三章 理不尽劇場
婦人は自分の住処に放たれた砲撃に、逆に思考が冷静になるのを感じた。
昔はこんな鉄火場にいたはずの自分を思い出したのかもしれない。同時に自分の心を追った男の存在を思い出した。
ただ邪魔だからと言う理由だけで、三巨頭全てを蹂躙し尽くした化け物だ。全てが絶世期であった女は、その男によって全てを台無しに一度されたのである。それから虎視眈々とコルグートの命を刈り取ってやろうと、ありとあらゆる手段を持って情報を集めだしたのが、今の彼女の骨となった部分である。
本来は首領と並ぶ武闘派であった旧陸戦部隊の女傑は、その情報の力を持ってのし上がってきた。
だが彼女はコルグートに一度心を折られ、自分の信念を覆した女である。本来ならば、壁外の暴力装置の一つとして名をはせる筈だった女は、情報と言うコルグートに勝る力を得て、彼の恐怖から逃げたのだ。
だが彼女はそれを忘れる。コルグートの身内と言う欠点を拾い上げて、列車王を使ってヒサシゲという男を表舞台に引っ張り出してしまった。
それが彼女にとって二度目の後悔だろう。
ヒサシゲは彼女を台無しにし尽くした。自分の孫と言っても良いほど歳の離れた男に、彼女は顔を焼き尽くされて恐怖だけを体に刻まれた。
第四派閥ともいえるコルグート一派によって、婦人の派閥は被害を受け続けた。だが彼女側が先に手を出してきた結果に過ぎない。係わり合いにならなければ良かったが、それでも自己顕示欲の高い彼女にとって、己の敗北が許されるわけも無かった。
だからこれは訪れるべき結末だ。
今になって己を冷静に省みた結果は、自分の無様が極まったというだけの事でしかなかった。それを自覚しても、彼女は自分に曲げられない道理を持っているだけの事。
無様を無様のままにしていられない。どれほど理不尽が相手でも、負けたなんて口にする事が出来ないほど、彼女のプライドは高かった。それに良し悪しを付けるなら、後者であるのは間違いないが、愚直にそれを貫けるのなら、それはそれで人の形だ。
殺されたって曲げられない物はある。それをゆがめる痛みも、それを乗り越える意思も、語るだけ語ってしまえば、自分にとって都合のいい物か悪い物の差でしかない。
だったら彼女はそれを貫くだけの無様がある。今から押し寄せる理不尽に対して、婦人はきっと流されるだけの小さな存在だ。きっと虫の一分にすら劣るような、苔にも満たないような一念だが、おびえ切った最後には、怪獣が襲い掛かる今際の際で、そのすえた己の空気を思い出した。
「小娘なんざに、逃げるってのも外聞が悪いもんだしねぇ」
無様の極みに立った女は、全盛期の凄味をここで無駄に取り戻す。
だが彼女の決意など、無駄と言うしか無い代物でもある。既にラディアンスは嵐となった。
今それを人は厄災といい、災害と言う。もはやただの理不尽でしかない暴威は、ただ存在するだけで人の意思など飲み干してしまうだろう。
何より免罪符を持つ人間は、自分がどれほど悪くとも、相手が悪いと言って人を吊るす事等容易い。さらに廃止を投げて全裸に向いて笑ってやれるだろう。こいつはこれだけやったんだから、これだけされるのは仕方ないと言った具合に。
同じ穴の狢が満面の笑みで大義名分を振りかざす言い訳を、人の意思を持つ災害は暴れ狂う。
吐き気のするような蹂躙に婦人はただ流されつくすだろう。
本当に、本当に、なんて都合のいい言葉だろうか、大義名分なんてのは、自分は悪く無いから人を嬲り者にしますという言う人間にとって都合の良すぎる代物だ。
正論と同じだ。ただその言葉を使えば、逃げ道を塞いで追い詰めるだけの暴力に変わる。
しかしだ、手負いの獣を甘く見てはいけない。道理だろうが、条理だろうが、そんな物を無に帰す言葉がある。
土壇場に追い詰められれば、人の本性が見える。絶望に呻く悲鳴か、それとも希望を見出す絶叫か、どちらにせよ人の本質はそこで引きずり出される。際の際に立って、その言葉が何より重要になるのだ。それは言葉を変え、形を変え、挙句に品を変えるような代物だが、最後の最後に残る代物を引き摺りだすのはその言葉だけだ。
