二十章 東と西の人
目を凝らさなくても、己の目が曇っている事ぐらいヒサシゲは認識してた。
同時に、ここまで酷いものだとは考えつかなかった。
今、目の前で飛び出したポーオレ見て、自分の性格を嫌というほど理解した行動であるのは間違いないが、これぐらいは、いくら愚鈍なヒサシゲでも見抜ける内容であったはずだ。
それを見逃したのは間違いなく、浮かれていた自分という存在だけだろう。だが、それは仕方ない、それは仕方ないのだと、別に反省する事もない男だ。
コイツなら間違いなく、それはどうあっても引っ掛かるからどうしようもないと納得するだろう。知っていてもなお、間違いなくヒサシゲは引っかかるという確信が出来ていた。
自分の欠点でありながら、自覚しても何一つ変えることの無いその性分は、最早頑固と言うより信念なのだろう。
そんなヒサシゲの精神性はともかく、同じく周りからは鉄の女呼ばわりされているが、流石に五十メートル近い高所から地面に直撃すれば、大地の養分になる以外の選択肢はない。と言うが、装甲で覆われた要塞列車ではただの肉のスタンプが関の山だ。
浮かび上がる思考の限りは、まだ刹那にも満たない中の困惑だっただろう。驚いて声をあげようとするラディアンスの姿すら今は動いているようにすら見えない。
その中で粘性の空気が、ヒサシゲの体を縛り付ける。時間がないのだと思いながら、同時にこのまま門に駆け出せばと考えるが、彼は何一つ躊躇う事もなく一つを選び出す。
ここで彼は前に踏み出すことをしない。
ポーオレは自分が面倒な女だと知っていた。そしてそれを受け止められる相手以外を選ぶつもりはないと、ひどい惚気だが、彼女にとっては当然の事であり、ある意味ヒサシゲを知り尽くしていたからこそ、彼を自分の望む方向に成長させていたのかもしれないと思うほどの悪女である。
だがヒサシゲは多分だが、彼女の言動に揺れたりはしなし、行動に揺れたりしない。そもそも決断と実行が直列している存在は、人の思惑ではなく自分の直感しか信じない。
だからある意味で、彼には思考という思考はないのかもしれない。あるのは感性が弾き出す自分という人間にとって正しい行為だけだ。
どれだけ選択を間違っていたとしても、そこに後悔という言葉がなければ、本当の意味で人がズレる事はない。
ヒサシゲは、そんな言葉を実践し、実現できる稀有な人間ではある。性根は曲がらないにしても間違えることがある人間だが、そんな揺るがない事を前提に進む男は、今間違いなく自分は道を誤ったと断言できた。
しかしそれでも、ヒサシゲは笑えていたのだから、躊躇い無く自分の願いを足蹴にした後悔など無いと思えるほど、晴れやかな笑顔を顔に貼り付けたままであった。
この選択に対して疑問を抱かないのなら、お前の語った決意はなんだとラディアンスは感情を荒ぶらせるが、なんてことはない事なだけだ。
ヒサシゲは夢のためならポーオレを殺すだろう。だが同時に、彼にはもう一つ夢があるだけの事だ。そしてヒサシゲはそちら側の夢を諦めたに過ぎない。
ずっと言っていた事だ。彼がにしに向かう時から同じく、ずっと誰もが信じなかった言葉があるだけの事なのだ。だが誰一人として、本当に当たり前の事だから気づかない。そしてはそれこそが誰ひとりとしてヒサシゲの言葉を信じていない証明でもあった。
曇った眼から虹彩が覗く。ヒサシゲは常に言っていたはずだ、西へと、西へたどり着くと、その言葉がすべてだ、と。
そしてそれは間違ってはいないだろう。ヒサシゲはそういう男だ、だから誰もが勘違いしているのだ。
きっとそれはポーオレだった同じだっただろう。
ヒサシゲの言葉は常に裏がないが、すべてを語ったとしても、だれもに残る強烈な言葉があれば、あとの願いをきちんと聞き届けたかなど不明である。
