 自由の羽根
「空、飛びたいの」
あのときみたいに。
ナタリーはそう呟いた。
「任せろ」
俺は頷くと、ナタリーに背中を向けて身をかがめる。
ナタリーは無言で俺の背中に乗った。
10歳のときと違って、ナタリーの体は女性らしくなっている。
それを肌で感じ取り、心臓がドクドクと騒がしく脈打つ。
彼女は俺の胸の前で腕をクロスさせる。
「しっかり、背中に乗ってろよ」
間違ってもナタリーを落下させないように彼女の足を両手で支えた。
―――引力解放
ゆっくりと地面から浮き上がる。
徐々に高度を上げていく。
王都一体が見渡せるところまで上がった。
「どうだ……? きれいだろ」
「ええ、綺麗だわ」
城壁の外に目を向けると、広大な森が見える。
そして、視点を180度変えると、どこまでも続くような地平線が広がっている。
「オーウェンは空を飛べていいわね。……私にはそんな羽根はないの」
「俺にも羽根なんてないぞ」
「そういう比喩よ……。ねえ、見て。人があんなにも小さく見える」
みろ! 人がゴミのようだ!
そういって高笑いするナタリー大佐。
ナタリーはそんなこと思わないだろうけど。
高いところから人を見下ろすと、どうしてもあの名言が頭に浮かんでくる。
「……ちっぽけよね」
「そりゃ、こんな高いところから見てるから、人も小さく見えるだろ」
「そうじゃないわ。私ってちっぽけだなって」
これは、ナタリーの背が小さいってことではないな。
さすがに、俺だってそれくらいわかる。
「明日のことか?」
「ええ。小さいことで悩んでいて、ほんと嫌になるわ。……私はお兄様の言う通り、弱い人間よ。弱くて臆病でちっぽけ」
「……そんなこと言うなよ」
俺は思わず語気を強めていった。
誰であろうとナタリーを馬鹿にするのは許さない。
それが、たとえナタリー本人であろうと、だ。
「ナタリーが自分を卑下するのなんて似合わない。強くて勇敢で優しい女の子だ」
「そんなことないわ」
「そんなことある。ナタリーがどれだけ自分を否定しても、俺はナタリーを肯定する」
「なんで、そこまで思えるの……? 私は―――」
ぎゅっと腕の力を強めるナタリー。
「大事だから。大切に思ってるから」
この世界に来てから初めて友人と呼べる存在。
「大事な友達が今にも泣きそうな顔してると、なんとかしてあげたくなる。大丈夫って、言ってあげたくなる。そんなの当然だろ。……なあ、ナタリー。空は気持ちいいか?」
「……気持ちいいわ」
「じゃあ、空、飛んでみたいか?」
「飛んでみたい」
「了解!」
そういって、俺は両手を離した。
「え……ちょっと……」
空中で突然、足が自由になったナタリーは腕の力を強くする。
「手、離していいよ」
「そんなこと……。だって落ちるじゃない!」
「大丈夫。―――俺を信じて」
ナタリーは恐る恐る手を離した。
すると―――
「浮いてる! ねえ、オーウェン! 私、浮いてるよ!」
俺は体を反転させ、空に浮かんだ状態でナタリーと向き合う。
ナタリーは満面の笑みではしゃいでいた。
昔、どっかのパーティー会場から飛び去ったときみたいに。
「空飛ぶって気持ちいいだろ」
「うん! とっても―――とっても気持ちいい!」
ナタリーは両手を広げて、風を感じているようだった。
「ナタリーには自由の羽根がある」
「自由の羽根……?」
「さっき上げた羽根があるだろ」
俺はナタリーの髪飾りをさす。
「それは、どこまでも飛んでいける羽根だ。この大空の下、ナタリーはどこにだって行ける」
「これが……自由の羽根」
ナタリーは自分の頭にある髪飾りを触る。
ゆっくりと形を確かめるように、ナタリーは髪飾りに触れていた。
そして、穏やかな蒼色を瞳で彼女は俺を見る。
彼女の表情に俺はドキッっとした。
「空、飛ばしてくれて……ありがとう」
ナタリーは言った。
晴天の空に天使が現れた。
そう思えるほど、ナタリーは綺麗な表情をしていた。




