十七章 戦いよりも、恋よりも
ふと彼は我に返った。茹だる様な感情の熱を心臓に抱えて、何か違うと身体の節々が痛んだよう気配を感じる。その動き方は違うのだと、俺はもっと違う何かであるべきだと、ズレタ体の歯車がいっせいに軋みを上げるような不快感。
一体何なのだと、酷い感覚に彼は世界に立っているだけで、酔ったような感覚に陥る。一生このまま居たいと感じる、その不愉快すぎる停滞の快感は、彼の体中にその感覚を根を張ろうとする。
「くそ、何でこんな事を毒に感じるんだ。逆だろ普通、幸せなんてのは喜ぶべきものだ」
だが幸せと言うのは存外気持ち悪いものだ。と言うのが彼の弁になるだろう。
彼はその言葉を肯定するしかない。それだけで、自分がズレたとすら考える程に、明らかな変貌を体に感じたのだ。だからこそヒサシゲは、その単語を認めることができない。
この狂ったような違和感、動くことすら必要ないような満足感。
彼の感じた停滞の快感は、間違いなく今までの自分の生き方に対する、多幸感を証明するものなのだろう。そんな感覚を、なんと気持ち悪い感情だろうかと、ヒサシゲは断じるしかなかった。
そもそも幸せとは一体なんだ。彼は何一つかなえていない忘八者の一人に過ぎない。なのに幸せになる理由がどこにあるのだ。
ただそれは酒に酔うかのように、状況に酔っているのと変わらない。
何もかもが追い風になっているこの世界を、何処かで心地く感じている自分がいる事を否定できない。しかしヒサシゲはそれを認められない男であった。
己のその充足を感じた瞬間、がちんと歯を食いしばる。それは違うのだと、自分の感情を制しても足りない、そう言う事ではないのだと心に叫ぶ。
エースに勝てる余裕か、それとも世界を相手にして戦える自分の力か、それは彼にとっては何一つ意味が無いものだ。だが何処かで心が浮く、その隙間こそが彼が認めてはならない隙間であったが、人の心は緊張を許さない。
自然と空く自分の空白は、詰め込むものを必要としない感情であるべきだ。
西へ、西へと、視界に収めながら何処かで忘れたような気がした。そもそもエースが敵になってしまう今の状況こそが、ヒサシゲにとってはあってはならない事でもある。
己の実力が人如きに勝った所で自慢になどならない。
「余裕なんて、今まで無かったんだから仕方ないとは言え」
彼はポツリと漏らした。いくらなんでも、自分の心のぐら付きは酷かった。
どうあっても言い繕う事の出来ない余裕を自分に感じていた。そんなものヒサシゲにはあってはならない、存在してはいけない代物なのだ。
赤い大地に余裕を見せるなどと言う弱味、一瞬の狂いが全てを崩す場所なのに、己からその土台を崩しかねない暴挙は、ヒサシゲにとってどれ程の無様であっただろうか。
「ポーオレにバレたらなんて言われるか」
きっと彼がラディアンスに抱いた焦燥とはそう言う事なのだ。
危機感を忘れていた。西に目が眩み過ぎて最低限の認識が狂っていた。はっと吐き出す息は、彼にとっての焦燥と危機感を思い出させる。
それは口にはしないが、後ろで彼を強気に見つめるお嬢様のおかげだ。
西へ、西へ、そんな風に口にしながらする言葉にしながら、きっとヒサシゲはどこかで西を見ながら、もっと違うなにか歪なものを見ていた。一心一体全てが、一つの目的の為にだけある存在は、そのズレを認めないのだろう。
だからこそ、そのズレに気づけばすぐに修正される。何よりも狂っていると言わしめる彼の精神性、それは別にただの命知らずのやけっぱちと変わらぬ。しかし本来ならそのズレに気付くのは随分と遅いはずだった。
なにせ彼は一度、真っすぐに走りながら遠回りをした男だ。