感情、本当に最後の一線はそれで決まる。それは白鯨の物語だ、モービーディックに挑むエイハブ船長の狂気に似た代物。絶望の真向かいに立って人が見るのは、災害に挑む狂気のような執着だ。境界線の先にあるのは、所詮絶望、所詮は無謀、全滅の憂いを見るだけのピークォド号の船員でしかない。
婦人も結局はその顛末を辿るだけだ。イシュメルのように稀に救われたとしても結局は変わらない。顛末は敗北だけである。
「女衒の聞き耳屋にまで落ちぶれてるんだ。今になって正気を取り戻したところで価値は無いって言うのは分ってるんだがね。火傷顔になって随分と私も落ちぶれたもんだよ」
「いえいえ、落ちぶれたのは最初からでしょう。ずっと言ってきたと思いますがおば様」
「淑女の言葉は女衒には耳が痛いもんさ。生き方から違う忘八者が、高貴な御方の声なんだ聞き届けるわけが無いだろう」
生き方が違うのさと、自分の後継者として育ててきた娘に笑う。
地べたを這いずった女は、己の身分ではなく性分を思い出した。自分は血吸い鬼であり、死体食みであると、最後に死者の断末魔が聞ければそれが生きる意味になる。
随分と野蛮な物言いに、淑女と呼ばれた女は、驚いたような声を上げた。
「おば様、それもっと前に見せてくださいよ。そうすればあの東の風に焦がされずに済んだんです。
それとですが、ここに来て首領が牙を見せましたよ。あの雌牛の突破力は、戦争世代の中でも群を抜いていたと聞きましたから、今更どうにもならないと思われますが」
「そりゃそうだね。敵側だった私が言うの物なんだが、レッドブルのエースは敵側には恐怖でしかなかったからね。この敗北確定の戦いの前に、私が戦争時代のことで教えてやれるのは、負けなきゃいつか食いつく喉下が見えるって事かね」
「分りづらいです。私はシンプルな物が好きですから、そうですねこういうときはこういうのが正しいじゃないでしょうか、取り合えず耐えとけチャンスってのは必ず作り出せるって」
シンプルに言わなくてもあんたなら分るだろうと、婦人は包帯で覆った顔の頬を、歪にゆっくりと緩ませた。
まどろっこしいのは、性分であり、劇場型の犯罪者の素質しかないのだから、許してもらわなければ困りに困る。自己顕示欲をどこまでも消せない己の無様さは、ただ晴れやかに花道を飾る物語の様でもあったが、地を這いずる女は奇形の感情を隠さない。
それは汚物の怨念、人の心の一つの決着だ。
「さてねだがお天道様は民百姓の気持ちなんざ知る必要はないのさ、なにせあいつらも自分の気持ちしか言いやしない、自分に都合の悪い事はお天道様の所為にするもんだよ。そしてその声は無駄に残る、なぜなら分母が無駄に多いからね」
「つまりは、あなたの言葉ものその程度と」
「むしろその程度じゃないことの方が珍しい。民なんてのは、煩わし飛び回る蝿と変わりはしない。だからぷちんと潰してやるのが人様の役目さ、そして私の役割はどうにもその蝿の様でね」
嵐はそんな蝿の価値を認めない。そもそも存在を認識しないだろう。
その災害はただ振りまくだけの破壊以上の結末を用意しない筈なのだ。淑女はそうなるだけであろう目の前の老婆の態度が随分と図太い物になっていくのに驚いている。
ここ数年以上小さく惨めであった存在が、ここにきて彼女が生れる前に一つの組織を作り上げた全盛期の力を見せつけ始めているのだ。
野獣染みた気性に、死を間際にした人の輝きを刻みつける様であった。
こんな苛烈な人間だったのかと、今までの自分の見た存在がなんだったのかと疑問を抱く。そりゃそうである、かつての彼女は化け物の一人だ。混沌期である三連結の時期に、壁外と言う立地を使い一つの勢力を壁内に認めさせた人物の一人である。
裏と言う点の影響力なら、その長大な情報力から壁内の企業派閥すらも絡め取る力を持つ。そんな組織を一から作り上げた女が、まともであると考えれる方が不思議なのだ。
