七章 ワタリガラス 前編
一撃離脱。
一言で語れば戦闘機関に於ける戦いはこれが必勝法であった。
と言うもの大戦初期は確かにまだ、大地の侵食が低かった時期だとされている。世界中がそうであったというわけでない時代だからこそ、ジオドレは到達できたのではないかという説もある程度には、初期の開拓は比較的現実的な話であったという。
その段階でさえ成功者、いや現状の段階ではそれすら怪しいが、それでも数えるだけでは一人鹿存在しない状況で百年以上の時代が経っているのだ。
現在の世界は完全に真っ赤に染まった世界であり、万能結晶だけが消える事無く存在し続け、人類の生存範囲はクルワカミネ以外には、小さなバンド程度しか存在していないだろう。それ以外にも存在しているのかもしれないが、残念ながらクルワカミネはその事実を認識していない。
少なくとも要塞列車は、先の大戦で三機しか残らなかったのだ。
そのような事態に陥った第六次到達戦争の際には、一撃離脱という言葉は存在しなかった。あの世界ではもう、兵器の力は無駄になるのは常であり、赤い大地で戦闘を可能とするのは、もう戦闘機関以外に存在しなくなっていたのである。
万能結晶の所為でレーダーなどの機器はまず無駄、挙句に奇襲などをしようにもフィルターに覆われた要塞列車は内部からの破壊以外はかなり難しい代物だ。その為だが到達戦争では、それほど多くない進入経路を防ぎながらの攻城戦が定番となっている。
それを防ぐ為に、そして侵略する為に、その為に使用できる兵器は現状では戦闘機関しか存在しない。そしてそれを可能とする為に戦闘機関は戦うための性能を上げていき、踏破機関は戦闘機関へとは名前を変えた。
その上でだ。その時代の経過と、この赤い大地という状況によって、一撃離脱などというのは、どうあっても不可能という結果を導き出し、高機動路線展開戦と呼ばれる戦いが主流となった。だがこれには戦争と考えるだけであるなら不愉快な事実が付きまとう。
乗り手によって圧倒的な差が出てしまうのである。集団戦術などが完成される中で、そのすべてを台無しにする化け物たちが現れる。
撃墜対被撃墜比率10:0を超える乗り手たち、俗にエースと呼ばれるものたちだ。彼らは状況を打ち破り戦況を傾かせ続け、戦争時代は畏怖によって語られ続けた。そしてだが、そのエースたちを打ち破るために作り出されたのが、戦争の為の人を殺すための兵器である戦闘機関つまり軽機関である。
実際この機体が戦場を変えたのは間違いないが、それでも言おうエースは理不尽だった、と。
格闘能力を上げた結果の路線展開が不可能になった為か、路線を使い分けるエースたちのTCM(路線展開戦闘機動)が狂っていたのか、この高機動路線展開戦は結局戦争末期を経ても変わることはなかった。
戦場に多少の誤差が現れ始めたとしても、軽機関の完成は死者を増やす事にだけは最大級の貢献をしたのだ。
現在でもその前提が変わるわけもない。だが難しよりも易くによるのが、自然と言うもの原理だ。操作の難易度が高い重機関のエースは月日を重ねる度に消え、軽機関のエースが増え始めたことを除けば、前提条件は何も変わってはいないだろう。
だがこの日に限りその前提が覆される。ラディアンスは自分の格闘能力と言うより自分の戦闘機動における未熟さを理解しつくしているからこそ、通常の方法で勝ちを目指せるなんて考えていなかった。
何せ最低でも年間五百時間オーバーのベテランばかりが、彼女の壁として鎮座しているのである。
だからこそいまだ手足と同じように扱えない未熟を思考で塗り替える必要があった。幸いにして彼女の方眼鏡はここに着て役に立つのである。
どうしてもだがこの世界での戦闘行為と言うのは限定されてしまう。
その状況にあってレーダーなどと言うのは、物の役にも立たないのはもう説明する必要もないかもしれない。見ている暇があるなら感性に従って行動をしたほうがまだ役に立つと言う理論が立てられない場所での戦闘行為が常である。
それゆえに万能結晶をエースたちは限定的ではあるが無意識で戦闘機動として操り操作の常識を覆すのである。