それでも今のヒサシゲにはそれがない。一言で言うなら先輩の維持だ、偉そうな言葉を並べて、何もできないのであれば愚か者でしかない。
口だけでは意味がないのだ。行動が伴って、初めて言葉に価値が出来る。だから己の言葉の楔の具現であるラディアンスがいる限り、ヒサシゲは歪んではいけない。
だが、そのつもりがなくても間違えるのが人だ、その中であってもヒサシゲは実直にその道を進むだろう。
それでも間違える。当たり前と言えば当たり前だ。
認識を間違える等という事はよくある事だ。その間違えをいかに早く正すか、必死になってまえを向いているから見えないものがあるかもしれないが、その必死さがなければ前など向けない。
後ろより彼を追い立てた少女は、それを自覚させる力を備えつつあるのだ。誰よりもラディアンすが驚異と見えるほどに成長している理由だろう。
彼女なら西に、辿り着くと、どこかで考えてしまったからだろう。
その焦燥を感じずにはいられないほど、ラディアンスは確実な成長をしていた。その能力の殆どが上限を擦り切るヒサシゲは、彼女の成長に羨望すら感じてしまう。
あとは熟練を重ねるだけの男と、成長を重ねる少女では差が激しいのは仕方のないことではあるが、そんな尚早が混じったせいで彼は気付いてしまったのだ。
自分はどこかで増長していた事実に。
がきんと、食いしばる歯茎から血が滲む。鉄錆の味を舌に感じながら、思考の改善を模索する。自分の成長上限に限界があることぐらいは、誰でなくても理解できるだろうが、ヒサシゲのようなタイプは、無意識レベルでの貪欲さだ。
自覚すればそれは面倒なことこの上ない。不足する自分の何かを必死になって埋めようとする。
今の現状にありながらだ。命を削るような状況で成長を引くと、語った事があったが、この土壇場にあっても、必死に何かを手にしようとする精神性こそが、彼に成長をひかせるに過ぎない。
ズレた自分の傲慢を削り取るように、球体に手を触れる。球体操作と呼ばれる、重機関における最も繊細な操作を行う為の操縦桿であるが、ヒサシゲはどちらかといえば視線操作と、指標操作を、メインに置く。
本来あんなイカれた機動を行うのであれば、この球体操作が何よりも不可欠なのだが、彼の持ち味である精神的強度が、自分の操作に対して疑問を抱かせないのと、命を惜しまない強みが、あの異常事態をたやすく引き起こしている。
だが二つの操作でそこまでやり通す彼に、これ以上の精密し作業が必要かといえば不思議にもなるだろう。
はっきりと行って必要ない。と言うより、現状でミリ単位の精密操作が出来ているのに、これ以上やったところで何の意味があるのかと、疑問を抱いてしまうレベルのが彼の操作である。
では、ここに来て何故と思うだろう。繊細な動きと言ったが、つまりはある程度自由の効く操作ができるということである。
自由度の高い操作、もうそれだけでヒサシゲにとっては、トラに羽をつけるような行為であるが、それでも彼があまり得意ではなかったのには理由がある。
無茶が出来すぎてしまうと言う、ある意味ではふざけた欠陥だ。現状ですらどう考えても機体にダメージを与えかねない軌道だと言うのに、これ以上自由に動けば、損壊すら免れない。ある意味では、ポーオレ以上にペナダレンに愛情を注いでいるヒサシゲが、そんな無茶を好むはずが無い。
何より損壊と言う言葉自体が、色々とふざけている。
確かに戦闘機関には、ある程度の修復機能が存在しているが、あくまである程度だ。そもそも損壊を容易く直せるほどの性能は流石にない。
軽機関にはそもそも存在しない機能である。普通なら、修理に出したほうが早いぐらいの力しない。