「牙をもち付ける理由を失えば、どれほど優れた獣も狩られる側ですか。あなたはそれを象徴しすぎでしょう」
「で、そろそろ逃げないと、私達のような蝿もどきは、磨り潰されてしまうだろうけど」
「それは、それは、なんて恐ろしい事でしょうか。けれど、同時に今この場にとどまれば、人間の災害を拝見できるのでしょう。この世界最新の理不尽と言う最高の情報が手に入れられる、逃げるよりもリターンが多いのです」
でしょうと彼女は言う。
確かに命の危険があってもそれに足るリターンだ。触れてはいけない物を目にする機会、それを逃すのは聞き耳屋にとっては無理な話である。
淑女とは婦人が心血を注いで作り上げた二代目である。その彼女は情報を食らう猛獣として鍛え上げられた。情報こそが食料であり生き甲斐、それを収集する事にこそ価値を求める存在として、自分を超えさせる為に用意した後継者だ。
その彼女にとって、コルグート、ヒサシゲに続く、最新の理不尽の存在を見逃すわけには行かない。その危険性、その思考、思想に仲間、手に入れられる情報は全て手に入れようとする。それが彼女にとっての生きる形である。
知る事を止められない機関として成長しつつある二代目は、これから手に入るであろう情報に喜悦の感情を刻み込む。これを知らないなんて、彼女が認められるわけが無いのである。
教育を失敗した婦人が判断するほど、彼女は好奇心を鍛え上げられてしまった。だらしなく緩んだ頬は、道を手に入れるための代償が命であっても気にしない気質でしかない。
その気質の結末に訪れるのは破綻である。それは間違いないが、同時に災害への足掛かりでもあった。
婦人が望んだのは災害への道、だが淑女がそれになるのかは分らない。それでも彼女の望む方向性はそちら以外に存在しない。
彼女はコルグートに怯え、ヒサシゲに怯えた、それに足掻こうとした結果であろう後継者は、自分の望む物なのかどうなのかの解だけはこの場で出るだろう。人の身で災害と語られる対面は、そう遅い物ではないのだから。
そしてその間に振り返る過去の走馬灯、苛烈な人生だったその過去を日にくべる様に一瞬で燃え尽きる時間の中で、全てを台無しにする理不尽を思い起こして、そんなもんだったと自分の人生を振り返る。
闘いから取り残された戦争の残滓である彼女は、きっと戦いが恋しかったのだ。その戦いを続ける為に命を賭けつくしてみれば、泥濘のような平穏が彼女の全てを奪った。
それでも必死に戦いの場を作っても物足りない。だから騒乱の溜まり場に手を出してしまった。
戦いが続けばよかった。人はどうせ戦いから逃げられないのだから、必死になって戦いたかった。今考えてみれば、今までの自爆もきっとそれを求めていた。
「しかし、あのタナカにあのお嬢様が、ここまで早く汚染されるとは思いませんでした」
その結末はこの炸裂音と共に現れる新たな理不尽、最新にして最悪とも言える災害。
姿を見ても理解できない理不尽は、この世界の太陽の候補である筈だった。だが太陽は存在そのものが災害だ。ただその日差しが全てを焼き尽くし、その存在だけで全てを丸呑みにしつくす。
だがらその姿は当たり前であり、何より納得をもって語られるべき存在でもあった。
「たしかに存外野蛮になったものだよ。随分と悪い男に捕まったようだしね」
「悪いだけじゃないでしょう。もしかすると今となっては、よくもった言ってあげるべきかもしれません」
ラディアンスは元からして開拓気質である事は結構有名である。
開拓事業の閉鎖が決定しただけで、父親にかなりの暴言を吐いたという話在るぐらいであり、それが事実である以上、この二人が知らないはずも無い。
「そうかもね。あの子はきっと、馬鹿な男集と違って分りやすく火の様な子なのだろうね」
「邪魔なら潰す。自分の結果しかもとめない、狭窄と言ってあげるべきか、若いといってあげるべきか」
「けれど見ておくべきはその子だよ。お前の大好きな鉄血じゃない、災害に目をやり続けな」