だが当たり前のことをヒサシゲは言っているのだ。嘘がない言葉なのに、誰もが信じなかった言葉があっただけであるが、その言葉を聞き届けたとしても、この展開は結局変わっていないのだ。
ポーオレはヒサシゲと一緒に行くと言い張り、ヒサシゲは絶対に断ると。どんなことがあっても彼はポーオレを西へ連れて行くつもりはない。だからその差は絶対に埋められない。
落下する一瞬、機体が軋みを上げた。そちら側には行きたくないとでも言うように、確かな拒絶がペナダレンからは感じられるが、待てよとで言うように球体に触れる。普段はあまり使わないとは言え、このタイミングで機体を動かす無茶をするには、この操作以外の選択肢はないだろう。
同時に行う加速制御、たった三秒の間にヒサシゲはポーオレを助ける道を選ぶ。そして助ける手段は数あれど、一時的にとは言えコルグートが干渉効率下げきっている状況では、ヒサシゲは無茶をする以外の選択肢は浮かばない。
その機動を、軌跡を、きっと人は自殺と例えるだろう。命をかけるような刹那の響き、心臓が悲鳴を上げるような胎動は、ヒサシゲの血流を台無しにしていくだけの力がある。急激な加速と負荷による一時的、そしてのちには障害になりかねない継続的な症状。
上から下の移動の際に起きる血流障害をブラックアウトと言う。
本来ならフィルターがそういった障害を排するための機動を行うが、ヒサシゲはその余分を切り取って加速に当てる選択肢を取るしかなかった。
本来エースとの戦いの際にも、同じ様な事をやっているが、今回はさらに速度を求めた。回転の限界すら忘れたよう車輪は悲鳴を上げ、引きちぎれるより先に赤熱して融解を始めようとする。
ただ速度を求めるというのはそんな状況だ。そんな異常な速度を出せば、貧弱な男はGだけで圧殺されかねない。そもそもそんな速度を出してどうやって助けようというのか、疑問ぐらいしか浮かばない。
何より、最大で音速を弾き出すような機体であるペナダレンの限界を超えるような事をすれば、ポーオレが本当のただのミンチになりかねない。
衝撃波だけで人を破壊出来るほどの加速、クルワカミネもある程度の損傷を覚悟しなくてはいけないだろう。それほどの破壊力を持った加速になっていたのだ。
だがそれを止められるものは誰もおらず、そして誰も止められるわけもなかった。弾き出される様に圧壊しかねない暴威が吹き飛ぶのだ。その瞬間装甲列車は軋みを上げた、周りはふざけんなと逃げ出そうとする。
その中で自由落下に加速をつけられたポーオレは、止めを刺されるんじゃないかと笑ってしまった。
だがその衝撃は不思議と柔らかい。まるで宙にでも浮いているような錯覚を覚えてしまう。走馬灯を見ているのか、緩やかに世界は動き続ける。地面に叩きつけられるまで、このような感覚を覚えるのかと感じると、少しだけ飛び降りてよかったなどとポーオレは思う。
だが、その中でペナダレンだけが誰よりも早く動いていた。
時間は瞬くほどだと言うのに、一体何があるのだと思うほど世界は緩やかに動いている。それなのに、たったひとりだけが誰も彼もを置き去りにしたのだ。
見ているだけでも消えない、一瞬の一人は大地をすり抜ける。世界の何もかもを抜き去ったのだ。
追いつけない。辿り着けない。その二つの言葉を無視しながら、疑わない男の意地は大地を蹴り出している。人の知る世界なんて、わずか数キロ程度の範囲の代物だ。その中で詳しく知っているのは僅かな距離だけ。
ただ情報が舞い込むから知った気になっているだけの世界で、自分の知る本当の世界の範囲がどれほど狭いかを人は知らない。
人は一メートル離れた人を知らないのに、誰もが世界を知った気になって世界を小さく見る。本当に矮小な自分を結局は知らないのだ。だから踏み出すことを知らない、世界は小さなものだからと言い張って、世界の大きさを所詮は知った気になっているだけだ。