だからこそ彼女には勝ちの芽がある。どのエースよりも彼女が上回る一点がするのだ。
それはあまりにもむちゃくちゃすぎる彼女の王道だが、気にするひつも何もかも存在しない場所にある。勝てないなら勝てる道理を作り上げると言う破天荒を貫くための意地の張り方。
動き出す世界を見ながら、自分が今から始める開拓行為に命を賭す覚悟は、骨にまで染み付いていることを確認する。
「私はこの夢に死ぬ覚悟はある。けれどそれじゃ足りないんだよね」
「知りませんが、夢とはえてしてそう言うものでしょう」
必死になって叶えようとしている人間であり、一度は打ち砕かれたポーオレは当然の事と冷めた感情を声に乗せる。
命を懸けるだけで足りるなら、世界は夢を叶えた人間ばかりで埋もれてしまう。
だからこそ命を懸けるだけでは足りない。まだ何かを吐き出して、その全てを出しつく舌先に可能性があるだけだ。
もっと足りない物を手に入れなくてはならない。貪欲じゃあ足りないのだ。
彼女が欲しいのはもっとも苛烈な方法である。略奪をしよう、自分の命で足りないのであれば、自分以外のそれも、他人の夢があるならそれも食い散らかそう。
だからこれから目に見える全ての物に宣戦布告の感情を突きつけてやろう。ただお前らは私の夢の為だけに残骸に成り果てろ、と。
足りない物を埋める、そうやって居るだけではもう足りない。
命を賭ける方法はいくつもある。だから命を代償にして、それ以上の何かを土俵にして、踏み越えるのだ。既存の全ての価値観は彼女に意味は無い。
古来よりの話だ。戦争で華々しい戦い方は一つだけだ。それを成し遂げられるのならば、誰よりも分かりやすく力を証明できる。
彼女がするのは、誰でも出来るような無茶苦茶で在り自殺だけ。だが特筆した部分が二つ存在する。
一つが万能結晶を操る事が出来る特殊性
だがこんなものは、コルグートクラスならともかく、彼女程度の結晶使いでは対策がある程度取れてしまう。そして何よりこと機動戦では、機体の動きによる結晶操作を行わなくてはならない。これはかなりの繊細な操作が必要であり、そこに機体操作を加えるのだから、並列作業で全てをこなすには彼女の熟練度は足りなさ過ぎる。
ただの手段以上の方法は、現状では不可能なのである。
だから必要となるのは残された二つ目にこそ彼女の精神性である。
彼女をたとえる時に、たいていの人間は正気じゃないとたとえるだろう。
だが逆なのだ。動物は夢を見ない、何かを望むのではなく継続を望むのである。だが人間は夢を見る。人は何かを願う。
それがきっと人と何かを区別できる場所なのだ。人は正気だから夢を見られるのである。
人が正気を貫き通すからこそ、その正気を他人が勝手に狂気とのたまうだけだ。
本能と理性の中立こそが人の本質だと言うのに、理性だけに偏ればその瞬間から人が人の扱いではなく、正気の化物と変貌する。
災害と誰もがたとえた言葉の本質はここだ。人は理性を貫くだけで災害になれる。
気持ちが悪いほどの人らしさこそが、彼女に残された最大の利点である。本能は死を怯えさせるが、そのつまりが彼女には存在しない。まるで頬を裂くようにして浮かび上がる昼の三日月は、彼女の感情を最大限に表した代物だ。
それは旧世代の戦場、御託なんて要らない最後の王道が唯一許された場所で、ただ一人の少女は剣を振りかざすのではなく、感情を振り回す。
雄叫びの代わりに、シュベーレの機動音が彼女の感情をつ吐き出させる。あとは唯一つの手段を持って、ありとあらゆる場所を混乱に陥れてやればいい。
本来シュベーレとはそう言う機体であったのだ。
クルワカミネの重機関決戦兵器であり、二機のみを作られ現在の安定の礎となる為に、一台は解体されたが、彼女の祖父の愛機として残ったシュベーレは、本来の用途とは別の方向となったが複々線による装甲強化を行われて彼女に手にある。
だがだ、本来シュベーレは決戦兵器であった。軽機関の台頭により戦場で活躍した事は無かったが、兵器として浮沈と称されるほどの鉄壁を誇ったのは事実だ。
そのシュベーレの本来の戦略目的はは、突破装甲とも言われるBT03の系列に用意される装備の最大強化であり。強化された装備、と言うよりも複々線による多重装甲展開が目的である。