「分かっていますよ。だって私だってなるべき物の方向性ぐらい。そして私があの人に近づく方法がそれしかないのも」
鉄血なんて物騒な言葉で呼ばれる人物はポーオレであるが、彼女も才女として有名であるが、それ以上にコルグートの派閥の一員として知られ、その一派の中でも最も敵に対して容赦のなかったのが彼女である。
ヒサシゲは殺人に価値があるとは思わない人物だが、ポーオレはただ敵を潰す。それこそ根を絶つ勢いで、禍根になる敵すべてを消し去ろうとする。その苛烈さに触れて、この女に血が通ってるなどと誰が思うだろうか。
敵対して厄介なのはヒサシゲだろう、敵にしてはいけないのはラディアンスだ。だが敵にならなくても容赦がないのがポーオレである。
無意味であっても邪魔だからという理由が成立するポーオレは、それにさらされた人間に恐怖とともに絶望を刻む。淑女はそれにさらされた人物の一人だ。
その理不尽な理屈に彼女は魅せられている。災害になるべく存在する筈だが、それでも人に憧れたい以上、その道はすでに閉ざされている。だが幾千幾万もの死体を作り上げただろう当たり前の存在と同じ場所に、ポーオレという存在は己を刻み付けている。
災害の敵になっているのだ。彼女がそうならない訳はない。火山の噴火中に、気温が二度三度下がったところで誰も気にしないだろう。だがそれとて真綿で首を絞めるような災害だ。
だが見えないというのはそれだけ対応が遅れる。
事実を知らない以上、二つの災害がまとめて襲い掛かってくるなどと、彼女たちは知るはずもない。だからラディアンスという目立ちに目立った災害に目を凝らした。
誘導されるように一つの事にしか目を向けなかった彼女たちの考えは、ある意味では間違ってはいない。警戒を集中させなくては、これから先の展開において失策ともいえる結果を及ぼしただろう。
「しかしまだ、あれには及ばないよ。まだ私に付け入る隙があるんだろうね」
「と言うと、勝ち目があると」
「現状ではゼロだったけれど、今になって一つ浮かんだよ。災害といっても所詮人間だからね。心一体の全てが理不尽に変わったわけではないだろう」
人が災害に挑む時、対処療法では無駄だ。事前の計画に沿って災害という膨大なエネルギーをそらす方向を作り上げる。しかしこの災害は明確な弱点を持つ代物であった。
それはまだ未熟であり、脇が甘く、終端だけを述べるのなら人間という欠点が存在する。
婦人はその欠点であり利点を見て、一握の勝機を手にするという。
「こっちの本職は情報じゃなくて、戦闘職なもんでね。どうにかする方法はいくらでも浮かぶのさ」
「災害をしとめると、なかなか狂った事を仰る」
「そうすればどうにかなる。いえ、お前がどうにかするんだよ」
災害の膨大なエネルギーに思考を与えた結果、無駄な指向性がついてしまったのだ。その結果として、明確とも言えるほどの弱点をあらわにする事になる。人間である以上、意識を立てばその災害は終了する。
「無理ですよ」淑女は自嘲する様に言う。彼女にとって災害とは、赤い大地ではなく人間である。この世界を作り出したのは誰だったか、そしてこの世界の中ただ理不尽を突き通したの誰だったか。
だから彼女は声に恐怖を募らせる。
「なに、あれはあの糞餓鬼じゃない。いつか鳳凰に成るかもしれないだけのヒヨコだよ」
確かにこれがヒサシゲやコルグートであるのなら、ありとあらゆる方向から逃げ道を塞ぎ、ただ刈り取られる状況を作り上げるだろう。だが未熟であった災害は、その膨大なエネルギー自体を制御できていない。
「だからちょっと見てな」と、婦人は言って静かに呼吸を整えた。
ラディアンスの未熟は、婦人にとって付け入る隙へと変わる。勝負は刹那よりも短いだろう空白を占領する事。それさえ出来るのなら、ここに一つの勝ち目が浮かぶだろう。
陸戦の女王蜂は、その針を間隙に捻じ込む為に、数秒呼吸を忘れた。
本来だが、彼女は三巨頭の中でも一番の年長者である。現在の年齢は九十五歳、本来ここでこれほどの精神力を引き出したところで、動けるかと言う疑問が沸く年齢だ。