そのなかでヒサシゲは言い張っていただけだ。もっと世界を知りたいと、もっと世界を見ていたいと、この小さな世界ではなく、自分が見出す世界をこの手に収めたいと。
だから彼は自分を疑わない。自分の知る世界が矮小なものだと理解しているから、自分を視認して、器を自覚して、その体で世界を知って、それでも広げるべき道を作り出す。これが自分の世界だと言い張るため決意として。
けれど、彼はその道を翻すように、飛び降りた自分の想い人を助けに向かった。
誰もがその光景に、失望を感じていた。お前ならばその全てを抜き去ってくれると信じたのにと、早く道を開いてくれと願うように、しかしヒサシゲは皮肉に笑うだろう。
何をお前たちは勘違いしてる、と。そもそもだが、ポーオレすら気付いていないのだ。ヒサシゲの夢と現在の行動に、未だ全くの矛盾点がないことを、そもそもが同列に語る事であった。ヒサシゲの言葉はすべてが前を向く。だからこそ、彼の言葉には疑う余地のない価値がある。
彼は夢を語るのだ。その夢はひとつであるとは限らない。
最もそれは、西に向かう彼にとっては当たり前のことであったが、それが誰にとってもと言われると少しばかり首をかしげる内容であたのも間違いない。
だからこんなことに矛盾を人は感じてしまうのだ。
なんでお前は西を目指さないと、弾劾のような感情を抱くだろう。
それでもその姿を見て、抱いた感情をすぐに人は消し去った。
その機体の動きの躊躇いの無さはきっと、誰もが夢を諦めたがゆえの嫉妬に過ぎないのだ。目が曇っている、ヒサシゲはきっとそうだろう。だが誰も彼もがそうなのだ。
誰もがきっと彼の動きを否定できなかった。もし夢を人に認めさせようと言うのなら、矛盾するべきではきっとない。目指し続けるか、諦めるかしかないのが、きっと夢という形の一つの解答だ。そしてそれを体現できるのなら、人はそれに口を挟む理由を失う。
そしてただ見せつけるだけなのだろう。彼の行動の全ては、こう言いかえてもいいと思う。
黙って見ていろ、諦めた奴が、見ようともしない奴らが、口出しの出来る場所じゃない。否定の連結は所詮は、己の常識に照らし合わせた自己肯定に過ぎない以上、ヒサシゲにとっての自己肯定はこういう形になり得る。
届くはずがないと、人々の口を塞がせ、嫉妬を捩じ伏せ、勝手な願望を押し付けを意味がないと、切って捨てたヒサシゲの行動は、虚空に張り付くおとぎ話としてしか人には映らない。
あれは自分とは違うものだと言う隔意だろうか。
きっとどれでもあって、違うのだろうが、もう口を挟め道理を失うしか人々は失うしかない。挟める領域すらないのだ、きっと誰の声もがヒサシゲに届かない。
ただ見ているだけでいい。ラディアンスにも言い続けてきた事だが、結局はこういう事なのだ。ただ自由に生きようとする彼の方向性を見て、傲慢と取るか、羨望とするか、はたまた恋慕か、どれでも構わないが、結局選択肢としてしか存在はしない。
その幅を広げることしか、ヒサシゲには出来やしない。
そしてすべての選択肢の中で、ヒサシゲはポーオレを助ける選択をした。それはポーオレとヒサシゲの戦いとし見れば、確実にポーオレ側の勝利であった。
要塞列車という世界を台無しにし続けた顛末は、ただの一人の女の恋慕で決着がついただけ。ヒサシゲの夢を屈服させるという、それだけの事の為にある戦いであったのだから当然の事だ。
干渉比率を無理にでも上げた行為の衝撃波は、凄まじいもので全てを巻き込んで、破砕音を響かせる。
そして粉塵が舞い散り、干渉制限を掛けられたはずの空間に、予想外の濃度の結晶が溢れようとするが、陶然の事であるが、それが溢れるより前にポーオレは、物言わぬ屍になるだろう。
当然だがヒサシゲが、そんな無駄な事をする訳もない。助けるのならば確実に、何より躊躇いなく最後の一線すらも踏み越える。
ポーオレさえ助けられるのなら、周りの人間の有無など気になどしないだろう。