鴉型(BT03)にはフィルターの中でも衝角反応とされる対フィルター専用のフィルターが装備されている。本来ならば戦場で堂々とフィルターを突き破り要塞列車の中枢を破壊する為に作られたのが、シュベーレという機体なのである。
実際に使用してみれば、フィルターを突き破る事は出来なかった欠陥機では在るが、こと今となって彼女には都合がいい機体でもあった。
なぜならば、難しい操作を必要としないということである。今はただの装甲強化として改造されているが、本来は攻勢防壁とも言うべき効果を備えているのが、彼女の機体の本来の生き方だ。
弄る必要も無く、ただそう動けばそうなるのが、この機体の存在理由だ。
守る為の機体じゃなく、ただ走り抜けるだけでいいのなら、これほどラディアンスの気性にあった機体も無いだろう。
そして彼女の精神性を発揮できるのであれば、ラディアンスはどこまでも名前の通りに輝いて見せるだろう。
その彼女にとって、何よりもそれが一番だった。自分はただ必死に走り抜けるだけ、それ以外の手段なんて、頭から最初から抜け落ちてるのだ。思慮が足りないと笑うものも多いだろうが、笑いたければ、笑えばいいのである。
ラディアンスはただ感情と行動で黙らせるだけだ。それが誰よりも分かりやすい証明法である。自分なら出来ると言うのならやって見せればいい。
出来ないと笑うのならば、出来るところを見せればどいつの口だろうと塞げる。
そうやって彼女は証明しなくてはいけない立場だ。
ポーオレに、ジェイルド、婦人もそうだろう。淑女だってそうだ。そしてこの世界で西を無駄と扱うもの達もその一つだろう。
自分の行動を無駄と笑う全ての存在を黙らせるには、辿り着いて証明してやればいい。
私は何も間違えていない、と。
彼女に衛星の様な視点は無い。ヒサシゲだけが持ちえる俯瞰視点などは、コルグートとも違う繊細な結晶操作を必要とする代物だ。あの視点こそだが、本来ならレーダー足りえるのだろうが、残念ながらラディアンスにそんなレベルの難易度を求めてはならない。
剣を振れるからと言って、英雄に誰しもがなれるわけではない。
だからそんな状況で英雄になるには、自分の手段を作り上げるしかない。だがそれは別に手段であって、選ばれし者が与えられる聖剣などではない。
選ばれる理由は無いのだ。彼女は自分で選び抜くためにここに立っているのに、他者や物にそれを依存してしまうような愚か者は、夢を語る土俵に立てはしないのである。
夢は騙る物でも、語る物でもなく、叶えようとする物でなくてはならないのだ。。
両足を地面につけて、見えもしない道を手探りで歩いていく。無いはずの道を作り上げ、それを踏破してこそ道は道になり、夢はそこで始めて現実に代わるだろう。
だからラディアンスは自分の道を手にしようとする。自分だけの道以外必要は無いのだ。
誰かの手段じゃない。自分だけの手段、自分だけの道、自分だけの意志、路線はまだ一線たりとも敷かれてはいないが、ただその道を目指そうとする意思だけで、何もかもを彼女は捻じ曲げて見せる。
元来災害はそんなものだ。人の予測を上回り、人の意思をねじ伏せて、ありとあらゆる台無しを巻き込んでぐちゃぐちゃにして終わり、ラディアンスはそんな存在だからこの場に居るのである。
そしてこの場で己を貫き通せるのである。
ポーオレはそんな彼女を見て悔しいとしか思わない。自分にはこれが足りないのだと自覚させられるから。そして自分がヒサシゲの隣に立つための心構えが足りない理由であるから。
自分羽織の中のお姫様が限界だ。自分のために野山を駆け出すお転婆にはなりえない。
空を飛ぶ鳥に憧れるだけ、お前は一体何をほざくと、ラディアンスやヒサシゲなら言うだろうが、彼女にとってはやはり自分の認識はその程度なのである。
彼女はクルワカミネから出ると言う発想の無かった人間だ。そして今も自分の足ではなく、他人の足のすがり付いて動いているだけ、彼女は自分が『ああ』は成れないと確信してしまった。その瞬間彼女は、その道を閉ざしてしまった。