だが動ける。思い出してもらいたいのは、壁外の住人は多かれ少なかれ、結晶操作を可能とする人種ばかりである事。無意識ですらある程度の干渉を行い、結晶を操って生活をしている。そして婦人は、ある程度でしかないが、その結晶を意識的に操る事が出来る。
コルグートやヒサシゲが使うような存在からして非常識なものではない。老体に油を差して一時的にだが全盛期の力を取り戻す程度だ。かつてを取り戻そうとし続けた婦人にとっては、お似合いの力だがかつての美貌と力をてにしようと望んだ結末に過ぎない。
それが成功したかなど、いまさら言う必要もないだろう。あらゆる行動の結末がこれなのだから、言うだけ無駄だ。
ただ干渉とともに現れる暴威が、壁ごと破壊しながら彼女たちのいる場所を蹂躙する。
響き渡る破壊の干渉と、破裂するような地鳴り、その結果の土埃が全ての視界を阻む。そしてその次の干渉が始まる一瞬、音すら立てず老婆の腕が振るわれる。
だがそれでも彼女は遅い、干渉は一瞬であり、結果も一瞬、だからこのままではただ婦人は吹き飛ばされて終わりだろう。
そこに淑女が波紋を作る。付け入る隙作り上げる。
覚えておくといいと、敵を見据えないものが、敵に対して何か出来るなんて事は奇跡だ。それはヒサシゲがポーオレに負けた敗因でもある。だから顛末としてはよくある事、だがそれは痛みと心を引きさく感情によって成立する。
三歩一寸、それが淑女が作った波紋の結果。とは言え、ただ石を投げだけの結末だが、それだけで十二分であった。その距離を婦人はほしがったのだ。
まるでパニックホラーの様な光景、ミイラが人に襲い掛かるそれだけの映像。それ以上の価値はなく、日と話すすべなく蹂躙されるだけだ。
ただ振るわれた拳は、一瞬でラディアンスの意識を断つ。だがそこが限界でもあった。
彼女たちは災害に気づけない。まだ未熟はそれとは違う、本当の意味で厄介な存在であるポーオレという形を、まだ見逃している。
災害だと思っていたラディアンスを潰した一瞬で状況はさらに反転する。
「駄目ですねディン、また差が開いた。まだ足りない、このままだったら追いつきませんよ」
何かを潰すような音が響く。ただ婦人を地面にたたきつけるだけのポーオレの暴力が振るわれる。所詮は九十を超える老婆の体、その一撃だけでいくつかの骨は折れて意識を消される。
浮かれた一瞬で状況は変えられた。
「しかし三巨頭の一角、まさかディンを仕留めますか。死んではいないですが、見事なんでしょうね。それともやっぱりあなたがまだ未熟なのかもしれませんよディン、あなたは西に行く前にまた負けたんですから」
「ポーオレ様を忘れていましたか。二人いるという情報をもらっても、どうにも私たちは扱い方が悪いようで」
「淑女ですか、これは私たちの負けですよ。もっと言うのならディンの負け、好き放題すると決めて、遊びになるのは当然、だがそれじゃあ足りない。どうにも成長が劣るようで、追い込みをかけるには丁度よさそうなのでいいですけど」
ポーオレはどこか嬉しそうだった。
地面に付したラディアンスを見ながら、それが当然の事である様に納得して頷いた。
「まだ足りないですか。当然といえば当然ですか、少し前までただの小娘。力を持ったと所で本質は変わらない、自由に振舞ってもただ花火を撒き散らすだけ、最短の意味も分かっていない。ここまで理解できれば十分でしょう」
「どういう事ですか、先ほどからずっとまるで諭すように」
「いえ、あえて負ける状況を作って、理解させようかと思いまして。それが本当の意味での距離だって事を、いい教材でしたが、こんな物でしょう。破壊を振りまくだけの無価値を知れば、少しは考えが身につくでしょう」
負けを作るとはどういうことだと、疑問を作ってもポーオレは適当な事しか返さない。
だが興が乗ったのか、それとも別の理由か、だが彼女はその全ての理由を語っているだけに過ぎない。自分はヒサシゲじゃないから、何をやっても許される。