それでも死者が未だ発生していないのは、運がいいからという訳では断じてない。全ては自分のルールを曲げない為の意地の押し通しだ。
誰一人死なないし、殺さないのが、ヒサシゲが決めたルールだ。どの状況下にあっても守り続けるへそ曲がりは、たやすくポーオレの命を救う。
誰もが否定するであろう西の道をへし折るように、彼はその道から間違いなくそれたのだ。
その光景にポーオレは手を強く握った。何かを手に入れたような満足感を得たのか、それともヒサシゲの夢を奪い去った後悔からか、なんにせよなにかに耐えるような感情があった。
「なんで……です。なんでなんですか」
その感情は握り締めた手では足りないのか、ひどく激しい声が響いた。
目に映る光景全てに納得がいかなかった。あれだけの加速をしたはずのペナダレンは停止し、同時にその力の反動は、一瞬の暴走の跡に全てが止まっていた。
ただヒサシゲが行ったはずの干渉は、装甲にこそ被害を与えたが、本来起きるはずの二次被害は全て消えているのだ。操縦室から外に出たヒサシゲがポーオレを抱きかかえるが、その光景にすら彼女は納得がいかなかった。
優しく抱きとめられた事自体は嬉しかったが、彼女はそのヒサシゲの表情に納得がいかなかった。
変わっていないのだ。自分が捩じ伏せたはずの夢に対する暴挙があっても、ポーオレに対してだけじゃない、何一つ揺ぎもしていなかった。
そんな筈はないのにと、彼女は思いながらも、ヒサシゲの態度の全てが彼女を否定している。
「私は、私はですよ。ヒースくんの夢を、台無しにしたんですよ。なのに、何なんですかその態度は、何も変わっていないような涼しい顔をして」
自分で潰しておきながら我が儘を宣うが、ポーオレの暴言に対して反論するような余裕はヒサシゲにはない。貧弱な男は、ポーオレの体重を長時間に渡って支える等と言う希少能力を得ていない。
生まれたての小鹿の様に、体を震わせ、歯を食いしばって真っ青になりながら彼女を支えている。そんな表情なのに、涼しげと言い切ったポーオレの方が驚きである。
しかし普段なら空気も読まずに、台無しの一言を言って見せるだろうが、空気を読んだヒサシゲはどうにかその言葉を抑える。
だが体も限界である。何よりポーオレもだいぶ節穴に目が変わってきているので、不用意な発言はできないが、その状態をキープするなんて奇跡の所業だ。
「何か言ってくれてもいいじゃないですか。さっきからずっと私を無視して」
必死に支えている所為で、口を開く余裕もないだけである。
涙を目にいっぱい溜めているポーオレを見る余裕もない。それでなくても無茶な機動の所為で、体が弱っている所にこんな無茶だ。
締まらないにも程があるが、これがヒサシゲという人間らしいといえばらしさである。
何もかもを台無しにするのだ。その中に自分が含まれていない筈もない。
その腕の中で、色々と溜まったものが吹き出して、普段では絶対に見せないような反応を見せるポーオレは、暴れてるのだから更に負担は倍だ。
ヒサシゲの余裕も体力的限界も間近であり、どこの乙女だと、男の手の中で荒れるポーオレを見ていたお嬢様も呆れ顔である。
「それが嫌がらせですか。何も変わらないというのがヒースくんの」
「あの、あのポーオレ。死ぬ一歩手前の無茶の所為で、混乱してるのかわからないけど。状況を、もっと状況を見て」
居た堪れなくなって声をかけるが、はっきり言って地雷である。
ポーオレには断じて乗せる事のなかったペナダレンから出てきたラディアンス。これだけで彼女の嫉妬を煽るのに過分すぎる内容だ。
なんでほかの女を乗せたと、ガソリンの前で火炎放射を放つような暴挙である。
「なんですか、最後の最後まで、こんな形で私の予測を裏切って。新しい女に乗り換えるというわけですね」