「なぁ、お嬢さん。内臓強いほうか」
「いや私は、どちらかと言えば弱い方だと思うけど。って、待って、ちょっと待って、私のあなたのファーストコンタクト忘れた。随分とすっぱい出会いだったじゃない、あれって」
「と言っても聞きゃしないけどな。吐きそうなら飲み込め、吐いたらその場で、生身でフィルターの外に放り出す」
悪いがと、己の無様を身体に飲み込み。吐き出す呼吸で、無様を強さに変える。
当たり前のことの様に、歯車が回りだす。壊れた機械は、直らないだろうが、人間だったらどうにかなるものだ。ましてそれが肉体ではなく心なら、容易く壊れもするだろうが、世界がいつか滅びるように当たり前に強くもなるのだ。
一瞬ヒサシゲは呼吸を止めた。それは獣が狩りを始める前に、身を潜める動作と対になるだろう。
身体を強張らせ、次に動く手段を整える為の準備であり、獲物の不意を付く為の初動である。次へ、走り出す為に、力を入れるという当たり前の動作は、末端に至るまでの一瞬の停止を作り上げ、はっと息を吐き出すとき。
緩やかに伸ばされた動きは、その穏やかさに会わないほどに激しく回り始める。
悲鳴を上げる機体から車輪が弾け飛んだ。ただ初速のみ、力を振り込んだ事による機体を上回る過負荷だ。だが掌握しているはずの範囲を上回る結晶操作は、何かを代償にしたものに過ぎない。
「第二を削ってみた。結構胃に来るから気をつけろよ」
つまりは操縦者の保護の為に存在する。不干渉体の削除だ。
まともにそんな事をすれば、この機体での機動だ。普通にミンチになったっておかしくは無いが、結晶操作と言う荒業があって、そのオンオフを使い分けようというのだろう。
間違いなく、今戦いの場にいる存在の中で、一番の貧弱男がそんな無茶をするのだ。その機動のGだけでブラックアウトしてもさほど不思議では無い。
それをどうにかするのは、正直に言って気合だけと言うしかない。
独特の呼吸音が響く、ブラックアウト対策の耐G専用の呼吸法であるが、それだけでどうにかなると断言できるほど、ヒサシゲという男は頑丈では無い。
それを精神力だけで補うと言う、根性があるのか無茶が過ぎるのか分からない行動を起こしたのだ。車輪が吹き飛び、ただ飛び出しただけだというのに、これ以上先に彼は何を求めるのか。
だがそれでも、今までよりはマシな動きではあった。
秒数にすれば、約二秒程度。その一瞬で重力を巻き込んで吹き飛ぶ弾丸は、ヒタギの線路を掠めた。
流石にその程度で何ができると言うわけではない。だが、それだけでも十二分に脅しにはなるだろう。ヒサシゲという男の本気がどういう類のものか。
だがただ吹き飛ぶだけの行為なんて、無駄にしかならない。この状態なら固定系の線路を出した所で脱線がいいところだ。
それを分からずに出す男でもない。その加速から弾丸に変わる一瞬に、車輪を再構成するが、そんな事をするものだから、グレイアウト寸前まで自分を追い込んでしまう。
元々列車酔いをするラディアンスも大概だっただろうが、ここまでの状況になったら酔うとか酔わない以前の問題だ。そんな事を考えている暇が無くなるだけだ。
本来だが、重機関は生存率を高める作りをしている。
線路に乗った際の第一フィルター、そして操縦室を取り巻く第二フィルター、つまりはこの要塞列車と基本的には同じ仕組みであるのだ。
最も当然といえば当然だ、戦闘機関と要塞列車は同時期に作られ、その根幹部分は同一人物によるものである。何より要塞列車とは、戦闘機関を巨大化させただけというのが実情だ。様々な機能が存在しているが、基本はあまり代わりが無い。
そしてそのフィルターの使用も結局は万能結晶が関わっている。