だがそれは、別にラディアンスだけに成立する論理ではない。ポーオレにだって成立させられる論理である。
あえて状況を不利にして、未熟極まりない彼女を成長させるために手段を選ぶつもりもない。
「まだあれは飛べない以上、飛べるように手伝ってあげるのが、私の役割でなんでしょう。一度絶望を知らせておかないと、目的も見えないまま潰されるという事実得なければ、人は成長なんて出来ない。
ヒサシゲのような人間に必要なのは、心をへし折る挫折と、それから立ち上がる為の力だけ。他人が与えられるのはそこまでです」
だからとポーオレは洩らす。
そして淑女と婦人に向かって頭を下げた。人の一分の強さを見せ付けてくれ、それが彼女にとって何よりも強さになるから。乗車券が乗車券の役割を果たすために、何より必要な経験なのだ。
だから、だからどうなのだと、淑女は思うだろう。
「ありがとう。あなたたちは最高の教材です」
そしてその結論がこれだったのだ。呼吸をする事が出来ず、ポーオレの言動に淑女は自分を回す歯車が軋んだ事を理解した。
その結論も、理由も、その何もかもが自分が見るものを間違えた事を理解させられたのだ。
災害はこちらだった。災害になってしまったのはこっちなのだ。
人の感情も決意も自分にとっては道具。その道具を最大限扱うために、彼女は人の力を利用した。少し前だがラディアンスは、ヒサシゲは人の決意や意思を道具として扱いながら、そう人に思わせない最悪な存在だといった。
だがそれが一人である理由はない。
ポーオレもそれと同じ存在だというだけだ。人を信じているからというわけではない。彼女はただその状況と分析から結果を弾き出しているだけ。こうなると分かっているから、こんな風に状況を利用した。
「あなたは、私たちの心を読んで使ったのですか」
「いや、そうなると分かっていたから。あえて状況を作っただけです、その方が私にとって都合がよかったので」
ラディアンスは人を見ないが、ポーオレはより苛烈だ。彼女は人を駒に見立てる。どうあっても状況という盤面を作りその場で人を躍らせる。
そのネタ晴らしをされた人間は、ただ敗北感を植え付けられて、絶望を刻まれるだろう。
どれだけすばらしい決意も、どれほど苛烈な意思も、中身を伴うだけでは足りない。それでも流されない力がなければ、災害などと人は呼ばれはしない。
なにより人が災害になれなどしない。
そしてそれが出来たのが、彼女が知る限りはヒサシゲぐらいのものであったのだ。
だから憧れたのだ。どれだけの濁流の中にあっても、ただその流れに逆らう一本の杭、そしてその杭は流れに逆らいながら歩いて消えた。
彼女も気づかないだけでそうなり果てた。だがそうなった以上人として扱われる事はない。
「その言動が、人が発して良い音であると思っているのですか」
「良し悪しなんてのは、第三者が決めればいいだけですよ。どうせ意味がないという決着に落ち着くだけです。だって私にとっては都合が良いというだけですから、そんな事を論ずるのは馬鹿らしいと言うのが決着ではないではないかと思います」
それに人間の有無なんて興味は彼女にはない。
目的がある以上、それに伴う努力をするべきであるというのに、しない人間が都合よく使われた所で、その人間の力が足りないだけだ。ただ流されない力を持とうとすれば良い、そうなろうとする事さえ出来ないから、都合の良い決意が利用される。
そして都合よく扱われる人間は、その事実に気付いても人の所為にするだけだ。己の努力の有無を視点に入れない。ただ自分が使われる側で、それ以上の努力が面倒だからしない分際でだ。
「しいて言うのなら、足りないんですよ何もかもが、だから都合よく使われる。だったらその程度の代物でしかないんですよ。相手の思惑を上回る力がないんですから当然でしょう。そうやって蹂躙してきた人間が言っても滑稽だと思いますが」
思考の始点が違い過ぎるのだ。