「違うよ。というかポーオレさん、あなたそんな情熱的な人だったの。それはわかったけど、泥棒猫なんて目で私を見ないで、そんな気は更々ないんだから」
「泥棒猫、何を言っているんです。泥棒、違うでしょうただの売女、私からヒースくんを取る女は売女以外にありえません。むしろそれ以外にあるのですか、ちょっと待っててください。
今からヒースくんを永遠に私のものにするので、そのあとにあなたには、そのへんの男に……きゃう」
完全に色々とありえない方向に爆発したポーオレだが、流石にいろいろやりすぎた。
ヒサシゲの腕は限界を迎えペナダレンに落とされる。普段であるなら衝撃を散らすなどの対応を取れただろうが、完全に頭に血が昇っていた彼女は、何もすることができず尻から落ちて、可愛らし声を上げた。
そのヒサシゲの態度に、本当に怒らせたのではないかと真っ青に表情を変えるポーオレだが、ヒサシゲはそれどころではない。支え尽くした腕が限界を迎え、力尽きるように地面に四つん這いになる。
荒く吐き出される息は、このまま絶命しそうなほど限界という言葉を証明していた。
そのうえ四つん這いになっているとは言え、先程までポーオレを支えていた腕だ。ほとんど這いつくばっているのと変わらない。
弱弱くしく「無理、もう無理」と、掠れるように吐き出される声は、彼にとっては精一杯の全力なのだろう。
確かに頑張っていたが、その結末は結構下らないものであったのも事実だろう。
男としての意地を全うできなかった悔しさより、ヒサシゲは腕の弱体化によって微細な操作ができない事に苦悩する。すぐに復調するだろうといっても、五体満足という状況を西以外の原因によって、台無しにするつもりは毛頭ないのである。
基本的に思考が自分本位であるヒサシゲである。気にするのはポーオレより自分の事だった。
「あっ……」
ヒサシゲの状況を察したが、今更何を言っても変わらない。干渉現象の大盤振る舞いの挙句が、自分のために夢を諦めたという事実だけなのだ。
彼の態度の意味がわかれば、先程の大体の不満も容認できるのが惚れた弱みだろうか。
それでもラディアンスに対する視線は厳しいままだ。当然といえば当然であるが、彼女はペナダレンに本来は触れさせるのすら嫌がられたのである。
乗せる事に関しては、これだけで二人の関係に亀裂が入るレベルでの喧嘩も何度かしているのだ。
そこまで分かればヒサシゲが、ラディアンスをどれほど特別扱いしてるか分かるだろう。その視線に晒される彼女は堪ったものではないだろうが、希少な体験といえば体験をさせてもらった見物料とでも思っておけばいいのだろうか。
きつい視線に枯れた笑いをするラディアンスは、ポーオレの視線から逃れるために、そんなくだらないことを考えた。
「あー死ぬかと思った。ポーオレお前重すぎる、せめて猫ぐらいにならないか。流石に腕が限界を迎えたぞ」
致命的な言動ばかりなぜコイツは言うのだろう。空気が一瞬で悪くなった事をラディアンスだけは察知する。むしろ普通は空気を読んで言わないことだが、隠すという選択肢のない男の言葉は、軽く女の領分を傷つける。
普通に見たらポーオレは十分に均整のとれた体つきであるし、むしろ無駄がないと言った方が正しいぐらいである。むしろ問題は、暴言を吐いた貧弱男の方にあるのだが、彼からすれば重いのだから嘘は言っていない。
言わなけりゃいいというものでもないのだが、建前をあまり使わない彼の失態だろう。
「それは、ヒースくんが甲斐性がないからです。結晶が扱えるようになって、随分と貧弱になったのではないですか」
「甲斐性がないのは生まれつきだ。そんなのお前が一番知ってるだろうが」
「威張る内容ですか、唐変木の朴念仁の癖に」
「ちなみにそこに忘八者を加えても何ら間違いじゃないぞ」
ふんぞり返って威張ることじゃない。