彼女には道が見えない。ヒサシゲといたいという願望だけが浮かんでいるだけで、その中で一緒に死ぬと事に躊躇いは無いが、ただ死ぬ訳には行かないのだ。その考えが彼女に二の足を踏ませ、あの赤い大地に対して戦いを挑ませない。
分かってしまうのだ。ポーオレたちと違い自分は、きっと途中で心が折れる、と。
これが夢の独壇場と言ったが、ここが彼女とヒサシゲの夢の分岐点だ。人が望むものが違うのは当然の事で、人が抗う事柄が違うのも当然で、違うからこそ生き方に差があるだけだ。
彼女は死ねない。だからこんな物狂いの一人を使ってでも西に向かう。
彼女は死ねない。ここで命を使わなければ、生きる意味すらないから。
場所が違う立ち居地の人間だから、考え方も視点も違うのは当然だ。なぜかそんな二人が接点を持って、同じ場所を目指そうとしている事実が、人の成り立ちの中でも不思議な点。それを情と言うのか、別の言葉で表すのかは、自分以外の他人に任せればいい。
一緒に居て苦ではないのなら、一緒に居る意味があるのなら、結局どちらでも構わないのである。
他人はそれを妄想という名の価値観で予測するだろうが、断言してもいい人の感情を読み取った所で正解に行き着く事など絶対にない。
だがそれでも欲しいと思う気持ちが嘘で無いなら。足掻くしかないのだ。地を啜る覚悟も無く、何かを得るつもりなら、言ってやればいいのだ。甘えているだけの子供以下の存在であると、ただ口をあけて待つ雛鳥以下の価値しかない残骸だと。
与えられるのと、手にするのでは全てが違う。
そして与えられる事を当然の権利だと思うのなら、生きると言う意味を履き違えていると言ってもさして否定できるものではない。
生きる為に手を伸ばす行為。狩りなんて言うのかもしれない、他に別の呼び方もあるだろう。だがそうしなければ、生きていく意味なんて無いのだ。その一歩目に突っ掛かったポーオレは、それが出来る全ての人間に嫉妬するだろう。
自分には出来ない事である事実を突きつけられるから。
しかし彼女はそれを認めなければ踏み出す事は出来ない。だが彼女はもう踏み出しているのだ。別にラディアンスを馬にした行者と言うわけでもないが、動く事の意味を彼女は履き違えてなど居ない。
その上で、任せたのだ、自分の夢の為にラディアンスを利用するように、彼女は自分を利用させようとする。
独壇場だ。本当にこの場所は、この乗り物は、この世界は、夢の独壇場なのである。
自分を貫き通すには随分と分かりやすい世界に変わってしまった。夢を語るために、そして夢を手に入れる為に、人の全てを台無しにしてまで貫く何かを見つけた者達だけが、この世界で栄えるのだ。
まるで誰かがそんな世界を作ったような違和感すら感じさせるほど、世界は人を追い込み育てている。
だがこんな世界であっても、逃げるものは生まれ、その中でまた違う夢も芽生えてくる。それすらもきっとこの世界は容認するだろうが、この世界でたった二人だけはそれを認めない。
彼らは育てられるのじゃなく。自分で決めて動いているだけだ。そこにいくつかの要因があったにせよ、決めて動き出した者達が育てられたわけが無い。そう言う存在は、ただ当たり前の事を当たり前にこなすように、苦行の様な道へひた走る。
はたから見れば自殺としか見えない暴挙ではあるが、彼らにとっては当たり前でしかない。
しがらみ何て言う鎖に雁字搦めにされていた感情の塊は、悲鳴を上げる鎖を物ともせずに動き始める。
BT-EDGE03C-QTC、対要塞戦用に作られたとは思えないほど静かな駆動音を響かせながら、世界最大級の重機関はゆっくりと車輪を回す。まるで氷の上を滑る様に、期待はその思い体を動かす。
世界が軋みをあげる様に、三十メートルと言う機体が、今までのさびを落とすように、世界を引っかいた。まるでそれは細い縦穴から這いずり出ようとするような威圧を持って、誰も見ていないはずの世界につめを立てながら確実に上りだしていた。
これが本当の力だ。これがシュベーレの名を与えられた世界を貫く為の機体だったのだ。
それを誇示するかのような様相とは、自分のさびを落とし本来役割を思い出させる為の機体の興奮にも似た熱量を表していた。