濃度の極端に下がった状況で、自分の使用できる範囲から無理矢理引き出すなら、何処かを代償にしなくてはならない。
だからこそヒサシゲは使用できる範囲を増やす為に無茶を行った。
本来ならそこまでしなくても勝てると断言は出来る。だが己の無様を飲み込んだ彼は、ただ勝つだけでは許されないと思った。
その無様を払拭して有り余る何かを手に入れなくて、失態などしていられる訳も無い。糧を得たなら、後は前を向くだけ、とは言え本来するはずの無い無茶苦茶を現状ではやっている。機体にこれほどの被害を与えるような無茶をした、ヒサシゲは後々だが絶対に後悔するが、自分で自分を縛る鎖を引き千切るためにはこれぐらいする必要があると、彼は考えたのだろう。
閉塞感を破る為には、それを上回る何かをする必要がある。
たとえ無茶と思って、力が足りないよりは、断然マシと言うものだ。その為の代償は酷いものだったが、期待を破壊するような機動に驚いたのは、行ったヒサシゲではなく、ポーオレであった。
何をあいつはやらかした、と。眼球の奥から軋む感情は、痛みとなって彼女の呼吸に表れる。荒くなるその一呼吸が、まるでなにか取り返しの付かない、何かを引きずり出してしまったような、恐怖として具現化しているようにさえ錯覚する。
弾いたのはまるで、引き金だ。それも誰が作ったか、最初の銃の引き金だ。
そんな者が弾かれるのなら、最早後に引くことなど何も無くなる。銃弾は前にしか進まず、歩みは、やはり次に向くように、一方通行の暴挙が、世界にあふれ出してしまうのだ。
その暴挙の名は、ヒサシゲ、この鉄風雷火の限りが埋め尽くす世界で、災害の一つになりえる男は、その性質を悪化させた。
感情さえ消えると思うほどの恐怖、あらゆる意味で全てを引きちぎった鎖の破壊者は、ギリギリではなく直撃すらも飲み込んだ。
「ああ、もう。また面倒な方向に、いつも、いつも、あの人は」
叫び声が、ゆったりとしたものに聞こえる。また、ヒサシゲが遠くなったと彼女は思って、乱れる感情は、少しの喜びと、寂しさで。
ポーオレの彼が魅力的になったと喜べたが、またおいていかれたという寂しさのほうが強くなる。鉄面皮などと呼ばれていたポーオレのここまでの変貌を見れば、ラディアンス辺りは天変地異を疑うだろう。だが、彼女にとってはこちらのほうが素である。
若干赤くなった顔を隠すように、下を一度うつむいた。寂しさも、嬉しさもある、同時に彼女はこうも思うのだ。
「どこまでも予想通りに私を置いていく」
ヒサシゲが成長を引く男だというのは、彼女自身が知っている。
有り得ないと思うことを、彼は今まで成し遂げる為に、今を生きてきた男だ。階段を上るような速度の成長さえも、予測の中にポーオレは入れている。
分かっていてもどうしようもない現象に、舌打ちをしながらも、獰猛さを見せ始めたその男の機動に見入ってしまいそうになるのを抑えられない。
布石はもう重々、彼がどれ程成長しようとも構わない。この下らなくも楽しい今を、これからも続ける為ならと、一人で飛び回る男に視線を向けながら笑う。
それはきっと戦いでもなく、恋でもなく、ただの挨拶と代わりの無いものなのだろう。
赤く染まった空の壁の境から、誰かが見えたといった青い壁を覗くような心持ちなのだろう。きっと、何かがこの先にあると分かっているから、ただ彼女は笑うという余裕を見せた。
だが彼女の余裕を知らない男は、前を見た、後ろを見なかった。追い立てられる東の風が、彼の変態機動を、ただのいかれ野郎の暴走に変えた。
だがこの先、彼が道を進むというのなら、機体が壊れる事など何度あるのだ。