だがヒサシゲは間違いなく、そういう態度を示していたのだ。呆れ果てるだろうが、何も変わっていない事にポーオレは安堵の息を吐いた。その息を吐いて吸い込むと、怒りがぶり返すのだが、ヒサシゲは何も変わっていなかったのだ。
全く彼は負けを認めていないのである。少なくともポーオレはそう取ったのだ。
「私に負けたのに、何でそんなに何時もどおりなんです。何も変わらず泰然自若と、西ばっかりに目を向けて」
「当然だ。それは性分だ、負けを認めていないわけではないし、お前に踊らされ続けたのも理解している。だがな、あそこでそうされたら俺は助ける以外の選択肢をもたん」
自殺はルール違反だと、拗ねた様な声が聞こえた。
ピンと耳を立てる猫のように、ヒサシゲの声をもう一度聞こうと姿勢を正して一歩近づく、ようやくと言う感情でもあったのか、近くにただ行きたかったのに。
ただの人差し指がポーオレを停止させる。何でと言う疑問と共に、何も変わらないヒサシゲの表情が、酷く困ったものに変わっていた。
「だが、一つ夢を諦めてやっただけだ。俺のやる事は何時だって変わらない。あんなルール違反はお断りだが、それじゃ俺は折れないぞ。俺はもうこっち側に帰ってこん、クルワカミネにはもう戻らない」
これでいいだろうと、夢と夢を食いつぶす戦いは、結局諦められない男の執着が上回る。
誰も知らないだけだ。ヒサシゲは西域に辿り着くと決めたときから、帰ってくると決めていた。ずっと言っていたではないか、死ぬのは仕方ないが帰ってくると。
ポーオレの下に絶対に戻ると言う宣言でもあった。だがヒサシゲは捨てるのだその願いを、必要ないと自覚してしまったから。
「何を言っているんですかあなたは、私を置いていくって、勝ったじゃないですか、私はあなたに勝ったのに」
そんなヒサシゲの考えなど知らないポーオレは理解できないと声を上げる。
彼女の言葉を聞いて、だから一つ諦めてやっただろうと笑う。それだけじゃ悪いからと、彼なりの配慮をポーオレにするが、それそのものがある意味では挑発だった。
ラディアンスを引き寄せて、ポーオレの感情を揺さぶるが、彼女に向けてラディアンスを押しただけに過ぎない。
「それをくれてやる。切符変わりだ」
切符変わりの扱いを受けたラディアンスは、目を丸くするが絶望の深いポーオレは一体ヒサシゲ何を言っているのか分からず途惑う。明らかに彼の言葉は、ポーオレを突き放すものであり、近くによらせる言葉でもない。
何でと言う疑問ばかりが浮かび、目尻にたまった水が頬を伝っていた。
「そいつならいけるだろう。俺は一人で以外行けないんでな、最大の譲歩だそれが」
その手でポーオレの涙を拭う事などするわけが無い。
ヒサシゲは忘れないようにと、彼女の姿をじっと見た。ただしねと言っているとの変わらない暴言を言っていると自覚はしているが、それでも彼は彼をやめられないのだ。
かたん、かたんと、音が響き始めた。ヒサシゲの声か、それとも別の何かか、東の風が吹き荒れる。まるでヒサシゲにさっさと西に行けとでも言うように、そして野風に弾かれるようにポーオレとラディアンスは飛ばされる。
嫌だと伸ばした手が、ヒサシゲに触れることは無い。
「私は、あなたと一緒に西に行きたいんです。あなたと一緒にいたいんです」
「後者だろう。困った事にな、俺は西に向かう気もない奴をペナダレンに乗せる気は一切ない。西をついでと見る奴と一緒に絶対に西を目指さない。そこだけは誰にも譲る気は最初からない」
引き剥がされるヒサシゲの宣言にポーオレは悲鳴を上げるように泣いた。
泣かれるのは好きじゃないが、最初からこのつもりだった。どうせ負けるのだからと、内心で思っていた彼は、負けを前提に全てを組み立てただけだ。
勝てれば上々だったが、彼女の思惑だけは超えなければ、クルワカミネを荒らしまわった意味はない。
前提を台無しにするのが性質と言ったが、ここまではっきりと自分が勝てないと分かっていて行うのは、彼ぐらい図太くないと出来ないかもしれない。