今まで行わなかった複々線の膨大な処理を行う結果、陽炎にも似た揺らぎが浮かび、現実感を失わせる。
整備はされていた様だが、ラディアンスは一抹の不安を抱えている。
高速機動を始めてしまえば、その機体の重さに乗りは手が振り回されるのは確定している。何よりこれからの動きはそれ以上に、音速域での戦いとなるのは確実だ。
その戦いではきっとラディアンスの実力では、機体を完全に掌握する事は出来ない。そうであるなら、莫大な重量を誇るシュベーレには多大な負担がかかるだろう。結晶を操ればどうにかならない事も無いが、彼女の技量はそちらも劣っているのだ。
「けど、始めちゃった以上はもう何も代わらないか」
悩んでももう遅い。自分が辿り着く場所が決まって動き出したのだ。
もうそう言うことも意味が無いのだろう。命をかけると決めたラディアンスは、自分の弱さを代わらないと言って切り捨てた。
久しぶりの音速域の戦いを始めるシュベーレに、頑張りなさいと声をかける。
「列車酔いはどうやら問題なさそうですね。精神的な物だったようで幸いですが、これからかなり絶望的な戦いをする上での作戦は」
「一つしかないでしょう。衝角戦闘を主体とした一撃離脱が私はやりやすい」
「衝角戦闘とは、随分といえ、この機体であるならそれが一番効率的かもしれませんね」
衝角戦闘というのは、言うよりも彼女の行動で説明したほうが早いぐらいに簡単な方法だ。
フィルターの発生がもっとも弱い部分に、もっとも強い部分を当てて相手の機体を、轢殺するのがこの世界での戦闘機動の中でもっとも確実な方法だ。
衝角戦闘とは比較的ではあるが薄い部分の一つである側面にフィルターをぶつけて、無理矢理に相手を轢き殺す方法だ。リスクは高いがこれが一番列車を撃墜してきた方法でもある為、教本にも書かれるほど一番知られた戦術である。
だがシュベーレに関しては話が別だ。このBT03型は本来これを特化させる為の機体である。
その強大な図体は伊達で用意されたものではない。多段衝角反応によって、フィルターを無理矢理にこじ開ける為の代物だ。
そして不可能ではあったが、要塞列車のような機体のフィルターを貫く為に用意されたものである。そんな機体が、ひとたび最高速度で動き出せばどうなるかなんて考えるまでも無く分かるだろう。大なり小なり、世代が新しい機体は衝角戦闘をメインに据える物が多いが、正面同士のぶつかり合いですら蹂躙してしまうこの機体は、乗り手しだいでは確実に最強の名を得る事が出来る代物である。
使いこなせればの話になるのは、これが重機関である事と、その中でも随一と言っていいほど乗り手を選ぶ性質があるからだろうが、この機体に関して言うのなら、むしろ誰よりも彼女は乗り手として適正があるというしかないだろう。
ヒサシゲの機動がペナダレンの為にあるのなら、彼女の思考はまるでシュベーレの為に存在するといってもいい。それほどに彼女とこの機体の相性はいいのである。
まるで誰かがそう手を加えたと思えるほどに、彼女の思考回路の全てが、シュベーレに対する適正を完全に備えていると言ってもいい。
ラディアンスが戦闘機動に移る一歩手前の彼女を、ポーオレはまるで獣の様だと思った。
彼女の機動は優美でもなければ、繊細と言うわけでもない。当然であるがラディアンスは技術に関して語られる領域には、いまだ到る事の無い未熟者だ。だが虎に翼をつければ、それだけで力は上がる。
彼女の思うラディアンスとは、そう言う存在であり続けるのかもしれない。覚悟が決まり、この場に至って彼女の存在感は鮮烈だった。
いまだ緩やかな加速を見せる機体であるが、狭い空間を移動するのは本来相当骨が折れる作業である。
急な加速をするのは、目的地の駅を通り過ぎる瞬間だ。
そこまではゆったりとした移動が続くだろう。緊張の為か若干であるがラディアンスの体は強張っているが、動き出す機体に対して自分の始まりに対して無用に力が入っているだけであろう。
だがそれを見るポーオレは、別の考えであった。
あれは違うと、ラディアンスのそれは自分の感情が先に出すぎて、自分自身をひっしんひおしとどめているだけだ。早く駆け出したいと言う感情を、己の未熟と言う弱さで必死に押しとどめている。