自己修復しても足りない暴力があそこには、当たり前の現象として存在している。車輪を自らは介してでも、速度を上げなくてはいけない状況は存在する。
だから無茶苦茶な機動自体にも意味はあるが、機体をそのままぶつけに来る暴挙は、エース達にとっては、今まで以上に恐怖を感じる代物だ。
車輪を破壊してでも、強制的に曲がるなどと言う機動が追加され、挙句に命を忘れたような、本当の意味での近接戦を挑まれるのだ。
戦闘機同士の戦いなのに、なぜか体当たりしかない。神風なんざ、追い詰められなければする様な無茶ではないと言うのに、何もかもがぶち壊れている男は、それを当たり前に行い始めた。装甲ではあちらが上、しかも結晶操作によって再生までしてくるインチキである。
ふざけんな。どっかの誰かがそう呟いた。
とは言うが、ヒサシゲもそれほど余裕があるわけじゃない。そもそも自分の体調を破壊する無茶だ。
貧弱と言うしかない男は、先ほどの特攻と、体当たりだけで、グレイアウト寸前の状況だった。こうなれば、彼の繊細な操作は難しくなり、そこからエース達は、彼を食い破る事だって可能なのだ。
無茶をすればそれなりの代償がある。当たり前のことだが、飽きもしないでびっくり箱ばかりを引っ張り出すヒサシゲは、限界を超える為に無茶と言うカードを引かなければ、成長と言う形を出せないほどには彼は上限に来ている。
その光景を見ているラディアンスは、ただ息を呑んだ。
ポーオレですら見た事の無い表情をしているヒサシゲは、顔を青くさせながらも笑っていた。何が楽しいのかさっぱり分からないラディアンスだが、それでも彼が笑っているという事実には納得できた。
これが開拓者、世界を開くような暴挙を行う大馬鹿者だと。軋む機体と、激しく揺れる世界、時折響く破砕音、そして心臓の音、まだ一つ音が足りないのに、道を開く困難の意味が目の前に存在している。
無尽の野を行く人の姿は、群青の色を思い出させる。
最もこの世界でそんな色を知っている人間は、いるのか、いないのか。
始まり、駆け出す人の意思を表現するその色の男は、ぐらつき震える身体を、今まで動かしてきた感覚の延長線上で操る。
彼にとって、身体ともいえるその機体を動かす動作によどみは無い。
それでも人は間違えるのだ。全てを万能にこなせるわけが無い、だから穴が出来てそこが敗北の起点となる。使いどころを誤れば一瞬で破滅するであろう状況で、最初から無茶なんだからと、使い方を平然と誤る。
このままブラックアウトしても、現状では不思議ではないのだ。
ラディアンスもヒサシゲよりはマシとは言え、この男がやる事に対して耐性など出来るわけがない。
それに、上に下にと身体をぶん回されて、余裕を保てるほど、彼女は余裕を作れるほど戦闘機関を乗り回していないのだ。
目まぐるしく変わる変わる世界を見ながら、やりたい事をやってりゃいいだけなんじゃないか、などと、ヒサシゲの行為をあらゆる意味で感じながら、考えるだけ無駄なんじゃないかと結論を出しつつある。
実際彼女はヒサシゲを見ているのは、技術の一つの集大成を感じるためである。ヒサシゲの思惑も、彼の開拓の形も興味は無いのだ。
追いつくと言い張る為に、自分の行き着く先の一つの可能性を見るが、どうしろって言うんだと舌打する。
ああいうのは、ハッタリに使う対人専用の技だ。自身を追い込む技など、本来百害あって一理も無い。それでも必要だと判断できるだけの状況が、多分あちら側にあるのだと考えると、当たり前のことなのに、頭が痛くなっても来る。
化け物とたとえるに相応しい技術と、それを当たり前と感じる精神、二つ合わさればまともとは言いがたい扱いを受けるのは仕方が無い。