そして負けた以上は、ポーオレを迎えると言う夢を諦めるしかない。内心では悔しかったのは事実なのだ。それでも泣かれるよりはマシだと、「ポーオレ」とヒサシゲは声を掛ける。
「一緒に行ってやれないが、そいつなら辿り着くだろう。そいつは俺ほど狭量じゃないだろう、西への乗車券だけはくれてやった」
今のままではただ死ぬだけのお嬢様だが、教育はお前の十八番だろうとヒサシゲは笑う。
ラディアンスは異次元の男だったヒサシゲが、自分の何を彼が認めたかなんて分からず困惑するが、それがいい予感だとは断じて思わなかった。
むしろ嫌な予感のほうが強かったのだ。
「後は好きにしたらいい。俺はもう西に向かう、ようやく西に向かえる。後顧の憂いも無くなった。じゃあな、またな。次はそうだな、西域で会おうそしたら結婚でもするか」
「――――っヒース君、あなたって人は、あなたって人は」
欲しい言葉をくれて、それでも遠くに行って、一緒に居たいと言う筈の願いは何処かに消えたのに、屑の言動が彼女にはうれしかった。
追って来いと言っているのだ。自分の都合のいいように、ヒサシゲはポーオレを誘導するが、それに納得のいかないのはラディアンスだ。なら自分の夢はポーオレのついでかと、感情が軋みあげた。
ふざけるなと、私の夢はポーオレの乗車券じゃないのだと、お前らこそ西を侮辱するんじゃないと声を上げそうになる。
「感動的なところでどうでもいいです。そこの二人、そこの馬鹿二人、そこの大馬鹿二人、特にそこの人を乗車券呼ばわりした男、私を評価してくれてふざけるな死んでしまえ」
「なんだ羨ましいか、残念ながらポーオレをやるつもりはないが」
「違う、私はそんな事を言うつもりは一切無い。よくも人の夢を乗車券呼ばわりしてくれたね。だったら決めた、私は絶対に決めた、教育も何もかも知らない」
目が据わっていた実力も何も無い言葉の伴わない彼女は、完全に火が付いていた。
そして止められない事もヒサシゲは理解した。やりすぎたのだと、ただ真っ直ぐとヒサシゲを殴りつけるようにして結晶の干渉を彼女は行ったのだ。
ただヒサシゲの行為を目の前で見ていたとは言えその無茶苦茶には、流石の二人も驚いた。
怒りで状況を理解できていないラディアンスは、ヒサシゲの胸倉を掴み上げて声を上げる。
「待っていろなんて、私はあなたに悠長なことを絶対に言わせない。ただ西に向かうなら、今このときから覚えていろ、私が東の風だ、私があなたにとっての東の風だ」
完全に頭に血が上っていた。追い立ててやると感情が暴発しているのだろう。
彼女は飼い猫では無い。野生の獣である、その本質をヒサシゲは見間違えてしまったのだ。だがその事態は重畳ではあった、しかしその追い立ててやると言う感情がヒサシゲに冷や汗を流させる。
「追いついてやる、絶対に私はあなたに追いつく。勝てる勝てないじゃない、私はあなたより先に西域に辿り着く、精々余裕を振りまけ、私はあなたを追い抜く」
「どうやって、まだ何も出来ないと言うのに」
「黙っていなさいポーオレ、私は誰にも教わらない。ただあの大地の中で生き抜くだけだ。折に篭って、荒らすだけ荒らした馬鹿達とは違う。あの子を連れ次第私は西に向かう」
それはつまり、ぶっつけ本番で自殺しますと言っているだけなのに、言葉が怖かった。
何より怖かったのは、それを本気で彼女が言っていることだ。あの目はヒサシゲと変わらない、もう変わらなければ揺るがない。何一つ変わらない巌の精神である。
これを乗車券にすれば一緒に自殺するだけだ。だがヒサシゲの反応は違う、彼女はきっと西にたどり着けると思っている。あの何より本当は自分が一番したかったことを彼女は言っているのだ。
そしてそれを変えないのなら、彼女はヒサシゲにとっての東の風になり得る。