利用される程度だから悪い。されない様になればいいだけ、淑女は気付いてもいないだろうが、ポーオレはラディアンスに視線を向けて言っていた。
すでに意識を取り戻しているラディアンスは、自分が都合よく扱われた事実に対して、お前が未熟で無様で何もかもが足りないからこうなると宣告する。
今までの言動は淑女に当てたものではない。
全てラディアンスに向けた言葉だ。つまりお前はまだこの程度であると、ヒサシゲに及ばない所か、自分にだって都合よく扱われる程度の存在。
それがえらそうに主張をした所で代わらない。お前程度ではここが限界なのだと告げていた。
「さて、お話もお説教もおしまいです。次に何をすればいいか分かったのなら、行動を起こさなければ、地べたを這いずるのなんて、これから先何度でも起きる事ですよ」
「お……お、こす、起こすの間違いじゃない」
「理解したでしょう。あなたのただ早いだけの結果を、この無様があなたの今の限界。ここで終わっていたのが、ディンの開拓史だったわけです」
「分かりました、分かりましたとも。二度同じ事はしない、次は絶対に起こさないよ」
呆然としていた淑女、そして次はないと言い切るラディアンス。これがきっと災害と人との領域だ。
ポーオレは再度ありがとうと言って、彼女たちを見逃した。本当に都合のいい道具として扱ったというだけの事なのだろう。
淑女はただ唇を噛んだ。その程度の扱いしかされないほどの差に、吐き出す感情は常に冷たいものだったのだ。
これは劇だったのだ結局。ポーオレという女が、ラディアンスを成長させるために作った状況。
人を人として扱わない。ただ状況だけを作って躍らせた。
抱えきれない敗北感に彼女は声を上げる。なりたい願いも全て消えて、ただ何もかもが終わるだけのお話は、憧れの全てをねじ伏せられた敗北感だけの泣き声でしかなったのだ。
だがそれが災害というものだ。ただ通り過ぎるまで惨劇を作り上げて、そして後には意を解さずに、泣き声だけを残す。
ただ存在するだけの理不尽が、願いや決意を気にするわけもない。ただあるだけの代物で、勝手にそれを奪われて悲鳴を上げるのが顛末なのだ。
いつかそれを超えられるのなら、そのとき初めて人は災害として変貌する。
それに最も近い敗北者は、吐き出したい感情の全てを飲み込んで、己の無様を受け入れて、どうにか立ち上がれたが、滲む視界は嘘をつけなかった。だがそれでも立ち上がり歩く事、それが出来るのなら、彼女とヒサシゲの距離はいつか埋まるだろう。
「ポーオレは、これからも同じ事をするでしょう」
「しますよ。追い立てられなければ、人は成長なんて出来ない。好きなものこそ上手などといいません、屈服しない、絶望しなさい、その全てを乗り越えて見せて始めて道は繋がるという物です」
「じゃあ少しの間負けっぱなしかぁ、超えるよ。絶対にポーオレの予測を超えてみせる、最初はそれから始めようと思うけど、西に向かう間に越えられるかな」
少しの弱気、自然と目からあふれる涙は彼女の無様の報酬だ。
超えてみせると思いながらも、それでも彼女はまだ幼い。
「知りませんよ。私は超えさせるつもりはないんですから、それをどうにかするのがあなた」
「だから立ち上がって歩き続けろか、理不尽すぎて涙が止まらないよ」
「じゃあ泣きながら歩いてください。どうせそれ以外にヒース君に追いつく方法はありません」
厳しい物言いだが、ポーオレにとっては当たり前の事であり、ラディアンスにとっても当たり前の事だ。
越えて見せると思う。越えたいとも思う。ラディアンスは西に向かう、ヒサシゲを追い越す。
けれどだ、それでも思う事がある。
「ねえ、ポーオレ」
「何でしょうか」
「遠いね、ずいぶん遠いよあの男」
その距離は果てしない。長くて遠くて、それでも追いつきたくて、それでも追いつかなくて、果てがない。
その感情を何より知っているポーオレはただ頷いて、
「当然です。それ位じゃないと追いかける意味がありません」
そして弱気なラディアンスの言葉を肯定した。