だが、それがヒサシゲの選択であった。今の馬鹿を突き詰めたような機動は、そうなるべきだと自分に刻み付ける為の自傷行為に近いものがある。痛くなければ、と言うより、何かしらの痛みを伴わない成長と言うのは、ヒサシゲには無理な方法だ。
「ちょっと質問、楽しいと思うけど個々で無茶しすぎて、あっち側で楽しすぎて発狂とかしない」
「分からんが、無いと思うぞ、狂っているって言うんだったらきっと、こいつに出会った時からわかっていない。最もこれは狂っているんじゃなくて、当たり前のことだと思っているけどな」
「どっちでもいいと思うけど、今は幸せなの、そうやって生きていけることが」
「冗談だろう。幸せであってたまるか、俺はまだ何も西に対してやっていないんだ。幸せになれる理由が一つもない。だが、ま、そうだな」
ちょっとだけだが言葉を濁した。先程のまでの自分の事を考えたジレンマだろう。
そしてそれを気付かせてくれた、誰よりも彼を追い立てる存在に対しての感謝もあったのだろう。
「楽しいな。なんて言うか、楽しい。それが全てだとおもうぞ、そしてこれから、あっちにいけば、どうにかなるぐらいに楽しくなる」
そんな感想が出てくる程度には、彼は素直に答えていた。
自分の心境をただ言うのなら結局それに尽きる。この馬鹿な状況も何もかも、楽しいのだ。だからそれで十分なのだろう、ヒサシゲは結局その感情をやめられないから、馬鹿が出来る。
「あのさ、それが幸せって事なんじゃないの」
「それを認めて行動したら、俺たちは一体何のために西を目指すんだよ。それは着いた時に感じるものだろう。今それを理解して、難の価値があるんだあっち側に」
失敗しかけた男は言う。
そこだけは無知でいいのだ。達成しなければ分からない感情、それを今自覚して難の意味があるのだ。喜ぶのはまだ先だ、楽しむと言うことに全力投球すればそれでいい。
その積み重ねの先に、きっと幸せがあるのだろう。世界を開くと言う快楽を、その身で味わいつくすには、その執着である満足感などにとらわれている訳にはいかない。
「けれどそういうのは、青い顔をしながら言うものではないと思います」
「仕方ないだろうが、俺は基本的に虚弱体質なんだよ。流石に第二フィルターまで削ったのは無茶だったが、ペナダレン傷付けすぎるのはやっぱり嫌なもんだな」
「あの音やっぱり車輪吹き飛んだんですか。明らかに、戦闘機関の速度としてもオーバースペック過ぎましたもんね。だから下のバラック立ての建屋が、吹き飛んだりしてるんだ」
そりゃ衝撃波もすごいわけだと、納得するが、下の人間は納得できないだろう。
本来なら、その衝撃波などもフィルターが制御し推進力に変えたりして、力の動き自体を制御して周りに及ぼさないようにするのだが、その部分を削っての移動だ。
上もしたもを縦横無尽に動いているのだ。そりゃ音速で移動すればそりゃそうなる。
呆れて笑うラディアンスは、下から響く罵声に、すいません災害なので、諦めてくださいと心で呟くだけだ。赤い大地の象徴なんだから仕方ないと、彼女は彼女なりの妥協点を作って、さらりと声を無視する。
「だが、一つ選択肢が増えた。それだけで儲けものだろう、出来るだけしたくないけどな」
「涙流しながらって、結構ダメージ大きいんだ。相棒傷付けて喜ぶ乗り手は流石にいないか」
けれど、そうやって道を切り開くときが絶対に来るのだと、ヒサシゲの行為を見て彼女は思う。
身を切りながら、必死になって草木を掻き分けるように、道を作る為には、それなりの代償があるのだ。手に肉刺を作り、皮膚を厚くし、必死になって石を取り、形を作ると言うのはそれだけで、何かを要求する。