「そうか、それならそれでいい。きっちり追い立ててくれ、お前は後輩じゃなくてライバルになるわけだからな。スタートダッシュをさせてもらうが、精々追いつけるように努力しろ。どこまで行っても俺はお前より上なんだそれは変わらんよ」
重みが違う言葉であるが、その場の感情と長年の執着の差なのだろう。
夢も希望も変わらない。それを支えた年月が深みを変える。それでもヒサシゲはラディアンスを認めるのだ。自分がしたくてもできなかった事を彼女はしようとする。
それに巻き込まれるポーオレはご愁傷様だ。実際となりで嫌だと首を振っているが、ヒサシゲが開拓者で唯一認めたラディアンスを使わないという手段はない。
「精々追いつけ、楽しみに待ってる。東の風なんて俺だけが経験できるんだろうしな」
「当然です。私は、私の夢を、乗車券扱いした人に劣るとは思わない」
「青臭い、自分の夢以外は全部ゴミでいいんだよ。そうじゃなければ、だれかの夢に二の足を踏むだけだ。だからお前はお前の都合で夢を叶えろ、その方が俺の開拓にも張り合いが出る」
軽く素手で胸ぐらを掴んだラディアンスの手を払うと、今度こそ彼女をペナダレンから引きはがす。
先ほどの行った結晶の干渉は、偶然だったのか、無理矢理引き剥すような無茶を二度をもできなかった。
二人は西に向かうペナダレンをただぼんやりと見上げることしか出来ない。
羨ましいだろとでも言うように汽笛を鳴らしたヒサシゲに、嫉妬を抑えきれれないラディアンスは唇を噛んだ。だが決意は変わらない、行ってやると、自分は自分のために、西に向かう。
そして追いついて見せるのだと、その獰猛な感情を彼女は抑えることをしなかった。
「ポーオレ力を貸して、三日以内に西へ私は向かう必要がある。人を乗車券呼ばわりしたんだから、手伝えないなんて言わせない。あの男を追い越す、絶対に負けたくない。
もう泣くなんて無駄なことはしなくていいから。あなたは追いつかないといけないんでしょ。私は追い越さないといけないの、少なくともこのクルワカミネで私以外にそう考える人間はいないのなら、どれが正しいかなんてあなたが弾き出せないはずがないでしょう」
響いた車輪の音にラディアンスは背を向けた。
嫉妬は終わった。人を教育して、あとは自分の為に、勝利の前提を変えた男は、クルワカミネに敗北感を与えた。何一つ変わらない西への願望は、すべてを置き去りにして走り出す。
それに追い縋ろうと考える者はおらず。自分ものと考えたものは消えて。
たった一人だけの少女が、感情を顕にして思うだけだった。追い越してやると、絶対に追い立て尽くして抜き去ってやると、そう決めていたのだった。
世界にもう一人の馬鹿が生まれた時だ。己の性分を変えられない愚直の一人が、今だけは背を向けた、西へ
、西へと、必死になって回す車輪の音を聞きながら、待っていろと声を上げている。
それが西域開拓史における転機となる、最終西域到達戦争の始まりの狼煙であるなどと誰が気づけただろうか。
今は誰も気づくことは出来ない。その世界を一変させるであろう二人の対立は、まだ始まりもしていないのだ。ただ人知れず現れた西の極点と、東の体現は現れて世界を馬鹿にする。
後に世界に馬鹿にされる事になる二人だが、一体どちらが本当は馬鹿にしたのだろうか。
汽笛の音が消えるまで、ラディアンスは振り返らない。ポーオレは最後まで見届けたようだが、ラディアンスは追いつくと決めたのだ。
なら動く道は変わらず、貫く道理も変わらない。
西に向かう男に抗うように、彼女は東に向けて歩き出した。シュベーレはそこにあるから、彼女が追いかける西への道は東に主を待って鎮座している。
西へ、ただ西へ、もう止まる道もなく、走り出す道は音を響かせた。
縛る願いも、価値も何もかもなくなった少女は、その青臭さを変える事もなく、西へ向かい続けるだろう。
西へ、西へと、その道はただ広がり続けるだけなのだから。