抑えたいと言う理由も無いのに、彼女は前に進む為に、必死になって世界を見通し続ける。
彼女の視線は、真っ直ぐに西に向き続けているのに、足りたいと言うよう体を乗り出そうとしていた。
「行政区三番駅、路線変更はしているので、あなたのタイミングで飛び出してください。そしてこれから先が本番ですよ」
「分かってる。分からない訳が無いじゃない。もう全部見えてるから、タイミングもいらないから飛び出すよ」
それは当然かとポーオレは自嘲する。
一秒でも早く感情を吐き出したい彼女に、待ってと言って待ってくれる筈も無い。彼女に出来るのは、ただ感情のままに暴れようとする人と言う名の暴威に方向性を与える事だけだ。
さてラディアンスがそうなる数秒前だが、彼女がなぜシュベーレと相性がいいかの説明に戻る。
単純な話だが、それは彼女の視点にも繋がる。目的を見据えたならもう止まらない、全てを蹂躙しながら最短距離を駆け抜けようとする。
そこに自分の命の算段を入れない事も追加してもいいかもしれない。体は自分の感情の入れ物、それ以上の価値観を彼女は必要としていない。だからここまでたやすく命を投げ出せる。
夢の入れ物と言う価値観、感情の受け皿、実際のその程度の価値観しか彼女は無いから、意やその程度の価値観に代わってしまったから、シュベーレという機体と絶望的なまでに相性があってしまう。
ラディアンスの目は見据える。見渡すでもなく唯見据える瞳だ。
目の前の一つの事柄の為だけに貫く姿勢こそが、シュベーレという機体を十全に操る方法である。先ほども言ったが、シュベーレは正面きってのぶつかり合いにすら勝利できるほど、絶大な衝角を備えているのである。
なら単純に最大速度で相手を捕らえさえすれば負ける理由が消える。
途中でへたれてスピードを緩めるような、彼女の祖父のよう真似をしなければ、本来であるなら要塞列車すらも貫く力を備えている。
シュベーレは欠陥品ではなく、乗り手が欠陥品だっただけだ。だから命を惜しまずただ自分を貫ける大馬鹿者こそが、この機体には相応しい存在である。馬鹿であればあるほどそれは好ましく、自分よりも夢のほうが大切な存在であるなら、もう躊躇いなんて存在しないだろう。
路線変更を行い、秘匿路線から通常路線への変更を行っただけだが、これが開戦の狼煙だ。
外へ続く一直線の道は、まるでそこだけを光で切り取ったようなましろの色に染まった扉が見える。だがラディアンスの目は赤く染まるように、西だけを凝視している。
ひどく間抜けにぱきんと何かが割れた音が響く。それが何かを問ういとまも無く、世界に駆け出す彼女の雄叫びのような加速がましろの扉を貫いた。
多少の圧迫感はあれど、体に被害を与えるわけではないが、一瞬にして音域速度二段階まで駆け上がったその移動は、通常の人間が操作できる余裕を軽がる超越している。普通の操作域が第一段階であるのに、それを容赦なく突き抜ける速度を見せたラディアンスは、更にもう一段階速度を上げた。
さてだ一撃離脱がかつての戦術の必勝法であったのは間違いない。
意識外からいきなり攻撃されて、感知される前に逃げてしまえばそれは確かに効果的だろう。だからこれもある意味ではそれに繋がる。
だがラディアンスの場合は別の名前で呼ばれるだろう。
中央突破
古典の戦場でも御伽噺として語られるほどの英雄的行為ではあるが、彼女はまさにそれを再現してたといってもいい。
しかしされる方はたまった物ではない。何せいきなり列車が轢かれると言う通常では、まず有り得ない光景を眼前に見せ付けられ命を文字通り吹き飛ばされるのだ。
だがこれがラディアンスが外に飛び出して十秒以内に起きた現実である。
衝角戦闘。TCMの中でも、定石と言われるものの一つ。
本来は側面からの突撃と言うのが基本であるが、フィルターの発生の弱いところを突くと言うのが基本思考であり、軽機関の集団戦術の一つ鳥窮則啄戦術に発展するが、基本スタンスは変わらない。
後ろの取り合いよりも、機体の損傷の確率が高く、シュベーレ以外では、あんな無茶苦茶は当然出来ない。