その為の選択肢を作るのは、道に迷わない為であり、道を無くさない為の努力なのだ。
「ま、流石にそろそろ前座は終わらせる。選択肢ばかり増やしても道に迷うしな」
「エース二人を前座、アレだけ蹂躙していればそうなるでしょうけど」
「あいつらにも感謝してるさ。だが妖怪爺は、本当の意味で厄介だ。あいつは本当の意味で、あっちの世界をこっちに持ってこれるからな」
「そんなことが出来るなら今頃普通なら、ここの王様になりかわってます」
普通ならそれぐらいは最初に考えるが、その男は考えた事が無かっただけだ。
人を見ることが何よりも好きな男は、変貌と変動、そして変成、全てが変わって行く姿を何より好む男であり、傍観者として世界を見ることを何より好む男だっただけ。
そんな男を舞台に上げたのは、ヒサシゲの所為であり、ポーオレの策であったが、本当の意味で彼の余裕を無くせる存在であるのは間違いない。
なにせ彼が師として仰いだコルグートという男は、生身で要塞列車の撃墜レコードを持つ化け物だ。
一人で災害をになえる存在であるのは間違いない。この低い結晶濃度ですら、要塞を破壊することが出来る、だからこそヒサシゲも今まで以上の無茶をするだろう。
「そういうのは趣味じゃないが、敵にして勝てた奴を今まで見たことが無い。あの無敵の女ポーオレさんが、俺以上に敵にしたくない相手に上げる筆頭だ」
「そのポーオレさん基準って、基本的に上にいる人は厄介を通り越して、理不尽な人ばかりなんだけど」
それこそ自分の我の為なら世界を破壊しかねないような人間ばかりだ。
と言うかそんな人間と敵対したなんて考える奴は少ない。そういう奴らは数潰してしまえばいい。
「それでいいんだよ。お天道様も大概だ、おとなしいほうに優れたからマシだったけど、あれは一つ間違えばこっち側だったと確信できるね」
「お父様って人と言い。お爺様といい、ポーオレといい、あなたといい、私といい、本当に世界にはろくな人がいません。まっぽーの世もいいところです」
「あみだ様がいらっしゃるなら、迷子センターまでって言っておけよ他力本願なんてのは、俺たちには似合いもしねーよ」
南無阿弥陀仏と、唱えるのは、必死になって信じた人だけでいい。
そんな物を信じようともせず自分の道を歩むなら、こんな馬鹿みたいな男と、お嬢様になるだけだ。
「そう言えばなんでさっきから、会話に付き合ってくれてるの。余裕無かったじゃないですか」
「ああ、あいつらもう撃墜したからな。二度としないぞ、破壊した車輪で干渉破壊なんて」
一番決定的な部分を見逃した彼女は、固まってしまう。頭を抱えながら、次に視点を移し変えた。
彼にとって最大の敵たち、あらゆる意味で反則の二人が相手なのだ。笑っているポーオレを見ながら、随分お綺麗になったものでと笑ってみるが、なんか顔を赤くしているのであっちも、見えているのかとヒサシゲは頭をかく。
だがいまさら何を言って変わる二人の関係じゃない。素手で、語り合って見えてくるようなあほな関係だ。そんな戦いをしたら十割負けるヒサシゲだが、安定してきた血流と体調を把握しながら、ゆっくりと期待の速度を上げた。
そろそろ始めようと、ポーオレに告げるような仕草だが、あっちも既に行動を開始している。どちらが始まりを告げたかなんて、分かりもしないそんな対話だ。
だがそれでもその衝突を継げる言葉があったとしたら間違いなく。
「え、何時の間に、重要な部分私見逃したんだけど」
その戦いの始まりを示す鏑矢は、間抜けな声だすアノラックのお嬢様の落胆の声であった。
ブラックアウト・グレイアウト・レッドアウト Gが掛かって、脳への血流かなんかがえらいことになって起きる症状のこと。




